創立100周年に向け、さまざまな取り組みが動き始めました。そのひとつである「MAU2029」はなぜ、なんのためにつくられたのでしょうか。そして思い描く祝祭の風景とは? 学生時代をムサビで過ごし、その後50年近くにわたってムサビに関わり続けてきた学長・樺山祐和が語ります。

美術の専門家だけでなく誰もが楽しめるメディアへ

2029年を迎えるための準備を進めるなかで大切にしているのは、これまでムサビをつくってきた人たちへ思いを馳せることです。本学の教育理念である「教養を有する美術家養成」「真に人間的自由に達するような美術教育」という言葉を残した設立者の金原省吾先生や名取堯先生をはじめ、先生方や職員がどういう想いのもとにムサビをつくってきたのかを振り返るということですね。

ムサビにはいくつかのターニングポイントがあり、1929年創立の帝国美術学校から造型美術学園、武蔵野美術学校へと名称を変え、武蔵野美術学園に引き継がれたこともそのひとつです。そして1957年には武蔵野美術短期大学が設置、同時に通信教育部が開設され、5年後の1962年に武蔵野美術大学が誕生します。また、最近で言えば2019年には1学部制から2学部制になりました。それらのすべてで原動力となったのは、たくさんの人の想いにほかなりません。

そのうえで、“いま自分たちがどこに立っているか”を確認することも非常に重要です。これには美術という領域のなかでの位置や、日本のなかでの位置など、いろいろな視点があると思います。
そういう作業をやってはじめて、ムサビの100年の潮流を、次の100年をつくるに人たちに伝えることができる。「MAU2029」は、まさにその一助となるものです。

「MAU2029」はウェブマガジンであり、100周年事業の一環でつくる“ムサビを軸として描く日本の美術・デザインの一般向け書籍”のもとになるものです。データではなく、触れることができる書籍という形にすることで、ふとしたときに手に取り、何度も読み返してもらえるはず。だからこそ、誰が見ても楽しめるものにしたいですね。美術の専門家だけ、あるいは現在本学に関わっている人たちだけではなく、ムサビに関係しない人も含めたみんながおもしろいと感じるものをめざしています。

100周年を迎えるにあたっては、ほんとうにさまざまな想いが去来します。僕はいま66歳なのですが、20歳のときムサビに入学してからこれまでの46年のなかで、ムサビと離れていたのはたった2カ月間なんです。油絵学科を卒業したあと大学院に進み、助手を経て通信教育部や油絵学科の非常勤講師を務め、そして専任教員に。そうやってずっとムサビと共に生きてきました。

場所に対する思い入れはもちろん、ここで出会った、いまは亡き先生方との思い出もたくさんあります。100周年は、そういった時間を追憶する貴重な機会でもあるのです。

「自由を学ぶ」ムサビの教育

ムサビでは、美術やデザイン、あるいは建築などを学ぶことができます。領域は多岐にわたりますが、その底流に流れているのは「自由を学ぶ」ということ。つまり既存の枠におさまることなく、人間が生きることに根差した新しい美術をつくっていくことです。自由といっても、放任はしない。むしろ抵抗をつくり、ある意味で厳格な“基礎”をきちんと培うことによって、自由が生まれるという考え方なんですね。

ムサビの教育理念にも「真に人間的自由に達するような美術教育」という言葉があり、すべての学科でその理念をつらぬいています。たとえば僕がいた油絵学科では、学生の表現は習作とされ、作品として認めないんですよ。僕も学生時代、絵画を犠牲にしてでも修練しろ、自分の存在を突き詰めなさいと言われました。絵画を描いているのに「絵画を犠牲にしてでも」と。やはりいま振り返っても、ものと向き合う、対話する、“見る”ということを徹底的に強いた基礎教育だったと思います。

一方で、大学という大きな枠組みのなかで言えば、ムサビの教育の柱のひとつには「連帯と共創」があると考えます。たとえば、国際交流。近年では外国からの留学生が増えてきました。日本だけではなく、いろんな国の学生を受け入れることによって、美術でつながり、連帯し、共創していくということです。もう少し枠を広げれば、宗教や人種、民族、文化、言語などが違っても共存していける世界をつくろうよということだと思います。

それからムサビは、先生と学生の距離感がすごく近いと思いますね。先生方はおせっかいなほどいろんなことを学生に教えます。学生が100人いるとしたら、そのうちの5人をきわめて優秀なスターに育て上げるのではなく、100人全員にムサビの教育のありようを身につけてもらおうという大学なんです。
ムサビを卒業する人は毎年約1000人いますが、みんなが美術系の仕事に就くわけではありません。どんな道に進もうとも、なにかを創造していくことを通じて学んだ“自由”を胸に生きていける。そんな人材をつくっていくことをめざしています。

地球規模で盛り上がる、100年目の盆踊り

僕が「MAU2029」に期待するのは、ムサビに対するさまざまな想いが聞ける場になることです。在学生、卒業生、専任教員、非常勤講師、職員と、いろんな立場の人がいるし、いろんな世代の人がいる。ひょっとしたら、ムサビの前身である1929年創立の「帝国美術学校」の関係者のなかにも、まだご存命の方がいるかもしれません。

そういえば、僕の恩師である内田武夫先生も帝国美術学校の卒業生でした。そのころの先生方というのは、なんというか、“構え”が深いんだよね。たとえば絵のことを話す前に演劇のことを話したりと、「つくる」ことを別のベクトルで示唆したりするんです。もちろん絵描きだから絵のことをストレートに言うこともできる。でも、そうじゃなくて、「つくる」ことをもっともっと広い視点で僕らに教えてくれていたような気がします。

コロナ禍では、積極的に声をかけて指導することができない時期がありました。でも、そんな環境でもみんないい絵を描くんです。「教える」というのは一体どういうことなんだろうと考えさせられましたね。日本の美術史に残るような作品をつくった先生方が無言でうしろに立ち、じっと作品を見るだけでおよぼす教育の力みたいなものを見た気がしました。きっと「教える」って、単に言葉で伝えるだけじゃないんですね。
「MAU2029」は、そういうことも垣間見えるようなメディアにしたい。そのためにも、ぜひ多様な立場や世代の方々に登場してもらいたいと考えています。

「MAU2029」をつくること、読むことは、ムサビの美術やデザインを振り返ること。それは、日本の美術史やデザイン史を振り返ることでもあります。そういう意味では、社会とムサビがどんなふうに関わってきたのかを確認する場でもあるのではないでしょうか。そしてさまざまな人が、「美術ってなんだろう」「デザインってなんだろう」と、再び考えはじめるきっかけのひとつにもなると思います。

そういうちょっと堅い側面もある一方で、僕が最も期待しているのは、すべてのムサビの関係者が「自分自身の青春を振り返る場」になることですね。僕自身もそうですが、ムサビで過ごした時間というのは、青春そのものだと思うのです。

同時に、いま生きている人たちだけではなく、ムサビを支えてきたすべての人たちの存在も感じられるようにしたいです。それこそ1929年、ムサビの前身である帝国美術学校ができた頃に関わった人たちも一堂に会するような。まさに“100年目の同窓会”、もっと言えば“100年目の盆踊り”みたいなイメージです。盆踊りというのは生きている人たちだけじゃなくて、亡くなった人たちも一緒に踊るものでしょう? 設立者の金原先生も名取先生も来て、みんなで盆踊りを踊るんです。

「MAU2029」のスタートに続き、これから記念事業の具体的な内容を考えていきます。当然ながらそれらの企画では、教員や職員だけではなくて、いまいる学生たちもどんどん巻き込んでいきたいと思っているんですね。みんなが参加できる取り組みを通して、私たちが絆で結ばれていることが、遠く離れた場所にいる卒業生も感じられるようにできないかなと、いろいろ考えています。

それから、日本全国の支部で活動している校友たちも一緒に盛り上がっていきたいですね。さらに支部は上海など海外にもあるので、東京のキャンパスを中心に世界各地がつながっていって、2029年を迎えられたらすごくいいと思います。
記念すべき時を、地球規模で盛大に祝いたい。だって、100周年だからね。