2025年3月20日、本学と国立民族学博物館の共同企画による、みんぱく創設50周年記念特別展「民具のミカタ博覧会―見つけて、みつめて、知恵の素」が開幕した(会期は同年6月3日まで)。
美術大学になぜこのような民具コレクション(民俗資料)が形成されたか、収集に携わった宮本常一名誉教授と当時の学生たちが遺したレガシーとは? 特別展の企画に携わった美術館•図書館の加藤幸治副館長(教養文化・学芸員課程教授)が解説する。
ムサビ・コレクション
武蔵野美術大学美術館•図書館は、約9万点におよぶ民俗資料、すなわち生活文化の造形資料を所蔵しており、その規模と内容において日本最大級の大学コレクションである。美術やデザインを学ぶ学生たちの制作のヒントとして活用されている民具コレクションは、かつて宮本常一名誉教授(在職:1964–77年)が主導した近畿日本ツーリスト 日本観光文化研究所(1966–89年)に由来する約2万点の資料と、宮本常一と学生たちによって結成された武蔵野美術大学生活文化研究会(1966年発足)が収集した資料が土台となっている。
1966年、「旅行業界の野武士」と称された近畿日本ツーリストの副社長、馬場勇は、宮本常一とこれからの旅のあり方について共鳴し、社内に日本観光文化研究所(以下「観文研」と記す)を設立した。所長となった宮本常一のもとには大学のカリキュラムでの学びに飽き足らない学生のみならず、他大学からも彼を慕う学生たちが参加し、精力的に活動した。大学を卒業してもその活動に関わり続けるムサビ生のなかには、観文研を大学の外側にある大学院だと捉えている者もいた。実際、これらの活動から民俗学の研究者が何人も輩出されており、博物館や文化財保護の現場で活躍した人も少なくない。
もともと観文研は、1975年に東京都内に民族文化博物館を開設することを念頭に民具収集を行なった。生活文化や流通などを示す陶磁器・竹細工・染織が集中的に収集され、写真家・薗部澄収集の全国の郷土玩具もコレクションに加えられた。しかし、オイルショックなどいくつかの要因から博物館構想は頓挫し、最終的に資料は武蔵野美術大学にもたらされた。

撮影:須藤功
旅する巨人:宮本常一と武蔵野美術大学
1962年、学校法人武蔵野美術学校は武蔵野美術大学に改称し、前年に開設された現在の鷹の台キャンパスでの教育活動が本格的に開始された。宮本常一が武蔵野美術大学に教授として迎え入れられたのは、それから3年後の1965年であり、実際にはその前年から学生に対する講義を行なっていたという。
戦前に渋沢敬三が主宰したアチック・ミューゼアムの同人として常民文化研究に心血を注ぎ、戦後も全国をくまなく歩くなかで、『忘れられた日本人』をはじめとする数多くの著作で知られた宮本常一は、それまで月給を得られる「定職」に就くことがなかった。晩年の活動の拠点を、新たなスタートを切ったばかりの美術大学に据えた理由を垣間見ることのできる1通の手紙が残されている(加藤幸治研究室所蔵)。その手紙は国文学者、益田勝実に宛てたもので、封筒の消印は「1965.9.9」とあることから、宮本常一が本学の教授となって半年後の手紙である。その一部を抜粋してみよう。
(武蔵野美術大学は)小さい特色な大学ですけれども、役人や下手なサラリーマンを養成する大学ではないので、私は勤める気になったのです。学ぶということがもっと自由に、もっと周囲にしばられないで物を考える方法を見つけ、またそうした態度を持つことでなければならないと考えていますので、そういう人間づくりをしたいと思います。
(中略)文化というものが画一的な人間をつくることであったらかなしいことです。そこでとにかくすこし生きのいい学校をつくって見たいと思います。
(「益田勝実あて宮本常一書簡」より、1965.9.9消印)
美術大学における自由な学びと、学生たちみずからの動機や衝動から生じる制作や実践に、宮本常一は「周囲にしばられないで物を考える方法」を見つけていく「人間づくり」の可能性を見出したのであった。それによって「生きのいい学校」を作るために、自身は学科に属するのではなく、全学的な教養のための民俗学や文化人類学を講じ、彼を慕って集まる学生たちとともにカリキュラムの外側に活動を生み出していったのである。
そこで着目したのが、宮本常一が戦前、渋沢敬三のもとで調査や資料整理に携わった民具であった。ものをよく観察する眼を持ち、それを作品やデザインによってみずからの手で表現できる美大生の学びの軸として、民具とフィールドワークに新たな意義を見出したのである。

(武蔵野美術大学 美術館•図書館 民俗資料室所蔵)
旅による学びと雑誌『あるく みる きく』
高度経済成長期の日本は、「ディスカバージャパン」のキャンペーンに代表されるように、人々が日本文化の多様性や、文化の土着的な側面に目を向けた時代であった。しかし当時の観光の主流は有名なスポットをめぐる、お膳立てされた団体旅行が主流であった。旅とは本来、みずからの問題関心を探究しながら自己研鑽するような厳しいものであり、また旅人はその土地の生活者では気が付かないような魅力や大切な何かに光をあてるような存在でもある。そのような思想のもと宮本常一が若者たちに期待したのは、旅の文化を担う良き旅人の実践であった。
宮本常一は、単に若者に好き勝手な旅を促したのではなかった。旅で何を得たのか、その土地の文化の本質はいかなるものか、そこから何を学ぶことができるのかを徹底的に議論し、観文研はそのアウトプットのメディアとして雑誌を刊行した。そのフィールドは国内にとどまらず、世界各地に広がっている。
宮本常一の長男である宮本千晴は、1966年より観文研の事務局長兼『あるく みる きく』編集長として、若者たちの雑誌編集を徹底指導した。観文研はこの月刊誌を1967年に創刊、1988年に閉刊となる263号まで出版し、毎号ひとつの特集を設定し、観文研の所員や同人の若者たちによる、自身のフィールドワークをもとに、地域の生活文化の見方、旅のあり方についての姿勢を伝え続けたのである。

日本観光文化研究会、1976年1月号(加藤幸治研究室所蔵)
宮本常一の民具観
武蔵野美術大学美術館•図書館 民俗資料室の収蔵庫は、宮本常一が民具研究の入門書として著した『民具学の提唱』(1979年)で示した分類法を採用している、おそらく日本で唯一の収蔵施設である。その分類の手法は、煮焼蒸用具、着用具、切截用具、意思伝達用具といった、「人間のあらゆる行動の目的に沿って分類」する、いわゆる機能分類が用いられている。宮本常一は、「民具試論Ⅰ」(1969年)において、民具を次のように限定的に定義しており、ムサビ・コレクションも以下の考え方をもとにしていると言える。
・民具は人間の手によって、あるいは道具を用いて作られたものであり、動力機械によって作られたものではない。
・民具は民衆が、その生産や生活に必要なものとして作り出したもので、使用者は民衆に限られる。専門職人の高い技術によって作られたものはこれまで普通、工芸品、美術品などといわれ、多くは貴族や支配階級の人々によって用いられた。これは民具と区別すべきである。
・民具はその製作に多くの手続きをとらない。専門の職人が作るというよりも、素人または農業、林業、漁業などのかたわら製作しているものである。
・民具は人間の手で動かせるものである。
・民具の素材になるものは草木、動物、石、金属、土などで原則としては化学製品は含まない。
・複合加工を含むものは仕あげをするものが、素人または半玄人であるもの。
(宮本常一「民具試論Ⅰ」(1969年)、後に『民具学の提唱』所収)

民具観を更新する
近年、地域博物館の収蔵スペースや財政難、人員不足などの危機から、民具コレクションの縮小を検討する自治体が増えている。一方で、地域振興やものづくり、デザインにおける新たなまなざしから、民具や民藝に対する関心が高まっている。民具の再評価や、新たな活用法の模索は現代日本の博物館における課題のひとつとなっている。
本学の民俗資料室では、『民具のデザイン図鑑』(誠文堂新光社、2022年)の刊行を契機として、民俗資料をヴァナキュラーな資料と読みかえ、美術・デザインを学ぶ学生の関心に、より応えるものとして新たな見方を提示してきた。ヴァナキュラーとは、直訳すれば「土着の」といった意味であるが、あらゆるローカルな集団が生み出す、独自な生活文化や造形を、文化を均質化していくようなあらゆる「力」に対抗し、個別性や多様性の大切さを認識させるカウンター・カルチャーと捉え、常に変化し続け、気がつけば独特なものになっているような文化変容のダイナミズムのことを言う。これを民具にあてはめてみれば、以下のような特質として整理できる。
・ヴァナキュラー生活のなかから生まれるかたち(素材・造形・身体)
・特定のだれかが設計したわけではない造形(無名性・アノニマス)
・経験の積みかさねによる理にかなった機能(経験主義)
・ことばでは説明できない、コツや熟練による知恵(暗黙知)
・日常に埋め込まれた日々のくらしと不可分な時間(日常性)
・身近な誰かの記憶を呼び起こす媒体(メディア)
(加藤幸治監修、武蔵野美術大学 民俗資料室編『民具のデザイン図鑑 くらしの道具から読み解く造形の発想』誠文堂新光社、2022年 「巻頭言」より)

作品や資料の不易な価値や普遍性を認めつつも、資料をどう活かしていくかは同時代のニーズや価値観、その時代特有な社会課題などを踏まえてものの見方を更新していく必要がある。宮本常一が高度経済成長期の日本に対して、あえて歩くという非効率な旅や、見過ごしてしまうようなミクロな生活のありように着目することで、多くのメッセージを発し続けたように、現代の私たちが民具を通じて何を考えることができるかは、実践を繰り返しながら模索することが重要ではなかろうか。
宮本常一が遺したレガシーとは
本学の民具コレクションは、地域博物館のような民俗学の研究資料とは異なり、美術・デザインを学ぶ学生や研究者の制作のヒントを探るための美術資料である。そして特定の学科と結びついているわけではなく、全学に開かれた良くも悪くも宙ぶらりんな存在であり、いつの時代もそこに学生が出入りし、そこで行われていることに巻き込まれながら、何かを得てそこから出ていくというような緩さがある。
宮本常一が民具収集を通じて美術大学に遺した真の意味でのレガシーを、現代の言葉に置き換えると、次の4つの側面を挙げることができる。
ひとつ目は、「インフォーマルな学び」である。大学では基本的にはカリキュラムと学習目標に基づくフォーマルな学びによって、学生を教育する。それとともに、大学には既存の枠組みにとらわれず、自由な表現や学びを展開させる、カリキュラムの外側にあるインフォーマルな学びがある。次に「サード・プレイス」である。専門や学年、国籍を問わず、そこに集う者たちによるアドホック(その場その場で結びつく)なコミュニティは、開かれた居場所にこそ生じる。3つ目に「オープン・ラボ」である。興味関心を共通に持つ者に開かれた研究の場は、それぞれのスキルや性格を発揮しつつ、プロジェクトベースの活動の推進能力や、共創の柔軟さを養う。最後に「インターディシプリン」である。宮本常一の活動には、美術大学における美術、デザイン、人文・社会科学のさまざまな専門の教員や研究者が参加している。民具というひとつの素材に対して、多方面からアプローチする視点は、学問の垣根を超えた共通のテーマや課題の発見につながる。
課外活動やサークル、フィールドワークや社会連携プログラムなど、現在の大学にはカリキュラムの外側にある学びの機会は少なくない。こうしたもののひとつとして、大学コレクションを基点とした学びの場をどのように作り出すことができるか。幾世代も前の教員と学生たちの実践に学びながら考えていきたいものである。
1973年、静岡県浜松市生まれ。武蔵野美術大学教養文化・学芸員課程教授、美術館・図書館副館長。和歌山県立紀伊風土記の丘学芸員(民俗担当)、東北学院大学文学部歴史学科教授(同大学博物館学芸員兼任)を経て、2019年より現職。博士(文学)。専門は民俗学、博物館学。
監修に武蔵野美術大学民俗資料室編『民具のデザイン図鑑―くらしの道具から読み解く造形の発想』(誠文堂新光社、2022年)。近著に『民俗学 パブリック編―みずから学び、実践する』(武蔵野美術大学出版局、2025年)、『民俗学 フォークロア編―過去と向き合い、表現する』(同、2022年)、『民俗学 ヴァナキュラー編―人と出会い、問いを立てる』(同、2021年)ほかがある。
*国立民族学博物館 みんぱく創設50周年記念特別展「民具のミカタ博覧会―見つけて、みつめて、知恵の素―」
2025年3月20日〜6月3日(水曜日休館)
*武蔵野美術大学 民俗資料室「ヴァナキュラー・比較文化論―国立民族学博物館・特別展サテライト展示―」
2025年3月31日〜6月3日(水曜日・祝日等の休館日があります)
https://mauml.musabi.ac.jp/news/26283/
参考文献
加藤幸治『民俗学 パブリック編―みずから学び、実践する』武蔵野美術大学出版局、2025年
加藤幸治『民俗学 フォークロア編―過去と向き合い、表現する』同、2022年
加藤幸治『民俗学 ヴァナキュラー編―人と出会い、問いを立てる』同、2021年