2024年11月29日(金)から12月20日(金)に「NEW COMMONS──ともにつくる学びの場 武蔵野美術大学の社会連携活動展」が、市ヶ谷キャンパス2階に開設された「社会連携拠点1/M(イチエム)」で開催されました。
多様で異なる立場の人々が知恵や未来への展望を共有しながら、ともにものづくり/ことづくりを行う場を「ニューコモンズ(NEW COMMONS)」と名づけ、近年本学が取り組んだ18の社会連携プロジェクトと作品群を集めた展覧会です。
多様な連携先と関わることで、学生やプログラム、そして連携先との間にどのような学びや変化が起こったのか。本展のオープニングレセプションで行われたトークの様子をお届けします。

[登壇者]
板東孝明(基礎デザイン学科教授)
若杉浩一(クリエイティブイノベーション学科教授)
モデレーター:北崎允子(学長特命補佐[社会連携担当]/視覚伝達デザイン学科教授)

クリエイティブイノベーション学科と基礎デザイン学科の社会連携

若杉:みなさん、こんばんは。クリエイティブイノベーション学科(以下、CI)の若杉です。展示の解説の前にCIの説明をしますね。
CIでは、デザインやアートを通じて、社会でイノベーションを起こしていく人材育成を目標にしています。

CIはデザインをやりたい、芸術もやりたい、けれど興味しかないという学生に扉を開く、実技の入学試験がない学科です。そのため、1、2年生では鷹の台キャンパスで徹底的に基礎的な造形・デザイン・アートを教えます。さらに、社会でイノベーションを起こしていくために必要と考えられる、ビジネス領域やテクノロジーも1年生のうちに徹底的に勉強していきます。

そうした基礎をもとに、3、4年生では市ヶ谷キャンパスに移り、社会で実践していきます。本展で紹介している「クリエイティブイノベーション演習」は、学生たちが初めて実態としての社会と接しながら、一人ひとりが表現やデザインに挑んでいく3年次の授業。6月から7月までの8週間で、それぞれがテーマを見つけ、リサーチし、デザインし、実装して、さまざまな関係性を社会のなかにつくっていきます。

本展では、そのなかの優秀作品20点を展示しています。
少し紹介しますと、この大きなリヤカーみたいなものは、動かすとカタンカタンと音楽を奏でます。当然、勝手に商店街のなかを引き回すと怒られてしまうので、事前に商店街の方々と仲良くならなければいけない。また、ひとりでは運べないので、誰かに手伝ってもらうことが必要で、そこにも関係性が発生します。

ほかには、四谷・市ヶ谷界隈が怪談のメッカであることから、現代の妖怪をもう一度暴き出すというものもあります。科学が発達した現代社会のなかで、我々がしでかしている奇行、へんてこりんなことは実は妖怪の仕業なのではないかということで、百の妖怪をデザインしています。

《市ヶ谷怪鬼集》鶴岡正也

市ヶ谷のゴミを拾って歩いた学生もいました。といっても、拾いたくて拾っているわけではありません。ゴミを拾っていると声をかけてくれる、いろいろな人との出会いのデザインなんです。クリエイティブイノベーション演習では、そういった広範囲の自主的なプロジェクトが実践されています。

その後、3年生は本学科の目玉である「産学プロジェクト実践演習」に取り組みます。9~10月の2カ月間、地域に住んだり、企業のメンバーになったりしながら、デザインを実践していきます。そのテーマの設定や資金源をつくっているのが、ソーシャルクリエイティブ研究所。研究所が社会と接続して、学生とともに社会的な実践を行う演習のひとつが産学プロジェクト実践演習というわけです。

そもそも市ヶ谷キャンパスは、ムサビが社会とつながりを持つための拠点として開設されました。6階には日本総研というコンサルティングファームに入居してもらってさまざまな連携を行い、先日は「ICHIGAYA INNOVATION DAYS」を共催。また、1階には無印良品の店舗が入っています。これはお店があると便利だからということではなく、誰でも来られる店舗という場所で、デザインやアートと接続していくという発想がベースになってつくられました。

そして2階にあるここ「1/M(イチエム)」は、社会にデザインや芸術を広げていく拠点として設計され、学生たちと企業や社会人が一緒になって表現していく場。今回は、その“始まりの始まり”を展示しています。

板東:こんばんは。基礎デザイン学科(以下、基礎デ)の板東と申します。短い時間での説明では伝わりにくいかもしませんが、頑張って基礎デの授業を解説していきます。この学科はデザインや造形の基礎を訓練するわけではなく、社会の基盤としてのデザイン、基礎工学や基礎医学と同じような分野をデザイン領域で確立していく、デザインにおけるオペレーションシステム(OS)をつくっていく学科です。デザイン制作にはアプリケーションがかかせませんが、それを動かすOSにあたる環境形成をめざしています。

今回、展示しているのは「ホスピタルギャラリー」の取り組みです。これは基礎デの2年生全員、約80名が「形態論」という授業で制作した作品を、東京から遠く離れた大学病院で展示している取り組みなのですが、なぜそのようなプロジェクトが行われているか。

そもそもは、2008年に私の地元にある徳島大学病院の院長から「新たに建設する病棟のエントランスにギャラリーをつくりたい」と相談されたことから始まりました。院長は大学病院を社会環境の縮図と捉え、病院のなかに日常の街角のような風景をつくりたいと構想されました。具体的には、当時、地方都市としては画期的だった有名なコーヒーショップやコンビニのほか、ギャラリーがほしいとのことでした。

そこで、病院エントランスの小さな空間に、当時基礎デの専任教員だったプロダクトデザイナーの深澤直人さんにギャラリーの設計を依頼、「ホスピタルギャタリーbe」と名づけました。常設される作品がなにもない空間は、当初の計画以上に、なにを展示していくかという運営が問題になります。最初のうちはいろいろ企画展を頑張ってひらくのですが、そのうちお金も手間もかかるし常設展示でいいんじゃないかとなってしまう。そこで、深澤さんと話し合って「形態論」の授業で学生が制作した作品を展示することにしました。これなら毎年新たな作品を飾ることができます。そしてなによりも、美術ギャラリーとはひと味違ったデザインギャラリーという点が斬新でした。地方にいながら、東京の美大生の作品を楽しめる空間、なかなかいいアイデアだと思いませんか?

徳島大学病院にある「ホスピタルギャラリーbe」

「形態論」は、日常の形を解体してもう一度新しい形をつくっていくという、ある意味オールドスクールな授業で、バウハウスのイッテンやアルバースがはじめた基礎造形の課題がその源泉です。深澤さんと6年間、次にインダストリアルデザイナーの柴田文江さんと8年間、いまは三澤遥先生とその授業をやっています。

今回展示している作品は、その成果の一部です。課題のひとつは「さなぎ」。蝶々や蛾が、幼虫から成虫に変態するあいだに「さなぎ」になります。なにかの形となにかの形の間の存在です。そのなにかとなにかが、カエルと紙パックであったり、アンモナイトとけん玉だったりと不思議なものの組み合わせになっていて、どうメタモルフォーズ(変容)していくかを想像し、粘土で表現していきます。コンピュータに慣れた学生たちにとって、手作業だけの制作は大変ですが、目と手をつなげる訓練でもあります。

《さなぎ》Mai Okamoto

もうひとつの課題は「葉っぱ」です。葉っぱを別の素材、別の表現で葉っぱらしく見せること。細い木を焼いてつくった形は枯れ葉に似ているとか、葉っぱが鳥の羽根に近いような構造だったらどうだろうかと想像を巡らせながら、制作していくのです。基礎デでは、プロダクトデザインのように立体を扱う授業がありますが、この「形態論」も含めて学生になにか具体的な製品を提示させるのでなく、頭の中に浮かんだイメージをしっかりと他者にコミュニケートする力を身につけてもらうことに主眼を置いています。

そうして授業でできた作品を徳島大学病院で展示してきたわけですが、病院側の配慮で、ギャラリーに感想ノートが置かれるようになったんです。そこには「去年主人が手術したとき、気を落ち着かせるためにここに来ました。見ているだけで心が穏やかになりました」とか、「半世紀も前、ムサビの通信教育課程で学びました。いまは介護も終わって、自分の終わり支度の最中です。久しく忘れていたバカバカしい感覚に触れることができ、うれしくなりました」といった感想が寄せられました。さらには、「ICUで眠り続けている孫に会いに来ましたが、会うことができません。ただただ祈るばかりです。待つ時間がとても長いです。いま闘っている孫にメッセージを送りたい。頑張れ。祖母より」といったメッセージも寄せられました。きっと不安な時間に、作品をぼーっと見て過ごされた結果の、普通のギャラリーではなかなかいただけないような感想だと思うんです。もちろん、なかには「学生作品はわかりにくい」「病院なのだから医療器具を増やすべき」という批判的な意見もありましたが、少しでもギャラリーが役に立っているのだと思えた感想でした。

この授業は、学生が積極的に外に出て社会と関わるものではありません。ただただ、形をつくることに終始する。けれど、それが社会に役立っているし、そういうジャンルがあるのだということを知らせるうえで役に立っていると思っています。

表層的な社会課題ではなく、自分の目でたしかめ、感じたことを扱う

北崎:若杉先生、クリエイティブイノベーション演習が学生にとってどんなふうに活きたか、学生がどんな影響を受けたかなどのエピソードを教えてください。

若杉:1、2年生のときは、課題を期限内に消化させていくことに追われます。ところが3年生になった瞬間に「自分で考えろ」と言われ、毎日のメンタリングでは3人の先生からまったく違うことを言われる。真面目に全部の意見を取り入れようすると、当然混乱します。

そうなったときに、デザインすべき対象は社会問題ではなくて、街角にあるささやかで不思議な風景や、心がほっとするような人の行いであることに気がつくんです。あるいは「なぜこんなところにこんなものがあるんだろう」などと、主体的に考え始めます。そうして「いままでのように問題を与えられて解くというスタンスでは答えが出ないぞ」「自分の目で、自分の判断基準で立ち向かっていかなければいけないのだ」と発想の転換ができるかどうか。それが大切になっていきます。

さっきのゴミ拾いの話だと、最初は「市ヶ谷の街はゴミが多いから汚い。だから、ゴミのポイ捨てを禁止するデザインがしたい」という話をしてきたんです。だけど、禁止しても禁止しても、ゴミは捨てられ追いつかないと途中で気づいた。だから、自分が透明のゴミ箱を背負って歩くことにしました。ゴミを拾っているうちに、自転車を整理しているおじさん、道行くサラリーマンなど、いろんな人が声をかけてくれるようになったんです。小学生は後ろをついてきて、一緒にゴミを拾ってくれる。そうやって、街に潜んでいたゴミを中心としたひとつのコミュニティみたいな対話が起こっていくことにも気づいた瞬間に、デザインのリソースが生まれました。
そんなふうに、学生が80人いれば80人なりのまなざしが際立っていくのが、この授業の一番おもしろいところです。

北崎:社会課題解決という言葉はすごく概念的ですよね。冒頭で、「実態としての社会」という言葉がありました。それは、最初は概念から入っていくけれども、実態は誰かと仲良くなることであったり、手伝ってもらえた経験であったりということなんでしょうか?

若杉:そういうことです。学生はみんなお利口さんなので、最初は誰もが考える社会課題みたいなものをテーマに据えます。「市ヶ谷はみんなが“通り過ぎる”街でつながりがないから、つながりをつくるのだ」とか。だけど、考えても答えは全然出ない。だいたいが8週間あるうちの4週間ぐらい、誰もが考える社会課題を扱おうとするのですが、それは無理だと4週目くらいで気づく。そのポイントが重要な気がします。自分の目でたしかめて、自分の感じたことを、自分の力で表現しなければいけない。どうやら先生たちは助けてくれないと感じてくれるのが一番大切なところだと思いますね。

北崎:その経験が、その後どんなふうに活きてくるか、というところはどうでしょうか?

若杉:クリエイティブイノベーション演習のあとの産学プロジェクト実践演習では、地域に行っても企業に行っても、たとえば「マーケティングをして、この地域の名産物をどうにか東京で売りたい」というような表面的な課題が待っています。それに対して学生たちは「いや、本当に大切なのは、地域にいる人たちの暮らしや、すばらしい風景なのに、なぜあなたたちはそんな表面的なものを売ることに終始するんですか?」みたいなことを言います。そうした気持ちになれるっていうのが、ものすごく重要なんです。

もちろん、学生をマネジメントする僕たちとしては、依頼側の行政や企業の人たちに「学生が期待通りに動いてくれない」「もうやめてくれ」と言われるのは怖いですよ。だから、あらかじめ「期待しないでください。学生は、あなたたちの言うことはたぶん聞かないと思います」と伝えています。

社会が叫んでいる予定調和的なテーマではなく、自分ごと化できるテーマを見つけることが主体的なデザインの始まりで、社会に関与するうえで大切なことなんだろうなと僕は思います。

北崎:つまりは身体性が伴っていくということなんでしょうか。たとえば、地域や行政などが「こういった課題を解決してほしい」と言ってくるけれど、「まずはみんなで飲んだほうがいいよ」と。課題解決の糸口をつかむために、自分の身体感覚を寄せていくような。

若杉:ずいぶん雑駁ですが、そういうことです(笑)。自分の身体に響かないことは、どうもおかしいんじゃないかという感覚を身につけることが、ものすごく重要です。

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参考資料
深澤直人・板東孝明・香川征『ホスピタルギャラリー』武蔵野美術大学出版局、2016年