2024年11月29日(金)から12月20日(金)に「NEW COMMONS──ともにつくる学びの場 武蔵野美術大学の社会連携活動展」が、市ヶ谷キャンパス2階に開設された「社会連携拠点1/M(イチエム)」で開催されました。
多様で異なる立場の人々が知恵や未来への展望を共有しながら、ともにものづくり/ことづくりを行う場を「ニューコモンズ(NEW COMMONS)」と名づけ、近年本学が取り組んだ18の社会連携プロジェクトと作品群を集めた展覧会です。
多様な連携先と関わることで、学生やプログラム、そして連携先との間にどのような学びや変化が起こったのか。本展のオープニングレセプションで行われたトークの様子をお届けします。
[登壇者]
板東孝明(基礎デザイン学科教授)
若杉浩一(クリエイティブイノベーション学科教授)
モデレーター:北崎允子(学長特命補佐[社会連携担当]/視覚伝達デザイン学科教授)
手と目の感覚でなにができるか、チャレンジし続ける
北崎:続いて板東先生にお聞きしたいのですが、学生たちは病院のなかでどういうふうに見られるかは気にしないのでしょうか?
板東:全然気にしていません(笑)。社会連携といっても、僕ら教員が勝手に連携させているので。これまで何人かの基礎デ生が徳島の病院まで作品を観に行って、感動したとは言ってくれましたけどね。自分の作品が外部のギャラリー、とりわけ地方で展示されるのは貴重な経験です。「病院のエントランスでしょ?」と軽く捉えられるかもしれませんが、地方都市ではパブリックスペースとして大学病院は穴場的な存在です。巨大なショッピングモールを除いて、入院患者や付き添い、来訪者、職員を含めて、エントランスでは毎日数千人もの人が行き交うんです。
つまり、街角の目抜き通りのような場所ともいえる。大半の人はただ通り過ぎますが、なかには足を止めてじっくり観てくれる方もいます。そこに学生の作品が展示されているのは彼らにとっても意味のあることだと思います。
北崎:「形態論はある意味オールドスクールな授業」とおっしゃっていましたが、まったくそんなことはないと思います。内なるデザインの研究みたいなものが世の中に出て、人々の癒しになったり、病気のことを一時でも忘れられるきっかけになる。そんなふうに受け入れられることにうれしさと驚きを感じました。
板東:さっきオールドスクールと言ったのは、昔と全然変わらないことをやっているという意味ですね。テクノロジーが発達して、コンピュータでアクロバティックなものがつくれるようになったけれど、人間の目や手の形や機能は古代からさほど変わっていません。おそらく感性もそんなに変わっていない。そういうなかで、自分の手と目の感覚でなにができるかにチャレンジしていくことが大事なんです。手作業はしんどいけれども、美大で学ぶということは、そうやって徹底的に表現の筋力を鍛えていくことなのではないかと思っています。
ただ、基礎固めって嫌なんですよ、誰でも。音楽科の学生でも「バッハの平均律を毎日弾きなさい」と言われたら嫌で、そういうところは飛ばして自由に演奏したいんですよね。好きなことだけをやるのなら個人でもやれる。いまの時代、ネットでの自己学習が効果的かもしれない。でも、その苦行とも思える作業で養われる感覚を美術大学が責任を負ってやっていく必要があるのではないか。とんでもない天才を生み出す教育ではないけれども、社会のなかで本当に質のいい、丁寧な仕事をするデザイナーを育てていく場として、古めかしさのようなものはキープしていい。テクノロジーに抗うような批評精神と自分の身体性や直感を信じる造形者としての矜持。基礎デの先生方はみんな、そういう意識を共有しているのではないかと思います。
北崎:ありがとうございます。CIと基礎デの共通点が見えてきた気がします。社会連携や、社会へのデザイン・美術の貢献を概念的に考えるよりも、自分の身体を使って人やものと関わったときに、初めて社会の人が「あっ!」と思うようになる。そこがすごくおもしろいと思いました。
もうひとつ、内側でやっていることを外につなげていくうえで大事なこと、あるいは外とつながることの意義を伺いたいです。
若杉:板東先生の話を聞いて、「僕たちも学生のときは造形の一つひとつを表現しながら、対話しながら、批評しながらやってきたんだよなぁ」と、うらやましく、かつうれしくもなっていました。表現を通して誰かと対話し、理解してもらうことの根源的な喜びや躍動感、身体の振動みたいなものが、社会にはもっともっと必要だと思っているんです。

そういうわけでCIは、ムサビがずっと大切にしてきたデザインや芸術の教育を、いかに社会に広めていくかをものすごく大切にしています。ゆえに、学生たちを世に解き放っていきます。
そのなかで学生たちは新しいデザイン領域の存在を確信していきます。ものをブランディングして売るのではなく、心のなかにある本質的で豊かな見えざる価値を、どういうふうに伝え、形にし、地域の文化や価値として表していけるかを考えるようになる。クリエイティブというと東京に集まりがちですが、学生たちはいままでにない領域、たとえば地方自治体の職員との協働や、焼酎蔵での伝統的な焼酎づくり、そんなようなものにもデザインの存在があることに気づいていくんです。
板東:基礎デでは、形態論も含めて、学生が社会になにかを提案していくようなことはほとんど取り組んでいません。こもってひたすら作品をつくり続けています。
一般の方々は、デザイン学科がどんなことをしているのかを、ほとんど知らないですよね。美術学科だったら、絵を描いたり、彫刻を彫ったりしているんだろうなと想像するだろうけれど、デザイン学科の学生がひたすら形や色に特化した作品を制作していることは知られていないのではないでしょうか。そこについて、ホスピタルギャラリーがひとつの突破口をつくってくれたのではないかと思うんです。
形や色が抽象的な非言語の表現を通してプレゼンテーションされている展示に、たまたま通りかかった子どもは「かっこいい」「チョー好き」と、お年を召した方も「とっても気持ちのよくなる形でした」と感想ノートに書いてくれる。そこには、デザインを通したコミュニケーションが生まれている。そして、この国で美術やデザインに専心している若い人たちがいることを伝えることができる。作品を通して自分たちが色とか形を一生懸命追求している姿勢を見せることが、ひとつの社会連携になり、社会への貢献にもつながるのだと思います。
北崎:街の人は偉い先生の作品だと、そういうふうには見てくれないので、学生の作品だからこそという部分がありそうですよね。学生という社会のなかでの特殊な存在が、人々の注目を集めたり、共感を呼んだりすることにつながっている気もします。
板東:そうですね。高尚なモチーフやテーマでなく、トンボやテープカッターといった日常のなかで見るものをデザインしていますから、親しみやすい。知っているはずの製品やものがどんどん不思議な形に生まれ変わったり、新しいオブジェとして提示される。文房具屋さんで新製品を見て「あれ、なにこれ?」と驚くのと同じような敷居の低さもあるのかもしれません。

あえて未完成なものを展示することの意義
北崎:では、会場から質問を受けつけていきます。感想でもうれしいです。
――ムサビの職員です。長年プロジェクトを進めているなかで、学生の作品の傾向などが変化していると感じられる部分はあるのかを伺いたいです。
板東:まず、学生の意識についてはまったく変化がないと思います。「美大に行きたい」、「美大で学びたい」という学生は、色や形に対してものすごく貪欲な気持ちを持っていますし、さっきも言いましたが、人間の目や手は変わっていません。
ただ、3Dプリンター、バーチャル空間など新しいテクノロジーが美大にも浸透してきて、学生たちの手や目の動きが少し鈍くなってきているような危惧があります。
綺麗な円や球体をつくるといったことは、3Dプリンターだったら苦労することもないのに、自分の手では思うようにいかない。デッサンで球体を描くというのはそう簡単なことではない。そういうことも、「形態論」の授業のなかで経験してもらう。実を言うと、この授業が大嫌いになる学生もいるんです。立体は苦手だ、と。しかしながら、半年間、粘土を捏ねているとある日、目覚めるんですよ。「あ、いい形だ」「これが、好きな形だ」と。頭じゃなく、手がその感覚を知る。それまでは人の真似をしたり、悪戦苦闘していたのに、パッと覚醒して、俄然素晴らしい作品をつくり出すことがあります。そうした感覚を体得すると制作姿勢が変わってくる。その感覚を経験したときこそ、デザイナーに脱皮する瞬間だと思っています。
――視覚伝達デザイン学科の卒業生で、いま、デザイン情報学科で非常勤講師をしています。そもそも美大が持っている社会連携の可能性や種類は、どういう関わり方のタイプが考えられるか。また今後、どんな連携の仕方があったらいいと思われるかを伺いたいです。
若杉:クリエイティブイノベーション演習では、学生が無謀なことを言い始めます。たとえば「離島でクリエイティブハブをつくる」とか。おもしろいけど大変だろうなあと思う一方で、そのアイデアはすごい可能性を秘めていますよね。一次産業しかない場所にクリエイティブが入ることで、新たな価値や雇用が生まれる可能性がある。また、大学として、どういうふうに後方支援できるだろうか?と、我々のテーマにもなってくるわけです。彼女、彼らが発見した未来のために、大学で持っているネットワークや人材、あるいは資金も含めて、どう支援していくかという体制のデザインも、ものすごく重要で、やらなくてはならない。産学プロジェクトや研究所が持っているさまざまなリレーションが有効になっていくと思いますね。
刺激的で未来的な活動が学生の手によって生み出される。卒業して終わりじゃなくて、生涯にわたってともに未来をつくっていくデザインが存在すると思っています。

板東:僕は学生が美大にいる間、社会の役に立つというのは、全然、期待してないです。「作品制作に集中しろ、余計なことを考えるな」ぐらいの気持ちを持っている(笑)。だからこそ社会との連携を目指すCI学科が必要なんでしょうけどね。
ホスピタルギャラリーは当初、院内ではあまり歓迎されなかったと聞きます。医療現場にはもっと重要な施設が求められていますからね。予算も厳しいと。それでも、職員が2000人もいるような大所帯の総合病院のなかで、院長がどうしてもギャラリーをやりたいと引っ張ってくれました。だから正直な話、院長が交代して次の方になったら継続は難しいと危惧していたんです。ところが、次の院長になっても、その次の院長になっても継続で予算が下りた。そうして現在でも再来年までの予定が組まれています。
どうしてだろうと思って担当部署の方に聞くと、感想ノートに書かれた患者や付き添い、来訪者、職員の思いが院内に伝わったことが大きな理由だと。僕はご覧になった方々からものすごい財産をもらったと思いましたし、その反響を学生にもできるだけ伝えています。この取り組みについては、武蔵野美術大学出版局の『ホスピタルギャラリー』という本にまとめているので、ぜひ学生たちにも読んでもらい、「ああ、自分たちはこうやって社会に貢献しているんだな」と感じてもらいたいです。
ホスピタルギャラリーが生まれて17年が経ち、施設のリノベーションやメンテナンスが必要になってきました。そうなるとお金もかかるので、医局の先生たちからは「医療に予算を集中すべきだ」と厳しい意見も出てくる。それが大学病院の本来の使命ですから。
そうしたなかでも、毎年補助をいただきながら学生の作品を送り続けている。場所を確保して、維持しなきゃいけないと認めていただいているところが、社会貢献になっている証拠なんじゃないかなと思っています。こういうプロジェクトは長く継続していくことが重要で、一つひとつの展示を丁寧に行い、歴史を積み重ねることも、ひとつの社会連携の形だろうと感じています。

北崎:社会連携をするうえでは、私たちがここに存在し続け、外に目を向けながらコミュニケーションをとり続けることが大事なのだと思います。もちろん、意図的に企画をして介入していくのも大事だとは思うのですが、本質はそこではないですよね。デザインや美術といったものを発信し続けることで、思いもよらない出会いや効果が生まれていく。意図を持って動く部分と、オープンにして柔軟に受け入れていくことの相乗効果が、とても重要だということが見えてきました。
ですから、社会連携の種類はあえて定義したくないんですよね。「なるようになる」という姿勢で、でも、いつしか学生が「重要なのは、課題解決のためにものを売ることじゃないんだ」と気づけるようになる。あるいは、板東先生の授業を体験した学生が『ホスピタルギャラリー』を読んで、「ああ、こんな効果があったんだ」と発見する。そういう学生が育っていくんだなと、おふたりの話を聞いたうえで、共通点として見つけられました。
そして、1/Mで行う展示では、あえて未完成なものを出すことが重要なのかもしれないと思いました。たとえば1年生の造形総合展みたいな、授業を通した失敗や成功を見てもらうことも、取り組むべきことなのではないでしょうか。

板東:ぜひやってください(笑)。美大は卒業制作展をやりたがるじゃないですか。でも、一般の人や受験生は、むしろ「1年生、2年生ってなにやってるの?」ということに興味があるかもしれない。そのほうが完成度の高い卒制よりも生っぽくて、荒削りでおもしろい。世間的には美大はブラックボックスですよね。ところで、授業で課題を講評するときに、学生たちに上から目線で偉そうに「まだまだだね」とか「もっと仕上げを丁寧に」とか指摘するんですけども、実は作品から放たれるオーラに当てられっぱなしなんですよ。「うわ、この学生の作品すごい、俺よりすごい」とね。ムサビには才能が集まっています。その事実を公表するだけでも社会を豊かにし、文化に貢献するんじゃないかと思っています。
若杉:僕は事前に板東先生と話したときから、CIと基礎デはまったく対極のアプローチだけれども、通底するメッセージは一緒なんだなと感じていました。さらに今回の展覧会の企画を通して、「チクショー、悔しい」とか、「こういうデザインや芸術の広がりが、僕たちのなかには潜んでいるんだ」と、よりお互いが理解し合えたと思い、うれしくなりました。お客さんたちにも「美大っておもしろいね」「こんなに広がってるのね」と共感してもらえるような機会ができ、とてもよかったなと思っています。
北崎:ありがとうございます。時間も過ぎましたので、トークショーは以上にしたいと思います。おふたりとも、ありがとうございました。