「美術好き」を増やすには?
どうしたら受験生が本学に興味を持ち、本学を志望してくれるだろうか。私たち大学関係者は、常にそれを考えている。よって必然的に受験生がいる高校には関心が向く。そして受験者確保のための様々なイベント、高校訪問や地方開催の受験説明会に出向いては大学の魅力を大いに語ってくる。さて、美大を目指す受験生は、いつ、どのように、美術と出会い、美大受験に向かったのであろうか。そこについては不問で、一人ひとりに美術を志した理由を問う前に、慌ただしく新学期がスタートしてしまうのだ。
私事であるが、美術に明確な関心を持ったのは中学3年だった。長野県の小さな村の中学校にムサビ出身の先生が新たに赴任してきた。1年生と3年生の時に、それぞれムサビ出身の先生に教わったが、どちらもとても楽しい授業であった(2年生の時は美術の免許を持たない音楽の教員に教わった)。私は2人のムサビ出身の美術科教師によって、武蔵野美術大学という美術の大学があることを知り、美術で生きるという選択もあることを知った。
教職課程という仕事柄、全国各地の多くの美術科教師に出会い、彼らの話を聞く機会がある。中学校の教師は、美術の時間数が少なく充実した授業ができないことを嘆き、高校の教師は、各校から専任の教師がいなくなり、非常勤に移りつつあることを訴え、さらに工芸を開設する学校の少なさに、工芸教育の未来を悲観している。高等学校は芸術科の選択科目として美術や工芸が開設されているので、美術や工芸を通してすべての生徒に関わることができない。中には工芸はおろか、美術の選択科目すらない学校もある。
そのような状況を改善すべく、昨年、美術教育に関心を持つ団体を集め「全日本美術教育会議」註1を立ち上げ、文部科学省に提言を行った。美術教育の学会、研究団体をはじめ、会議メンバーには一般社団法人日本美術家連盟や、公益社団法人日本広告写真家協会(APA)、また、大日本印刷株式会社(DNP)、TOPPAN芸造研株式会社などの企業も参加している。全国の美術教育に関心のある研究団体や企業などが、国に対して意見できる会議にしていく必要がある。
さて、いかにして美術に関心を持つ人口を増やしていくかであるが、学校教育の充実が大きな鍵を担っている。それは美術大学進学者を増やすに限ったことだけではない。美術品を購入したりする、美術を消費する人口にも関わってくる。すなわち「美術を愛好する大人づくり」である。
中学校美術の教育が、全国民に働きかけられる義務教育としての最終段階であることを考えると、大学関係者は受験生へのアプローチと同等に、中学生に対しての働きかけにも目を向けなければならないだろう。中学卒業までに美術の楽しさに触れることができれば、高等学校の芸術で、音楽や書道ではなく美術や工芸を選択するだろうし、たとえ美術を選択できないにしても、美術に関心を持ち続けることができるだろう。
子どもたちの進路に関する多くの情報は美術科教員が提供し指導している。ムサビの卒業生は、子どもたちにかつて学んだ母校の話をし、
さて、現在、全国の中学校の43%(約4000校)で美術の免許を持っていない教員が美術を教えている実態があるのをご存じであろうか註2。義務教育の中学校段階において、美術の魅力を十分に伝える必要があるというのに、この実態を打破する方策は何かないのだろうか。
「旅するムサビプロジェクト」もうすぐ20年
「旅するムサビプロジェクト(通称:旅ムサ)」を始めて
彼は「中学生は教科書でしか作品を見たことがない。彼らに実物の作品を見せたい」と言った。
子どもたちに実物を見せたいという思いは、教職課程の学生が自らの作品を持参することで実現した。学生にとっても中学校現場を見る機会になるのでWin-Winの関係になる。実際に学生にとって学びの多い機会となった。そして、この、学生が自作品を持って各学校を訪ね、鑑賞授業に参加する取り組みを「旅するムサビプロジェクト」と命名し、美術教員のメーリングリストに流してみた。すると早速3校からオファーがきた。初年度はこの3校から始まり、今まで訪れた学校は600校を超えている。プロジェクトを始めてから何年かして、学生のアイデアから生まれた「黒板ジャック」が旅ムサに加わった。

たまたまNHKの「おはよう日本」で黒板ジャックが放送され、それを機にすべての民放のキー局から取材を受けることになる。その結果、テレビCMにやたら黒板アートが登場するようになった。

さらに、旅ムサの企画は、学生が地方に滞在しワークショップなどに取り組む「旅ムサステイ」が始まり、全国各地から呼ばれるようになってきた。



ちょうど先日、私は、鹿児島県奄美市立崎原小中学校で子どもたちと壁画制作をして帰ってきたところだ。この壁画制作も3年目。校長や地域の方々と来年も行う約束をしてきた。
この崎原小中学校は学区の子どもは3人しかいない。小規模特認校制度を申請して、近隣の学校から希望者を集めて学校を維持している。地域の方々も一緒に学校を支えている。まさに今、多くの学校が取り組んでいるコミュニティースクールそのものだ。
奄美大島での活動はすでに

旅ムサは現在、年間約
これまでの卒業生には黒板ジャックにはまり、黒板アーティストとして起業した学生や、企業面接で「黒板ジャックをやっていました!」と答えて採用された学生、もちろん教員採用試験では、旅ムサに取り組んだ学生は対話鑑賞で鍛えられたファシリテーション能力を発揮して、
この旅ムサは、私にとっても重要な研究となっている。旅ムサから生まれた気づきは、大学の共同研究や外部研究費の取得につながり、新たな美術教育の活動をも生み出しだした。その一つが「朝鑑賞」である。
「朝鑑賞」を育てる
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朝鑑賞は、担任をはじめすべての教員が、週に1回程度、朝読書の時間に全クラスで絵画作品などを見る

長年の研究の結果、たった


左:三澤一実編『ひろがる鑑賞』武蔵野美術大学出版局、
右:三澤一実編『造形実験』同上、
また朝鑑賞は、作品鑑賞のファシリテーションをする学級担任などの教員の資質能力の伸張にも大きな効果がある。鑑賞の実践により、子どもの発言を聞く力が身につくのである。すなわち対話力が備わるのである。今日のような未来が見通せない時代、
現在、行政にも協力していただき、長野県東御市の市内全小中学校で朝鑑賞に取り組み、その成果を検証する社会実験を行っている。そして、この取り組みは長野県教育委員会を動かし、県内のすべての教員が受ける研修に対話鑑賞を取り入れることにもつながった。この取り組みを全国に広げていきたい。

この朝鑑賞には隠れた狙いがある。それは前述の中学校の43%の中学校の生徒、約1
多様な美術の魅力を知らない子どもたちは、進学においても、絵が上手でなければ美術という選択はないと思っている。その規準は、きれいで形がしっかりとれていて、誰が見てもわかる絵なのである。朝鑑賞を通して子どもたちは、表現は一人ひとり異なるもので、多様な表し方が存在し、その人との違いが価値を持っているということを知っていく。そして、作品を見ること、表現することの楽しさに気づいてもらいたいと考えている。全国にこの朝鑑賞が広がれば確実に美大の受験生は増えるだろう。現在、ムサビのウェブサイトに朝鑑賞のサイトを立ち上げる準備をしている。そして全国で朝鑑賞シンポジウムを企画している註3。
ムサビ中学生チャンネル
中学生に美術の楽しさを伝える取り組みは、学内の共同研究「中学校における美術教育支援ツールの開発と配信」
この企画は、
さて、本学の教授陣には、願わくば実際に中学校に赴き、授業をしていただきたいところだが、それは負担が大きすぎるので、画面を通して5分間の動画で授業の導入をお願いする。ムサビの教員は美術やデザインの魅力を誰よりも熟知し、最先端で活躍していると言っても過言ではない。そのような教員が中学生にわかりやすく美術の授業提案ができたら、子どもたちはどのように感じてくれるであろうか。


左:
右:吉川民人先生の完成動画から
このサイトは中学生を対象としながらも、新任の教員や美術の免許を持たない教員に向けて制作している。それは専門外の美術を担当し、授業づくりに困っていたり、かつて自分たちが学んできた古い価値観の美術教育を再生している先生に、時代に合わせて教育観を更新してもらったりする意図がある。もちろん熟達した教員も十分に活用できる内容となっている。ムサビ中学生チャンネルで学んだ中学生は、美術大学という進路があること、美術を通して自己表現や社会と美術を結ぶ学びが出来るということを知っていくのである。
現在GIGAスクール(Global and Innovation Gateway for All)という構想の下、日本中のすべての学校の生徒にタブレット端末が支給されている。つまり、授業中、授業外でも、いつでも「ムサビ中学生チャンネル」にアクセスできるのである。そのムサビ中学生チャンネルから、ムサビの「教員プロフィー
これからのムサビの教職課程
ムサビの教職課程については、帝国美術学校の師範科にまで遡る長い歴史があり、ここでは書き切れないので割愛するが、これからのムサビの教職課程についての展望を書いてみたい。まず、20
これまで教職課程研究室は各学科が出す中学校「美
今日、激変する社会の中で美術がこれまでの絵画や彫刻、デザインや工芸という領域にとどまらず活動を拡張し変化してきているのに対して「教職課程が扱う美術」は未だに過去の概念のままで止まっている。美術を学ぶ専門大学としては、未来の美術教育実践者を輩出する上でも、俯瞰的に美術教育を捉える視点が重要となってきたのだ。
このような名称と実態の乖離を埋め、新たな美術教育を創出する美大の役割を捉え直してみると、時代に合った適切な名称が必要である。これまでの研究室の活動も高橋陽一教授の造形ワークショップ研究や、先に述べた「旅するムサビプロジェクト」
そしてこれまでの本研究室の取り組みは、中学・高校の進路指導で「教職をとるならムサビ」という言葉も生んでいる。これは本研究室の教員が公の仕事や、全国の小中学校及び高校の現職教員に献身的に関わり、常に新たな提案をし、美術の楽しさを伝えてきた成果だと自負している。
今日、全国の教育大学が中学、高校の美術、工芸の免許取得課程や大学院の美術教育専攻を廃止、縮小してきている。ムサビの教育活動はその補塡や新たな提案をし続ける役割があり、まだまだ大きな伸びしろが期待されている。研究室名に新たに加わった「美術教育」という名称には、その期待と責任、そして可能性が入っている。
美術は常に創造的であるべきだ。ムサビの美術教育・教職課程研究室も常にクリエィティビリティーを持ち続けなければならない。私たちは今日の硬直した教育に対して、美術からのアプローチで日本の教育を変えていく人材を輩出していくミッションを担っている。










