人体彫刻を通して向き合う「ものを見る」ということ

 

伊藤先生はご自身もムサビの彫刻学科のご出身ですが、先生が学生だったころの彫刻学科はどんな学科だったのでしょうか

今も昔も、おそらく学生たちは自分が考える「彫刻」のイメージがあって、それぞれの動機で彫刻学科に入ってきています。私が学生だったころは入試がデッサンだけだったので門戸が広く、今もそうですがいろんな学生が集まっていました。ただし、自分のオリジナリティや作家性を追求していきたいと思ったとしても、カリキュラムは現在のような多様なものではなく、人体塑像が中心。また大学全体として、ムサビはリベラルアーツの色合いが強い美大でもあるので、当時から専門領域だけでなく、それ以外の領域も基礎として身につけるカリキュラムでした。

そのころ、1~2年の基礎課程はヌードモデルをモチーフにした人体の習作がほとんどで、ゲスト講師による木彫や石彫の選択授業もありました。

外から見ると、人体彫刻こそが彫刻だと考えている大学のように思われていたかもしれません。でも何を考えて作っていたのかを思い返してみると、当時流行っていたジャコメッティが「見えるものを見たままに」作ることを追求したように、本当に自分が見えているように作ることができるのか――そんな会話を交わしていたように思います。今考えると、真面目でしたね。

人体の表面的なリアリティを追求した彫刻というわけではないので、下手で泥臭い印象があったと思います。ムサビの彫刻学科は帝国美術学校創設のときから長年にわたり指導にあたった清水多嘉示教授の影響があり、フランスでの師匠であるアントワーヌ・ブールデルのようなコンストラクションを重要視する傾向がありました。それは人体の表面上の美しさよりも、「立つ」という構築性を見つめる制作であることで、そんなことも真面目な泥臭さを印象付ける側面だったと思います。おそらく彫刻学科だけでなく、ほかの学科もそうだったと思いますが、当時はあまりオリジナリティのことは言わなかったんですよね。どちらかというと大学での制作はすべてがスタディを重視したものだったと思います

1980年代、Aコースの制作風景。学生が使用している粘土ベラは通常のものよりも大きく、「清水多嘉示の師匠であるアントワーヌ・ブールデルが使っていたものを、清水が特注で作って広めたという逸話があります」と伊藤先生

3年生になるとAとBというふたつのコースに分かれました。木内岬教授の担当するAコースは人体塑像に特化したコーで、チーフの人間から目をそらさない厳しい態度を求められるコースだったと思います

一方でBコーは、人体彫刻ではない表現を主とした現代美術のコース。私はこちらを選択しました。同時代は常に意識しますが、時流に左右されすぎないカリキュラムを意識していたと思います。具象のAコースに対して「抽コース」と言われたこともありましたが、Bコースを担当していた最上壽之教授はそれに対して否定的で、私が在学した当時の学科パンフレットには、現代美術の可能性として、既存の造形をも超えてさまざまな領域を越境するような「基礎」を目指しているように書かれていました。これは時代によって「先端」とか「創造」とか、そのときの気概を反映するように変わっていきましたが、今考えるとコンテンポラリーに対する強い意志の表れである気がします

そのなかで、鉄を扱う「鉄習」という授業がありました。鉄を溶断したり溶接したりして立方体や三角柱を作るという、技術鍛錬のような内容です。同じ立方体が並ぶだけなので、人体彫刻を専門とする先生からは「技術の練習だ」と言われましたが、私は同じ立方体が全く違う立体に感じました。感触が違うのです。私はそのときに、これは人体彫刻と同じく基礎と言えるのではないかと思いました。どちらも実技の実習とも言えますが、そう考えると、人体彫刻で身につく造形の基礎とは明らかに違う、別系統の基礎が見えてくる。それが、私が大学生のときの彫刻との出会い方だったと思います

カリキュラムの変化と彫刻を通して培う基礎の力

 

ムサビの彫刻学科は、いろいろなことにつながる基礎がカリキュラムの軸にあったということですが、ほかの大学もそういう傾向だったのでしょうか

基本的には「彫刻学科」というものは彫刻を専門に勉強するところなので、その授業が多くて多様なほど魅力的な印象を与えると思います。ほかの大学のことはよく知りませんが、私は当然この路線をとっているという認識でいます。それに対してムサビは彫刻以外のカリキュラムが必修であり、大学全体のカリキュラムの特徴として教養というか、リベラルアーツ色が強いのだと思います「専門的に学べる」という期待からすると不本意なことかもしれませんが、それをどう捉えるか。おそらく、どちらが自分にとって自由に学べるかということでしょうね。現在の造形総合科目の歴史はそのためにあったと解釈しています。学生全員が他学科の領域に興味があるわけではなく、専門性を削がれているというふうに捉える学生もいるかもしれませんが「専門の先」を考えたときにどうなるか。そう考えると、結構ラディカルですよね。ただし、美大で、教養を重んじるといったときに、「美術も教養だ」という印象を与えてしまうのは損をしているような気もします

 

伊藤先生は造形総合の授業で他学科の学生も教えていますが、他学科の学生への教え方で気をつけていることはありますか?

そのときの学生に対峙してみないとわからないのですが、受講する学生の専門性に合わせた授業をすることは烏滸がましいと思っています。もちろん、彫刻学科の学生と他学科の学生とでは、説明の仕方は変えています。たとえば彫刻の型取りを説明するときに「キャスティング」という言葉が出てきます。彫刻学科の学生はわかるけれど、ほかの学科の学生には通じないですよね。そういうときには、その言葉がイメージしやすいように共有できるたとえなどを交えながら説明していきます。同じように教えようとしないで、いろんな学生がいる場に遭遇したときに、その場に応じて教え方も変えていったほうが、自分にとっても刺激になるし、勉強になるかなと思っています

 

今のムサビは、先生が学生だったころに比べると、かなり多様なカリキュラムになっていると思います。人体彫刻が基本だったという彫刻学科もずいぶん変化しましたね。

どこまでを彫刻と考えるかゴールとしてどのような将来を目指すのかは、私の学生時代と教員として関わり出した時代とでは違うと思います。私の入職時は、それを考えて制作してゆく環境やカリキュラムも検証が必要になっていました。

当時の90年代末は研究室としていろいろ解決しなければならない問題があって、ひとつは基礎課程においては、スタディを重視する反面、表現の多様性を犠牲にしてきたところが表面に出てきたこと。専門課程においては表現の追求に対して制作環境が合理的になっていないということです

90年代以降にはすでに絵画と彫刻のカテゴリーを超えた表現も当たり前にあったので、そのなかで「彫刻とは何か」を問うためにはより広いアプローチが必要になっていました。それにオリジナリティの追求は、スタディが当然だった過去よりも厳しいものになっていたと思います。Aコースは人体だけでなくほかのモチーフを探し出したり、多様な素材を取り入れたりするなかでBコースの環境を求め、Bコースはデジタルや映像を取り入れようとしていたり、ほかの学科や批評家との指導連携を探っていたりしました。

在、彫刻学科の3年次で行われている授業「彫刻H[プランニング/エクササイズ]」。これから作ろうと思うものの試作や習作、あるいはそのヒントになるようなものをできるだけ多く制作し、プレゼンテーションする
 

彫刻学科のカリキュラムはどのように変化してきたのでしょうか?

私がムサビに教員として関わり出したときの変化は、まず基礎過程のカリキュラムの多様化、次に専門課程の指導体制。それに付け加えるとすると、外部の学科や批評家を加えた展示計画と、3年次の講義科目「表現演習」でしょうか

基礎課程については、私はムサビの教員になる以前はBゼミ(現代美術ベーシックゼミナール)で講師をしていて、ほとんど設備のない環境で毎週異なる実習や演習を行っていたので、多様な実技を考えるのは比較的慣れていました。

専門課程の変化としては、私が教員としてムサビに関わり始めた2002年くらいから、Aコー(人体彫刻コース)とBコー(現代美術コース)の現実的な解体・統合を始めました。コースの統合については当初ネガティブな意見がありました。理由は、受験生にとっては人体彫刻と現代美術という専門性で分かれていたほうが志望しやすいということ。すべて一緒にしてしまうと、専門性が緩くなるのではないかというような危惧もあったようです。これに関して幸運だったのは、現在では2〜3年計画でコースの統合を行ったのですが、新校舎の建設が同時期に起こっていて、学生が専門工房を跨いで制作できる「連携する工房」システムを、研究室がひとつになって考えることができたことです。統合してよかったのはそこですね。いずれにせよ、コースによって教員が分断すると議論が深まらないのです

コースを合体した後の課題は、基礎課程から工房を駆使した自由制作に至るカリキュラムです。これは現在も研究室で議論しながら更新し続けています。学生各自が自由にものを作れる力と、それぞれの表現をステップアップしてゆくための体制については、これまでのように「具象」「現代美術」を分けるのではなく、オリジナリティの追求か、目的のためのスタディか、実験的な制作かなど、学生から提出されたプランニングを研究室で共有して複数の教員でミーティングを重ねています

 

普段の指導や講評のときに、意識して学生に伝えることはありますか?

昔は美大の先生はあまり指導をしないイメージがあったかもしれません。おそらく「作家である」ことが、評価基準の基点であるような暗黙の了解があったのでしょうね。今はシラバスがありますし評価基準も明確です。私は、留学生が増えているというのもありますが、1〜2年の基礎課程では基本的にカリキュラムごとにペーパーを渡して、手順や評価基準について誤解がないように説明しています。また、ひとつの課題に関わる先生が複数いて、違うことを言ったりしますが、その違いのおもしろさを理解してもらうためにも、評価の基準は明確にしています。そのうえで講評では自由に喋ってもらうようにしています

専門課程では上の学年になるほど「講評」よりも「批評」。「よくできました」ではなく「どこが違うのか」でしょうか。デザインは社会のなかでいろんな人が関わって成り立っているものですが、彫刻はあまりそういうことを意識しないで自分が好きなものを作れるという側面があるかもしれません。も、ものを具現化していくためには、結局自分以外の人との関係が必要なんですね。それは意識させるようにしています。たとえば3年生なら表現のオリジナリティのような話のなかで歴史的な捉え方が必要でしょうし、4年生になると展示に係らせる授業になるので、具体的になぜその場所なのか、どういう人たちに関わってもらう必要があるかなどです

時代とともに移り変わる現代美術の世界。変わらずあり続ける問いと基礎

 

美大のなかで絵画や彫刻という枠組みがもしなくなるとしたら、大学にはどんな変化が起こるでしょうか?

この枠組みがないのは、コンテンポラリーに特化した学科であれば当然のことですが、まず「なぜ枠組みをなくしたのか」ということについての美術史的な認識は必ず必要でしょうね。それから、この枠組みをなくしたとしても、絵画とは何か、彫刻とは何かについて、現在とは異なる視点を得ることで、それらの概念に活気を与えることになればいいと思っています

カリキュラムとしては、どう表現するかという、いわば「出力」の優劣よりも、「現実」をどのように汲み取ったかという個々「入力方法」が重要になってくると思います。そうなると「よくできました」ではなく「こんなものは見たことがない」を評価する基準が厳密になると思います。これに関しては多様な意見を汲み取る環境が必要で、現在のカリキュラムからも移行できることだと思いますが、講評会も教員が一方的に評価するようなものではなく、経験に関係なく学生のディスカッションを可能にするような、多様な問題の汲み取り方が指導側に求められるのではないでしょうか

 

時代によって基礎に対する考え方が変わっていくと思いますが、彫刻教育のなかで変わらない基礎というものはありますか?

これは彫刻学科に限らないと思いますが、どの時代になっても絶対について回るのは「疑う見方」だと思います。自分の見ているものに対して「本当にそうかな?」をかたちにすること。さらに「彫刻」という領域を考えた場合、「自分以外の人が見ている」ことも重要です。単純な話ですが、絵画のように平面的なものであれば収納が簡単かもしれませんが、彫刻の場合、都合よく畳んで収納することができません。出しっぱなしです。つまりみんなが見るものをつくっているのです。自分だけが見るものではなく、自分以外の人に見られるものをつくっているというのは基本的な前提だと思います

それから「模倣」の考え方も基準になるのかもしれません。現実をどう模倣するのか、その場合、何を「現実」と考えるのか。無意識に生まれたものでも何かを模倣しているか疑ってみるプロセスも必要かもしれません。

 

「疑う見方」というのは、目の前にあるものを疑うということでしょうか?

基本的に「思い込み」は自分自身ではわからないんですよ。たとえば人体彫刻のスタディばかりだったAコースの卒業生のなかには、現在教授である冨井大裕のようにコンテンポラリーで活躍している作家も少なからずいます。だからといって、人体彫刻が全ての基礎ということにはなりません。「見ることを疑う」ということは、今自分が制作していることをも疑う、つまり現実的には作れなくなってしまうということも意味する孤独なプロセスです。でもそれが別のステージに引っ張り上げてくれることにもなります。その「きっかけ」がある環境かどうかは、割と重要な問題だと思っています

たとえば彫刻の場合、講評で学生の作品の置き方を「こっちのほうがいい」と天地をひっくり返す教員がいたとします。それに反発する学生もいれば、納得する学生もいますが「何が違うのか?」「どういう根拠で?」という疑問を実際にぶつけるもう一人の意見さえあればいいですね。目的に対する方向性を示すというよりも「作品に対して疑いを持てる場」として新たな展開に至ると私は解釈しています

 

2025年9月8日(月)からは、武蔵野美術大学 美術館で伊藤先生の退任展「夢を見るための機械」が始まりました。どのような展示になっているか教えてください。

過去の作品から現在までを網羅した展覧会です。性格の異なる4つのスペースでの展示で、制作年代ごとには分けず、現在の視点で同じスペースに展示しました。あらためて見ると、この40〜50年でやっていることが全然変わっていない。しかしどの時代も、作品には日常に流れている時間とはまったく違う時間が流れているんです。その、いつもと違う時間の流れを感じていただければいいなと思っています

「夢を見るための機械」というタイトルですが、これは「誰が見る夢か」というのがポイントです。当然作者ではなく見る側の深層で、とてもプライベートなもので共有できないものもあります。それに働きかけて共有させる「機械」。彫刻というよりも、そんな矛盾するものを作るエンジニアとして、自分のバラバラな傾向の作品を位置づけてみました。

た、9月13日(土)からは神楽坂にあるMaki Fine Artsで個展がスタートしました。新たに関わるギャラリーでの新作展で、こちらはいわば私のデビュー展となります。併せて見に来ていただければうれしいです

伊藤誠

いとう・まこと

1955年生まれ。武蔵野美術大学大学院造形研究科彫刻コース修了(修士1999年4月、本学に着任。1980年代初頭より島田画廊、双ギャラリー、村松画廊などの企画で個展を継続的に開催するほか、多くのアートプロジェクトやパブリックアート制作に携わりながら現在に至る。1993年ACC奨学金により渡米、〈Triangle Artists’ Workshop〉に参加。1996–97年文化庁在外研修員としてアイルランドに滞在。2005年タカシマヤ美術賞。著書に『かたちのつくりかた』(武蔵野美術大学出版局、2025年『ぺらぺらの彫刻』同、2021年、共著『わからない彫刻 つくる編』同、2023年、共著)ど。作品の主な収蔵先に、東京国立近代美術館、宇都宮美術館、千葉市美術館、愛知県美術館、豊橋市美術博物館など。


伊藤誠――夢を見るための機械

会期

2025年9月8日(月)10月26日(日)

休館日

水曜日

会場

武蔵野美術大学 美術館
https://mauml.musabi.ac.jp/museum/events/22463/

伊藤誠遠くの場所

会期

2025年9月13日(土)10月12日(日)

定休日

月・火曜日

会場

Maki Fine Arts
東京都新宿区天神町77-5 ラスティックビルB101(地下1階)
https://makifinearts.com/exhibitions/ito_2025/