民俗学者・ 宮本常一が構想した「民 族文化博物館」
武蔵野美術大学美術館 ・ 図書館は、 美術資料として約9万点の民具を所蔵し、 民俗資料室において、 展示・ 公開などの活動を行っている。 生活文化の造形アー カイブとして、 美術・ デザインを学ぶ学生たちが 、収蔵庫公開日にメモやスケッチをしながら民具を熟覧している。
このコレクションは、 初代の民俗学教員である宮本常一名誉教授(在職: 1964–77年 ) が 、当時の学生や若者たちとともに活動した、 武蔵野美術大学生活文化研究会(19 66年 発足) と近畿日本ツー リストの設立10周 年記念事業として始められた日本観光文化研究所(1966–89年 、以下「観 文研」 ) で収集した民具が基幹となっている。
観文研の民具収集活動は、 そもそも19 75年 に東京都内に「民 族文化博物館」 を開設することを念頭に始められた。 「民 族文化博物館」 は、 日本の生活文化の造形を一堂に通覧できるものとして計画されたが 、それは中学校・ 高等学校の修学旅行と深い関係がある。 修学旅行は、 戦前から師範学校や旧制中学校などで行われ、 第二次世界大戦中は伊勢神宮への参宮旅行などであった。 戦後の民主的な教育においては、 19 58年 の学習指導要領に「学 校行事等」 が設けられることで、 修学旅行が教育課程に位置付けられ、 公立のみならず私立学校へも定着していった。 観文研が設置される前夜の19 64年 には、 東海道新幹線が東京〜新大阪間で運行を開始し、 長距離を団体旅行で移動する修学旅行が広がっていった。
観文研を設置した近畿日本ツー リストの 、当時の副社長であった馬場勇は、 新しい博物館を修学旅行に出かける生徒たちの研修施設として位置付けていたという。 宮本常一は、 観文研の活動を通じて、 一人ひとりが探究心を持って、 その土地にある潜在的な文化をみずからの眼で発見するような旅の普及を目指していたので、 東京や関東の生徒が 、旅の準備として文化の「ミ カタ」 を鍛えるような研修施設の建設に賛同したのであろう。
しかし、 19 73年 に勃発したオイルショックで、 近畿日本ツー リストも大打撃を受け、 「民 族文化博物館」 のための収集や準備活動はこの年をもって停止が宣告された。 博物館建設は品川駅にほど近いホテルの建設敷地内に設置されることが確定しており 、移築展示される八王子の旧家の部材も運び込まれ、 まさに建設が着手されようとしていたところに、 プロジェクトが凍結されたのであった。 さらに、 この博物館建設の牽引者であった馬場勇が 、当初博物館開館とした19 75年 の前年に病死し、 博物館構想は完全に頓挫した。
「民 族文化博物館」 は、 国立民族学博物館(大阪府吹田市) や国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市) が創設される以前に、 民間で構想された文字通り幻の博物館であった。 計画凍結後も民具収集は進められ、 そのコレクションは最終的に武蔵野美術大学にもたらされたのである。
若者に旅をさせる壮大な実験
観文研は、 さまざまな事業を行い、 そこには宮本常一のもとに集ったムサビ生のほか 、他大学の学生・ 卒業生も数多く参加した。 現代の視点に立てば、 それは若者に旅をさせることで、 よい旅のあり方を社会に示すための壮大な実験であったと言える。
19 85年 に作成された『日 本観光文化研究所要覧』 には、 「知 的な旅の創造」 と題した挨拶文で、 観文研の活動の趣旨が述べられている。 宮本常一の旅についての遺志を継いだ当時の神崎宣武所長や 、所員・ 同人という形でそれぞれのスタンスで活動に参加した若者たちの思いが凝縮されており 、それはまた、 現在武蔵野美術大学に所蔵されている民具コレクションの思想とも言える。
人間の生産以外の行動の意味を見直したい、 そしてもっと “いい” 旅を探し、 その環境を整え、 情報を用意したい。 それは旅人にとって “いい” だけでなく、 迎える方― 地方にとっても、 “いい” 旅でなければなりません。 単に経済的な側面で “いい” のではなく、 むしろ社会的、 文化的な地方の再建につながるものでなければなりません。 良し悪しは最終的にはみんなが決め、 歴史が判断することです 。それでも今みんながおもろがっている旅以外にも提案すべき旅の仕方はもっとあるはずであり 、より充実した旅をさせるものの見方や楽しみ方があるはずであり 、それを進めるためにしなければならないことはたくさんあるはずです 。 それは机上の作業ではできません。 実際に旅をし、 体験し、 資料を集める中から見つけ出すべきものです 。何年かの試行錯誤の末、 研究所はみずから歩きまわることを基本的な方針としました。
『日 本観光文化研究所要覧』 19 85年 、「知 的な旅の創造」 より抜粋
『日 本観光文化研究所要覧』 19 85年 の表紙
同書によると当時の観文研の活動は、 有形・ 無形の資料や文化財の調査、 地方博物館の設立や協力、 映像・ 写真記録や番組制作、 地域開発コンサルティング、 出版や公開講座、 そして一般向け雑誌『あ るく みる きく』 や研究紀要の刊行など、 非常に活発で幅広く展開されていたことがわかる。
幻の博物館の仮想展示室
民具収集は、 この19 85年 時点では「民 族文化博物館準備室」 として千葉県松戸市の収蔵庫で資料整理が進められていた。 当時の「有 形民俗資料の調査」 事業は、 「陶 磁器」 「竹 細工」 「郷 土玩具」 「織 物」 「石 造美術」 「民 家・ 集落・ 町並み」 をテー マとしていた。 このうち「石 造美術」 は石塔や磨崖仏の調査、 「民 家・ 集落・ 町並み」 は本学の相沢韶男名誉教授(在職: 1977–20 14年 ) による福島県の大内宿の調査・ 保存活動などであり 、これにもムサビ生が数多く参加した。
①陶磁器
幻の「民 族文化博物館」 の展示は、 本学の民俗資料の主要な資料群にそのまま対応する。 観文研の民具収集は、 調査項目に挙げられている「陶 磁器」 「竹 細工」 「郷 土玩具」 「織 物」 という素材ごとの項目で大きく分類されている。 実際、 生活文化や流通などを示す陶磁器・ 竹細工・ 染織が集中的に収集され、 写真家・ 薗部澄の郷土玩具コレクションも一括寄贈された。
武蔵野美術大学共同研究「美 術大学における民俗資料の活用をめぐる基礎的研究」 (2020–23年 度、 研究代表者: 加藤幸治) では、 「旧 民族文化博物館コレクション」 の全体像を把握し、 美大ならではの教育・ 研究への利活用の可能性について検討し提言をまとめることを目的として進められた。
この中で、 デザイン情報学科の大石啓明准教授とともに行ったのが 、フォトグラメトリー の技術による民具の3Dデー タ計測と、 それを用いた映像作品の制作である。 今回の国立民族学博物館の特別展でもその一部を映写しているが 、そのサンプルとして選んだのが貧乏徳利であった。
民具の価値は、 1点ごとの個性と同時に、 「群 としての民具」 によって、 生活文化のあり方や変遷を明らかにできるところにある。 本学の民俗資料においては、 貧乏徳利を10 00点 以上を所蔵しており 、この実験により同じものを数多く収集することでしか現れない、 造形の魅力や個性が一目瞭然となった。 3D計測では、 眼で見ているだけでは見過ごしてしまうような差異にも着目することができる。 すぐに伝統的な民具実測図に代替するものとはならないが 、民具コレクションから新たな可能性を引き出す研究として継続していきたい。
上: 特別展「民 具のミカタ博覧会― 見つけて、 みつめて、 知恵の素」 2階展示より下: 3D計測に基づく貧乏徳利の映像展示より(制作: 大石啓明)
②竹細工
観文研は雑誌『あ るく みる きく』 以外にも、 子ども向けに書かれた日本地誌である『新 日本風土記』 シリー ズ20巻(国土社、 1974–79年 ) 、 民具研究の入門書『民 具学の提唱』 (未來社、 19 79年 ) を含む「民 族文化双書」 など、 数多くの出版活動を行った。 さらに海外出版物として刊行された『J apanese Bamboo Baskets: The Beauty of Everyday Objects』 (Kodansha International Ltd., 19 82) は、 観文研の竹細工のコレクションで構成されており 、写真表現によって民具の新たな表情を浮かび上がらせる実験的な書籍であった。
竹細工の資料収集は当時は観文研所員であった工藤員功(のち、 本学職員) が中心となり 、全国の竹細工産地に出向き、 そこで制作されているものを買い集めるだけでなく、 制作過程の記録やかつて作られていたものの復元、 実際に使われている民具の収集なども行ったという。 全国規模で収集することで、 竹そのものの種類の地域性や 、素材としての扱いの柔軟な工夫、 生活から生まれた道具の造形の多彩さが表れている。 そこには、 自治体単位での収集が通常の地域博物館の民具収集では決して見出せない、 日本文化の多様性や文化伝播のダイナミズムを見てとれる。
『J apanese Bamboo Baskets: The Beauty of Everyday Objects』 Kodansha International Ltd., 1982(表紙)
特別展「民 具のミカタ博覧会― 見つけて、 みつめて、 知恵の素」 2階展示より
③郷土玩具
現在、 武蔵野美術大学に所蔵されている民俗資料の郷土玩具は、 写真家、 薗部澄氏の収集品が母体となっている。 薗部澄は、 木村伊兵衛、 名取洋之助に師事し、 戦中から戦後の日本において、 一貫して人と自然とが織りなす風景を撮り続けた写真家であり 、独自の視点から郷土玩具や民具の撮影に取り組んだことで知られる。
特別展「民 具のミカタ博覧会― 見つけて、 みつめて、 知恵の素」 1階展示より
彼が民具を撮影した最初の仕事が 、『日 本の民具― 渋沢敬三先生追悼出版』 全4巻(慶友社、 1964–67年 ) であった。 本書は、 戦前の渋沢敬三が主宰したアチック・ ミュー ゼアムが収集し、 その後、 文部省史料館を経て国立民族学博物館に移管された民具コレクションの図録である。 解説は、 宮本常一、 遠藤武、 宮本馨太郎、 桜田勝徳、 八幡一郎といった、 アチック・ ミュー ゼアムの民具研究・ 風俗史研究の中心的なメンバー が執筆し、 19 63年 に亡くなった渋沢敬三を追悼している。
この仕事から、 民具や郷土玩具の魅力を発見し、 またおそらくは自身の独自な撮影法の有効性を確信し、 その後、 数多くの郷土玩具の写真集を出版するのである。 内容的にも伏見人形を代表とする全国の土人形や 、三春張子などの張子人形と面、 達磨、 土鈴、 凧、 木地玩具やこけしなど、 郷土玩具や民俗造形のあらゆるジャンルにわたって収集し、 撮影した。
『日 本の木地玩具』 監修: 菅野新一、 写真: 薗部澄、 編: 季刊「銀 花」 編集部、 文化出版局、 19 76年
今回の国立民族学博物館での特別展「民 具のミカタ博覧会― 見つけて、 みつめて、 知恵の素」 では、 同館友の会のイベントとして第139回 東京講演会「み んぱく✕ムサビ『 民 具で継ながるコレクション』 」 を20 25年 5月24日 (土) に本学市ヶ谷キャンパスにおいて開催する。 この関連イベントとして、 社会連携拠点1/M(イチエム) にて、 学芸員課程の学生による写真展「ム サビ・ コレクション 薗部澄が撮影した民具」 と題して、 本学美術館 ・ 図書館 民俗資料室で保存されている写真パネルの特別公開を行う予定である。
ムー サ(博物館) の夢
かつて宮本常一名誉教授と当時の若者たちが 、日本観光文化研究所の活動を舞台に展開した「民 族文化博物館」 の夢はついえてしまった。 民具収集や整理作業、 そして地域での諸活動を通じた博物館建設のノウハウは、 その後、 全国各地での地域住民を巻き込んだ博物館づくりへと展開していった。
観文研の博物館づくりの最大の特色は、 よい旅をする外来者の関与と、 それを迎える側の地域住民や行政が 、ともに協働しながら文化の掘り起こしを運動として展開し、 民具収集を通じてその関心や機運を高めていくというものである。 つまり専門家が描き出す文化像を一方的に提示する展示ではなく、 よそ者が土地のありふれたものに光を当てる眼差しと、 地域住民が生活の中で文化的な実践と歴史の理解を進め、 地域住民の視点からみずからが語るような歴史が扱われている。 博物館建設は、 そのための舞台であり 、専門家と若者、 在野の知性、 地域住民、 婦人や老人、 高校生などを巻き込む実践の最前線として、 民俗博物館・ づくりと民具収集を位置付けていた。
奥会津、 志摩半島、 佐渡島、 山古志、 二風谷、 周防大島など、 武蔵野美術大学生活文化研究会の活動もあわせると、 いくつもの現場で当時の美大生が 、みずからのよい旅の実践の中で奮闘していた。
『民 俗博物館建設のすすめ』 日本観光文化研究所地域研究班(雑誌『あ るく みる きく』 76号 19 73年 6月号所収、 相沢韶男「民 俗博物館をつくる」 抜刷)
観文研の解散後、 コレクションを引き継いだ武蔵野美術大学で、 民具やフィー ルドワー クの活動をどのように位置付け、 再び蘇らせるのだろうか 。民俗学者でかつて本学美術館 ・ 図書館長を務められた神野善治名誉教授(在職: 1997–20 20年 ) は、 それを「ムー サの夢」 という造語を使って語っている。 ムー サとは、 古代ギリシャの芸術の女神であるが 、狭義にはミュー ジアムを暗示させる言葉である。 観文研の博物館は未完に終わったが 、博物館にとどまらない地域文化を基点とした活動が動き続けるようなレガシー を、 美術大学に定着させたいという「ムー サの夢」 はついえていない。
現在、 武蔵野美術大学では各教育単位での地域連携活動や 、社会連携事業としての企業や行政との連携などが 、さまざまな形で展開されている。 大学のこうした連携事業は全国的に展開されているが 、とりわけ美術大学と美大生の関与する活動においては広い意味でのデザイン思考が発揮され、 また思考を形にする造形力が発揮されている特筆すべき実践例が見られる。
宮本常一名誉教授と当時の若者たちが行った実践を、 単なる大学史のひとコマにとどまらず 、学術と地域を美術・ デザインによって架橋していくひとつの「学 知史」 として検証することで、 現代の地域文化と関わる活動にも大きなヒントを得られるのではなかろうか 。
謝辞: 本稿執筆にあたり 、観文研所員として活動し、 学生時代から卒業後まで民具コレクションの収集メンバー の一人でもあった神野善治名誉教授に、 事実確認等の協力をいただいた。 心より感謝申し上げます 。
19 73年 、静岡県浜松市生まれ。 武蔵野美術大学教養文化・ 学芸員課程教授、 美術館 ・ 図書館副館長。 和歌山県立紀伊風土記の丘学芸員(民俗担当) 、 東北学院大学文学部歴史学科教授(同大学博物館学芸員兼任) を経て、 20 19年 より現職。 博士(文学) 。 専門は民俗学、 博物館学。
監修に武蔵野美術大学民俗資料室編『民 具のデザイン図鑑― くらしの道具から読み解く造形の発想』 (誠文堂新光社、 20 22年 ) 。 近著に『民 俗学 パブリック編― みずから学び、 実践する』 (武蔵野美術大学出版局、 20 25年 ) 、 『民 俗学 フォー クロア編― 過去と向き合い、 表現する』 (同、 20 22年 ) 、 『民 俗学 ヴァナキュラー 編― 人と出会い、 問いを立てる』 (同、 20 21年 ) ほかがある。