手羽イチロウと申します。​
武蔵野美術大学彫刻学科を卒業して、​普段は美大の良さを伝える美大愛好家としてネットで活動していますが、​裏(?では大学広報も担当しています。​
そして、​この100周年ウェブマガジンでは、​空気読めない感じでお気楽ブログを書いております。​

今回は、​ムサビ生なら誰もがお世話になる学生食堂(学食)について、​知られざる歴史も含めてお気楽ご気楽に紹介していきましょう!

ムサビの学食は「ホール」「12下」

ムサビには、​鷹の台ホールA棟2階「第1食堂」と12号館地下1階「第2食堂」の2つの学食があります。​


上が第1食堂、​下が第2食堂(撮影:いしかわみちこ)

私が学生時代は第1食堂を「タホ」または「ホール」、​第2食堂は「12下」と呼んでいました。​
「タホ」には鷹の台ホール全体を表すケースと第1食堂のみを表現するケースがあるけど、​以降は「建物=タカホ」「第1食堂=ホール」として紹介していきます。​

学生さんに聞くと、​今は学食を「ウエ」「シタ」と区分けしているようですね。​「ウエとシタ、​今日はどっちにする?」って感じで。​言葉はどんどん変わるもんで、​手羽が学生の頃は「イメージライブラリー」「イメライ」と略してたけど今は「イラ」し、​アヒル池も・・っとどんどん脱線しちゃうので、​それはまた今度。​
学食に話を戻します。​

ホールはシダックスが運営している

ホーは、​「シダックスコントラクトフーサービス株式会社」(以下シダックス)さんに運営業務をお願いしています。​
「シダックス」といえば、​私は学生時代お世話になった「レストランカラオケSHIDAX」を真っ先にイメージしちゃうけど(B'zばかり歌ってた)、​もともとは社員食堂から始まった会社なんです。​

■シダックスヒストリー | シダックス
等によると、​1959年に志太勤(しだ つとむ、​1934年-2025年さんが工場の社員食堂を創業し、​他事業所の社員食堂受託や仕出し弁当製造、​給食事業と展開され、​カラオケ事業等に大きく発展されてきたそう。​

ちなみに12号館地下1階第2食堂は株式会社アイビー・シー・エスさんに業務委託していますが、​以前は「(株)青学サース」という会社名2008年に名称変更。​あの青学です)だったので、​教職員は第1食堂を「シダックスさん」、​第2食堂を「青学さん」と呼ぶことも多いです。​

ムサビとシダックスさんとのつながりは1965年からで、​1967年鷹の台ホールA棟竣工」1969年吉祥寺校から鷹の台キャンパスへ全学統合」に合わせ、​仕出し弁当・給食事業をされていたフジフード株式会社(現シダックス)さんに学生食堂業務契約を結んだところから始まります。​

1971年大学案内より(写真提供:武蔵野美術大学大学史史料室)

記事を書くために昔の契約書を探したら、​甲欄に田中誠治、​乙欄に志太勤と、​それぞれの重要人物である二人がサインしていて、​「うひょお!!」と変な声が出てしまった。​

シダックスの発展にムサビが大きく関係している?!

最初はこれまで通りの学食でスタートしました。​
も、​1970年に複数の料理から好きなものを自由に選び、​組み合わせて会計する「日本型カフェテリア方式」を日本で初めてムサビ第1食堂で実験導入したんです。​

今となっては普通の方法ですが、​日本の給食・フーサービス業界において重要な転換点となった「日本型カフェテリア方式」導入の歴史的な舞台が、​このムサビだったんですよ。​びっくりでしょ?

1971年大学案内より(写真提供:武蔵野美術大学大学史史料室)

この実験の成功を足がかりに、​シダックスさんは1974年に国内初の「超高層ビルカフェテリア方式」の社員食堂をオープンするなど、​給食業界における「日本型カフェテリア方式」の普及を主導しました。​2025年12月在、​シダックスさんは立教大学、​拓殖大学、​専修大学、​明星大学、​東京理科大学、​白百合女子大学などたくさんの大学で学食営業をされています。​

ちなみに、​1991年12号館竣工に合わせ地下で営業してもらう学食業者を探すために職員がいろんな大学の学食を視察・試食へ行き、​ある学食で「なんかこの味、​懐かしい味がするぞ」と思ったらシダックスさんが営業してた・・なんて笑い話が残っています。​

写真提供:武蔵野美術大学大学史史料室

も、​学生食堂や社員食堂で定番になった日本型カフェテリア方式の日本初のお店が、​なぜムサビのホールだったのか?
調べてみると、​シダックス社史編纂委員会『志魂の道 シダックス55年史』2015年、​河出書房新社)にこう書かれていました。​

カフェテリア方式の提案を他の受託先には断られていた。​だが、​武蔵野美術大学は、​勤の申し出をすんなり受け入れてくれた。​
「武蔵野美術大学さんは美大の中でも自由な雰囲気なところ。​だから、​カフェテリア方式の導入の挑戦を理解してくださり、​実験をやらせてくれたのだと思う。​」
〈中略〉
いざ営業を開始すると、​実験店という名の通り、​毎日が試行錯誤の連続となった。​

厨房機材の交換は大学側が負担することになるので「そんな成功するかどうかわからないものをうちで実験しないでよ」と感じるのは当然。​も、​ムサビはチャレンジする人に寛容な大学だからこそ第1号店となりえたんですね。​ムサビはファーストペンギンになりがちですが、​昔からそうだったんだな。​

ホールのメニューといえば・・

実はこれを調べるのにかなり苦戦しまして。​
というのも、​大学史史料室で各研究室や建物の歴史はすぐにわかるのだけど、​なかなか学生生活に直結した資料・・例えば学食のメニューや写真が大学公式冊子などにほとんど残って無いんですよ。​
も、​学生さんが作った冊子からいろいろ発見することができました。​学生さん偉い!!

まずは、​1992年に課外活動協議会が新入生に配った新歓パンフから。​

1992年新入生歓迎号より(資料提供:武蔵野美術大学大学史史料室)

この中で気になる単語は「ダパ」「夕食セット」。​
「ダパ」とは「ダンスパーィ」の略で、​昔は学生主催のダンスパーティを鷹の台ホールで頻繁にやってたんです。​以前、​今井良朗先生(元 芸術文化学科教授・現本学名誉教授)や長澤忠徳理事長からダンパの話を聞いたことがあるんですが、​お二人とも遠い目をしながら「あの頃は楽しかったなあ・・」と語ってました。​ちなみに樺山祐和学長にもダンパのことを聞いたら、​「ダンパはナンパな人がやってたから、​参加しなかった」と笑ってました。​

夕食セットは手羽が学生時代にもあり、​4年生の頃はほぼ毎日お世話になってました。​
卒業制作に入ると毎日22時まで大学で作業していたので、​18時を過ぎると「夕飯食べに行く?」と同じ工房で作業している仲間に声をかける毎日。​夕食セットは確かセットか麺類の選択で、​セットにはミニサラダがついてたから一人暮らしには貴重な生野菜の摂取源でした。​

大学公式冊子で確認できたのは、​1995年発行の学内広報誌「MAUnews No. 30」号。​
当時の料理写真が掲載されてます。​

この写真を見るだけで、​ガラスの(ガタガタの)スライドドアをあけて冷え冷えのサラダや冷奴を取り出したことや、​ホールでダベってた風景を思い出します。​ちなみにこの写真にあるものはだいたい食べたけど、​福岡出身の手羽は黒い出汁のうどんだけは食べたことがありません。​福岡の画塾の先輩から「受験の時に学食でカレーを食べると合格する」と都市伝説を聞かされ、​試験の時にみんなでカレーを食べたのもいい想い出。​

次もやはり課外活動協議会が作成した2005年新歓冊子から。​

2005年新歓冊子「ムサビマニア」より(資料提供:武蔵野美術大学大学史史料室)

ページ上のボルシチはよく食べたなあ。​ちょっと甘めの味付けだったような。​
この頃には既に「第1食堂といえば」「カレー&ハヤシ」(右ページ下)が登場しますね。​
タマビには蕎麦&うどんが合体した「イイオメンツー」がありますが、​ムサビは「カレー&ハヤシ」なのです。​でも今はやってないかな?
美大のいいところは、​こうやって学生さんが描いたイラストで学生生活の記録や記憶が刻まれてることかもしれませんね。​

・・え?「タカホといえば、​1階のシスコやドイガはどうした?」ですって?

1995年学内広報誌「MAUnews No. 30」より(資料提供:武蔵野美術大学広報入学チーム)

↑これでしょ?この話を皆さんはしたいんでしょ?

そして、​昔、​鷹の台ホールの中央に

写真提供:武蔵野美術大学大学史史料室

「実は螺旋階段があった」という話も含めて次回書きます。​
お楽しみに!!

手羽イチロウ

ば・いちろう

武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業。​

2003年にムサビ生ブログサイト「ムサビコム」、​2009年より「美大日記」を運営。​2007年『ムサビ日記リアルな美大の日常を』を出版。​全国の美大情報を毎日チェックしつつ、​PARTNER_WEBにて理想の美大を目指すテイの「手羽美術大学★」を連載中。​