謎めいたタイトル
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物理学や天文学を学んで、コンピュータグラフィクスを教えている私に、
「これはなんだ?!」
異様な文言が目に飛び込んできました。
二つの形體性
ただならぬ妖気のような光をその言葉が発しているように思えました。著者は、金原省吾。現在の武蔵野美術大学、その前身である帝国美術学校の設立にかかわった人物。東洋美術研究の専門家。著書多作にして文章は韜晦。アララギ派の歌人でもあり、一流の文化人と交流を持ちつつも、なにを書いているのかよくわからない――そんな評価を聞いてはいました。けれども、大学の「神話時代」の話は、正直なところさしたる興味はなく、金原の仕事にも詳しく触れたことはありませんでした。
もしも、タイトルが「二つの形體」だったなら、デザインや東洋美術についてでも書いているのだろう、
「形體(形体)」。物の形と姿。身体性を連想させる「體(体)」の文字。東洋画の研究者として、美術学校で教える身として、使い慣れた語だったのかもしれません。しかしそこに「性」の一字を添えると、とたんに語が宙に浮いてしまいます。
なにが書いてあるのだろう。PDFのページを送り、さっそく読み始めました。
夏を経て来て、初冬の今は、私の庭も空しい。樹の葉は落ちつくし、草は枯れ、八ツ手に白い花が咲き、庭の土はあらはである。(略)朝毎の霜に、枯れて蕭條となつた庭は、一層趣が深い。(略)苔もかれて痩せて、露出した庭の土をみるのは、初冬の一つの楽しみである。(略)この空しい庭を見て居ると、自然に思ひ浮んで来るのは、東洋の芸術の性質である。
冬枯れの庭、
画一枚が豆腐一丁にもならぬみじめさで、周囲からはまるでみとめられなかった。
金原の叔父の長屋で、雲坪が屏風を描いた縁もあったが、叔父は「雲坪さんの字はだめだからと言つて、自分が讃をした。雲坪の画とは似てもつかぬもので、この讃のために、屏風はだいなしになつてゐる。」
冬の庭の描写から始まった文章は、そのあとも幾人かの画家の名前が挙げられ、とりとめもなく見える記述が続いていきます。思いつくままに画家を並べ、浮き立つような評価があり、論理的に一本の糸でつながりにくい。霧に包まれ視界がほとんど失われた水墨画の山々に迷い込んだような気分になります。文意をとろうとしても置いてきぼり。ひとり雲海の黄山で道に迷ったのだろうか、と不安になった過去の記憶がよみがえりました。
そんな霞をつかむような印象の文章が続き、
記号のアルゴリズム?
第四節は、突然なんの前触れもなく、数式記号の世界が現れます。
寂莫の形をみると、二つの形成作用がある。※原文では「A. D.」に下線付き
甲の形は(A. D. K. M)の構造を持つてゐるとし、
乙の形(A. D. C. H)の構造を持つてゐるとする。
するとこの形から、共通にふくまれてゐるものADをとり出すことが出来る。甲の形も乙の形も、共にAとDとを失つてゐる。ふくんでゐた形は、ふくまれていゐものAとDとを失つている。故にふくんでゐた形は、今は
甲は(K. M)
乙は(C. H)
の形である。前の状態に比較すれば、甚だしく貧しい。(略)
前形甲と乙とが、後形甲と乙とになるこの形の推移が歴史である。」
(A. D.)、(K. M)、(C. H)――。
冬の庭、南画、枯淡、寂莫、などの文脈で書かれてきた文の後に、まるで受験数学の参考書から紛れ込んだような記号の列。しかも使われている記号に対してはなんの説明もありません。なにかの例示や分類であれば、
上の引用のように、論理演算のようなことを得々と書き進め、最後に雲坪や金冬心の名前はでてくるものの、なにをどう論じているのか、一読しただけでは、記号操作と、木で鼻をくくったような、感情移入を排した文たちが並び、頭に入ってこない。徒労感をあえて誘発するような冷淡な印象。わかりにくい記法で書かれたコンピュー
はて、これはいつ書かれたのだろうか? 表紙のほうにもどって確認してみました。
193612月
19
「これは、きっとなにかの暗号に違いない」
1936年―昭和の言論状況
この論考が書かれた19
2月
昭和に入ってからの強権的統制は「2・26事件」から始まったのではありません。
そして「天皇機関説」を攻撃する事件。憲法学者、美濃部達吉は「統治権は法人としての国家にあり、天皇はその最高機関である」と唱えます註2。「国
また、大正時代には一旦は廃止されていた「軍部大臣現役武官制」を19
18
南画と「気韻生動」
数年前から南画に興味を持ち始めた私には、南画・文人画の伝統に二つの大きな思想が流れているように見えます。
ひとつは「気韻生動」――宇宙観に基づいた生命の躍動が画面に満ち、自然と人心が一体となっている東洋美学の理念です。眼に見える形を器用に写すのではなく、内側の気を表すこと。
もうひとつは、知識人たちの隠れた言語としての伝統です。直接の政治活動には加わらないが、わかる者にだけわかる秘密の符牒で時の権力を批判する。公共の言葉が縮んで貧しくなる世界で、遠く離れた同志に絵と言葉でひそやかなメッセージを送る――そのような表現の回路が、南画・文人画の歴史には深く刻まれている。金原はその両方の伝統を熟知した研究者です。
この小文には、
論考の最後は、次のように結ばれます。
校正につかれて机の上から庭前の土を見、庭外の芒原を見、芒原の日光を見、思ふことは、寂莫たる芸術の味である。
わずか3ページの飄々と漂流するような短いエッセイを書くのにわざわざ「校正につかれて」と書くでしょうか?
自由に表現する場を求めて武蔵野の学び舎に結集したはずの「美術家」たちが、「2・26事件」後の政治的暗雲に覆われていく。そんな時代の中で、この小文が、なおも検閲をかいくぐって、危険思想とみなされかねない内容を含んでいるとしたら? 冒頭の、雲坪の屏風が叔父さんの讃のためにだいなしになった、という回想逸話は、実は検閲による赤入れのことを暗に指しているのではないのか? 誰のために書いているのかわからない記号の列はなにかの意味をこめているのか? 文人たちの絵画を論じているはずなのに、唐突に「歴
なにかのイニシャルだろうか、と、第四節で繰り広げられる論理記号もどきを眺めているうち、C.Hという文字の並びから、CHINAという言葉を連想しはじめました。もしやこれは、東アジア情勢について書いている? すると、K.MのKはなんだろう? Mは満州? いや、このころ台頭し始めた毛沢東だろうか? ではA.Dは?
これは「秘密の暗号である」、という鍵がすでに表題の「形体性」という不協和音の言葉に滲んでいると直感しました。そして、一読して意味不明のA.D、K.M、C.Hなどの記号にもなにかを暗に指し示す意味があるに違いない。
かくて重大なるものを描かぬ画面から感じられるものは、削去された寂莫なるものである。
大事なものは、あえて描かれていない。描きたくても描けない。激しい叫びのような声が胸に響きはじめました。すでに深夜になっていましたが、送られてきたPDFを何気なく一目見たその夜、奇しくもちょうど



















