謎めいたタイトル

2025年も残り少なくなったころ、​学内での立ち話で「MAU2029」に寄稿してほしい、​と声をかけられました。​ほどなく送られてきたのは、​デジタルスキャンされた古ぼけたPDFの冊子。​「帝国美術」という手描きのタイトル。​冒頭には、​ジャン・コクトーのドローイングが掲載されていました註1。​

物理学や天文学を学んで、​コンピュータグラフィクスを教えている私に、​「帝国美術を読む」というシリーズの原稿依頼がくるとは。​美大にいる年月がふとよぎり、​なにが書けるだろう?と思いながら、​目次を何気なく眺めていました。​
「これはなんだ?!」
異様な文言が目に飛び込んできました。​

二つの形體性

ただならぬ妖気のような光をその言葉が発しているように思えました。​著者は、​金原省吾。​現在の武蔵野美術大学、​その前身である帝国美術学校の設立にかかわった人物。​東洋美術研究の専門家。​著書多作にして文章は韜晦。​アララギ派の歌人でもあり、​一流の文化人と交流を持ちつつも、​なにを書いているのかよくわからない――そんな評価を聞いてはいました。​けれども、​大学の「神話時代」の話は、​正直なところさしたる興味はなく、​金原の仕事にも詳しく触れたことはありませんでした。​
もしも、​タイトルが「二つの形體」だったなら、​デザインや東洋美術についてでも書いているのだろう、​と、​たいして気に留めなかったことでしょう。​しかし、​このタイトルの最後にぶら下がっている「性」は? まるで言いかけた言葉を途中で飲み込んでいるかのようです。​なにかを無言で訴えているような奇妙な感触。​
「形(形体)」。​物の形と姿。​身体性を連想させる「體(体)」の文字。​東洋画の研究者として、​美術学校で教える身として、​使い慣れた語だったのかもしれません。​しかしそこに「性」の一字を添えると、​とたんに語が宙に浮いてしまいます。​
なにが書いてあるのだろう。​PDFのページを送り、​さっそく読み始めました。​

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夏を経て来て、​初冬の今は、​私の庭も空しい。​樹の葉は落ちつくし、​草は枯れ、​八ツ手に白い花が咲き、​庭の土はあらはである。​(略)朝毎の霜に、​枯れて蕭條となつた庭は、​一層趣が深い。​(略)苔もかれて痩せて、​露出した庭の土をみるのは、​初冬の一つの楽しみである。​(略)この空しい庭を見て居ると、​自然に思ひ浮んで来るのは、​東洋の芸術の性質である。​

冬枯れの庭、​霜、​枯れた苔、​露出した土、​初冬の楽しみ。​モノトーンの水墨の濃淡が織りなす幽玄な世界が、​冒頭わずか8行で浮かび上がってきます。​続けて長井雲坪(うんぺい)に筆は進む。​

画一枚が豆腐一丁にもならぬみじめさで、​周囲からはまるでみとめられなかった。​

金原の叔父の長屋で、​雲坪が屏風を描いた縁もあったが、​叔父は「雲坪さんの字はだめだからと言つて、​自分が讃をした。​雲坪の画とは似てもつかぬもので、​この讃のために、​屏風はだいなしになつてゐる。​」と、​やや唐突に回想が語られます。​
冬の庭の描写から始まった文章は、​そのあとも幾人かの画家の名前が挙げられ、​とりとめもなく見える記述が続いていきます。​思いつくままに画家を並べ、​浮き立つような評価があり、​論理的に一本の糸でつながりにくい。​霧に包まれ視界がほとんど失われた水墨画の山々に迷い込んだような気分になります。​文意をとろうとしても置いてきぼり。​ひとり雲海の黄山で道に迷ったのだろうか、​と不安になった過去の記憶がよみがえりました。​
そんな霞をつかむような印象の文章が続き、​「空虚には歴史が無い。​寂莫には歴史がある。​」と、​第三節は謎めいた一文で結ばれます。​

記号のアルゴリズム?

第四節は、​突然なんの前触れもなく、​数式記号の世界が現れます。​

寂莫の形をみると、​二つの形成作用がある。​
甲の形は(A. D. K. M)の構造を持つてゐるとし、​
乙の形(A. D. C. H)の構造を持つてゐるとする。​
するとこの形から、​共通にふくまれてゐるものADをとり出すことが出来る。​甲の形も乙の形も、​共にAとDとを失つてゐる。​ふくんでゐた形は、​ふくまれていゐものAとDとを失つている。​故にふくんでゐた形は、​今は
甲は(K. M)
乙は(C. H)
の形である。​前の状態に比較すれば、​甚だしく貧しい。​(略)
前形甲と乙とが、​後形甲と乙とになるこの形の推移が歴史である。​」
※原文では「A. D.」に下線付き

(A. D.)、​(K. M)、​(C. H)――。​
冬の庭、​画、​淡、​莫、​などの文脈で書かれてきた文の後に、​まるで受験数学の参考書から紛れ込んだような記号の列。​しかも使われている記号に対してはなんの説明もありません。​なにかの例示や分類であれば、​A、​B、​C、​Dなどを使うのが自然です。​または東洋美術の文脈なら、​甲乙丙丁や漢数字を使えばいい。​なにかのイニシャルか? あるいは20世紀初頭、​知識人ならば意識したであろうフレーゲやラッセルらの分析哲学、​記号論理学の影響だろうか?
上の引用のように、​論理演算のようなことを得々と書き進め、​最後に雲坪や金冬心の名前はでてくるものの、​なにをどう論じているのか、​一読しただけでは、​記号操作と、​木で鼻をくくったような、​感情移入を排した文たちが並び、​頭に入ってこない。​徒労感をあえて誘発するような冷淡な印象。​わかりにくい記法で書かれたコンピューターコードを読まされている気分です。​
て、​これはいつ書かれたのだろうか? 表紙のほうにもどって確認してみました。​

1936 12月

1936年、​昭和11年。​その年号を見た瞬間、​ぞくっと、​背筋に電流でも走ったかのような感覚を覚えました。​
「こは、​きっとなにかの暗号に違いない」

1936年昭和の言論状況

この論考が書かれた1936年とはどのような時代だったのでしょうか。​あらためてその時代の空気の中に入っていくために、​この頃の重大事件を描写してみます。​
2月26日朝、​雪の東京。​青年将校たちが兵を率いて武装決起。​その数は千人を超えます。​いわゆる「2・26事件」です。​高橋是清大蔵大臣、​天皇補佐役の斎藤実内大臣、​他政府要人が暗殺、​岡田啓介首相は難を逃れますが、​主要官公庁が占拠されるなど、​混乱は続く。​翌日「戒令」が敷かれ、​やがて「反乱」は鎮圧されました。​その後の言論統制は、​それまでとは異次元の厳しさになります。​
昭和に入ってからの強権的統制は「2・26事件」から始まったのではありません。​1925年、​治安維持法制定。​1931年、​満洲事変により軍の発言力が強化されます。​1933年、​小説家小林多喜二が警察署で拷問死。​自由主義的な刑法学説を理由に京都帝国大学教授・滝川幸辰が休職処分となった「滝川事件」。​学、​学、​憲法学と、​アカデミズムへの攻撃は着実に進行し、​萎縮が進みます。​
そして「天皇機関説」を攻撃する事件。​憲法学者、​美濃部達吉は「統治権は法人としての国家にあり、​天皇はその最高機関である」と唱えます註2。​「国体」は天皇を中心とする統治の精神、​一方で、​「政体」はその具体的な統治の形態と考えると、​美濃部はこの二つを区別することで、​「立憲制という政体」の議論を可能にした、​ということでしょう。​「大正デモクラシー」の時代には定説となっていたこの考えに対して、​1935年2月、​貴族院で攻撃がはじまります。​呼応して軍関係者や右翼団体が排撃運動を展開、​時の岡田内閣に迫り、​政府は「国体明徴声明」を発表、​「天皇機関説」を公式に排除します。​美濃部は著書を発禁処分とされ、​貴族院議員を辞職します。​
た、​大正時代には一旦は廃止されていた「軍部大臣現役武官制」1936年5月に廣田弘毅内閣が復活。​大臣を現役の軍人に限るわけですから、​倒閣にも利用でき、​政府に対する軍の発言力が強化されます。​
1893年制定の出版法により、​すべての出版物は発行前に内務省へ2部納本する義務が課せられていました。​このささやかな冊子が「出物」と見なされたかどうかはわかりませんが、​当局の目に触れ、​「安寧秩序を乱す」とみなされれば即座に発行禁止・押収の対象となり、​著者の身にも危険が及んだであろうことは容易に想像できます。​そのような時代に、​金原省吾は東洋画の研究者として生きていました。​

南画と「気韻生動」

数年前から南画に興味を持ち始めた私には、​画・文人画の伝統に二つの大きな思想が流れているように見えます。​
ひとつは「気韻生動」――宇宙観に基づいた生命の躍動が画面に満ち、​自然と人心が一体となっている東洋美学の理念です。​眼に見える形を器用に写すのではなく、​内側の気を表すこと。​「この幽絶な世界には、​雲林の外に行つたものはない。​(略)南画は胸中の逸気を写せば、​他は措いて問はないと云ふ」(芥川龍之介『支那の画』註3
もうひとつは、​知識人たちの隠れた言語としての伝統です。​直接の政治活動には加わらないが、​わかる者にだけわかる秘密の符牒で時の権力を批判する。​公共の言葉が縮んで貧しくなる世界で、​遠く離れた同志に絵と言葉でひそやかなメッセージを送る――そのような表現の回路が、​南画・文人画の歴史には深く刻まれている。​金原はその両方の伝統を熟知した研究者です。​
この小文には、​「気韻生動」を論じる言葉と、​隠された意図の言葉、​感情を排した数式風の言葉が周到に配置されているようです。​それらの言葉を自在に扱う人物が寄稿した「二つの形体性」。​1936年12月、​『帝国美術』第6号に、​コクトーの自筆サイン絵に続いて、​「東洋画を論じる」体裁の韜晦な論考として巻頭に掲載されています。​
論考の最後は、​次のように結ばれます。​

校正につかれて机の上から庭前の土を見、​庭外の芒原を見、​芒原の日光を見、​思ふことは、​寂莫たる芸術の味である。​

わずか3ページの飄々と漂流するような短いエッセイを書くのにわざわざ「校正につかれて」と書くでしょうか?
自由に表現する場を求めて武蔵野の学び舎に結集したはずの「美家」たちが、​「2・26事件」後の政治的暗雲に覆われていく。​そんな時代の中で、​この小文が、​なおも検閲をかいくぐって、​危険思想とみなされかねない内容を含んでいるとしたら? 冒頭の、​雲坪の屏風が叔父さんの讃のためにだいなしになった、​という回想逸話は、​実は検閲による赤入れのことを暗に指しているのではないのか? 誰のために書いているのかわからない記号の列はなにかの意味をこめているのか? 文人たちの絵画を論じているはずなのに、​唐突に「歴史」という言葉が繰り返され、​「生成」という言葉も現れる。​なにか落ち着かない、​バランスの悪い不自然さが全体に漂っているのです。​
なにかのイニシャルだろうか、​と、​第四節で繰り広げられる論理記号もどきを眺めているうち、​C.Hという文字の並びから、​CHINAという言葉を連想しはじめました。​もしやこれは、​東アジア情勢について書いている? すると、​K.MのKはなんだろう? Mは満州? いや、​このころ台頭し始めた毛沢東だろうか? ではA.Dは?
これは「秘密の暗号である」、​という鍵がすでに表題の「形性」という不協和音の言葉に滲んでいると直感しました。​そして、​一読して意味不明のA.D、​K.M、​C.Hなどの記号にもなにかを暗に指し示す意味があるに違いない。​

かくて重大なるものを描かぬ画面から感じられるものは、​削去された寂莫なるものである。​

大事なものは、​あえて描かれていない。​描きたくても描けない。​激しい叫びのような声が胸に響きはじめました。​すでに深夜になっていましたが、​送られてきたPDFを何気なく一目見たその夜、​奇しくもちょうど90年前に書かれたこの金原省吾の「暗号」を解こうと、​夢中になっていきました。​(つづく)

註1

1936年6月、​ジャン・コクトーは世界一周旅行途上で来日。​藤田嗣治の案内で帝国美術学校の学生絵画グルー「表現」が銀座の紀伊国屋画廊で開いていた展覧会を訪れ、​大塚耕二はじめ学生たちの作品を称賛し、​サインを残した。​その時の直筆サインを『帝国美術』の口絵に配したのであろう。​「ジン・コクトーサイン→2回展」との記載が見える。​このエピソードは小沢節子『アヴァンギャルドの戦争体験』(青木書店、​1994年に詳しい。​コクトーは、​ファシズムやイデオロギーに与せず、​詩人、​家、​映画監督など、​自由に生きた人。​

註2

衆憲資第27号「明治憲法と日本国憲法に関する基礎的資料」

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/shukenshi027.pdf/$File/shukenshi027.pdf

註3

金原がアララギ派の歌人として師事した島木赤彦が1926年に没したとき、​芥川は「島木赤彦氏」と題する追悼文を書いている。​芥川は1892年生れで1927年35歳没。​金原は1888年生れで、​金原が4歳年上。​二人に直接交流があったか不明だが、​赤彦を共に知る、​同時代人。​た、​芥川は1921年3月下旬から7月上旬に至る120余日の間、​大阪毎日新聞から中国に派遣され、​海、​京、​口、​沙、​北京など中国各地を遍歴している『支那游記』。​

なお『支那の画』に登場する倪雲林(倪瓉)は、​元末明初の画家。​無錫の富豪の家に生まれ、​元朝末期の動乱の時代、​家財を散じ、​小舟に乗って太湖周辺を20年近く漂い続けた。​元が滅び明朝が興っても新王朝の召命を拒み続ける。​その画風は極度に簡潔。​

「帝国美術学友会誌」第6号「目次」1936年12月発行)

三浦均

みうら・ひとし

1962年、​神戸生まれ。​京都大学理学部卒業、​神戸大学大学院自然科学研究科博士課程修了(理学博士)。​理化学研究所基礎科学特別研究員を経て、​1999年に本学映像学科に着任。​分野を横断して、​子、​分子のミクロなスケールの世界、​生命スケールの世界、​天文宇宙のスケールの世界までを目に見えるようにする映像づくりに取り組んでいる。​著書『映像のフュシス』武蔵野美術大学出版局、​2020年。​

Series

「帝国美術」を読む

1931

「帝国美術」を読む(1)宮永芳江「仮装行列記」

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コラム

1932–1933

「帝国美術」を読む(2)磯部陽「私の蒐集郷土玩具に就て」(第2号)、​「郷土玩具」(第3号)

加藤幸治(教養文化・学芸員課程教授)

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1933

「帝国美術」を読む(3)神田美一「ロダンのお花さん」

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コラム

1933

「帝国美術を読む」(4)田中富士雄「ベツトで溺死した男」

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1934–

「帝国美術を読む」(5)原弘「ポスタアとその環境」

西村碧(美術・図書チーム)

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1936–

「帝国美術を読む」(6)南画夢想――金原省吾の「暗号」を解く

三浦均(映像学科教授)

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