創業支援を「就活の延長」ではなく、「自己探究の延長」として捉えるということ

2024年、武蔵野美術大学において、新たな創業支援のプロジェクトが始動した。
その名も「武蔵野美術大学実験区」(以下「実区」東京都の「大学発スタートアップ創出支援事業」に採択されたことを機に立ち上がったこの取り組みは、いわゆる「起業支援」の枠を超えた、武蔵野美術大学ならではの挑戦として注目を集めている。

◼︎Forbes JAPAN東京都「大学発スタートアップ創出支援事業」令和5年度採択大学の成果とは

本稿では、この実験区の立ち上げに至る背景と、取り組みに込めた思想や試みを紹介したい。

まず、武蔵野美術大学の学生の進路傾向について少し触れておきたい。美大と聞くと、一般的には「作家を目指す」「デザイナーとして企業に就職する」ど、さまざまなイメージがあるだろう。武蔵野美術大学では、卒業生のおよそ6割が一般企業等への就職を希望し、1割が大学院進学や海外留学へと進む。そして、残りの約3割は、作家活動やフリーランスとして独立、あるいは個人の創作活動を軸とした生き方を模索する。
この「3割」という数字は、他大学と比較しても特異なものである。多くの大学では、卒業後は就職することが事実上の前提となっており、フリーランスや起業という道は “例外的なもの” として語られる。しかし武蔵野美術大学では、その “例外的な道” が、ごく自然な選択肢として存在している。

このような進路の多様性は、単に個々の学生の志向によるものではなく、大学としての文化や思想に根ざしている。武蔵野美術大学は、就職を希望しない学生に対しても、無理に企業就職を勧めることはない。むしろ、個々の学生の価値観や世界観を尊重し、自らの生き方に沿った進路選択を支援してきた歴史がある。それは、キャリアとは単に「働く場を見つける」ことではなく、「自分の人生をどうデザインするか」という問いにほかならないという哲学に支えられている。

こうした土壌の中で誕生した実験区は、創業支援という枠を超えた、新しい “進路支援” のあり方を模索している。その根底にあるのは、就活支援でもなければ起業家育成でもない。「自分自身によって新たな業(なりわい)を創る」ことに挑む学生たちに、伴走し、環境を提供し、社会との接点を設計していくプラットフォームとしての役割を目指している。

実験区には、美大生だけでなく総合大学も含めた他大学の学生や社会人の参加も可能。2年目となる2025年度の実験区には68名がエントリーした

例えば、一般的な起業支援プログラムでは、ビジネスモデルの構築、マーケット分析、ピッチ資料の作成といった、いわゆる「実用的な」スキルや知識の提供に重きが置かれることが多い。しかし実験区では、その前段階――つまり「なぜ自分はそれをやるのか」「それは自分の生き方とどうつながっているのか」という動機や内的動因の掘り下げに、あえて時間をかけている。

実験区のプログラムの流れ。一次選考を兼ねたアイデア創出ワークショップを経て、ビジネスデザインアワードで受賞チームを決定。グランプリと準グランプリ、およびマネーャーからの推薦を受けたチーは、アイデアの社会実装を目指すアクセラレーションプログラムへと進む

その象徴的な取り組みが「MAU SOCIAL IMPACT AWARD」である。
このアワーは、単なるビジネスプランコンテストではない。一人ひとりの学生が、自らの一人称視点から社会に問いを投げかけ、「自分にとって意味のあること」を軸にしたビジネスアイデアを構想することを目的としている。そのため、評価基準も「市性」「事性」よりもむしろ、「動機の純度」「ストーリーの強度」に重きが置かれている。


「MAU SOCIAL IMPACT AWARD」のプレゼンの様子

さらに、このアワードを起点として生まれたアイデアを、社会実装へと接続していく場として、「武蔵野美術大学実験区 DEMO DAY」も開催されている。ここでは、企業や自治体など外部パーナーとの接点が設けられ、ビジネスとしての可能性を広げる機会が用意されている。

とはいえ、実験区の本質は、こうしたイベントや制度の設計にとどまらない。むしろ、そこに参加する学生や外部関係者との対話の中で、何が生まれ、何が問い直されるか。その「プロセスの質」にこそ、大きな意義がある。

私たちが目指しているのは、ビジネスの成功者を量産することではなく、自分の人生を他人任せにせず、自らの感性と問いを起点に、社会に働きかける人を育てることなのだ。

次回は、その思想の核となる「ナラティブモデル」という思考法と、それがいかに “美大にしかできない創業支援” を支えているのかを紹介していきたい。

酒井博基

さかい・ひろき

1977年和歌山県生まれ。武蔵野美術大学大学院修士課程修了。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科博士課程中退。

ビジネスの仕組みと仕掛けをデザインするクリエイティブカンパニー「d-land」表。「中央線高架下開発プロジェクト(コミュニティステーション東小金井「武蔵野美術大学実験区」「日野市妄想実現課」ど、域・学・自治体の共創プロジェクトを数多くプロデュース。2016年にはグッドデザイン賞ベスト100および特別賞[地域づくり]を受賞。著書に『ナラティブモデル 一人称視点から始めるビジネスデザインの思考法』(武蔵野美術大学出版局、2025年画・監修した書籍に『ウェルビーイング的思考100 ~生きづらさを、自分流でととのえる~』(オレンジページ、2023年がある。