どうも、手羽イチロウと申します
武蔵野美術大学彫刻学科卒業後、美大の良さを伝える美大愛好家としてネットで活動していますが、裏(?では大学広報もやってます
この100周年ウェブマガジンでは、空気読めない感じでお気楽ブログを担当しております

鷹の台ホー(タカホ)についてシリーズでお送りしてまして、
■そろそろタカホのことを語ろうか1 ホール編 | 武蔵野美術大学100周年ウェブマガジン
今回はホール編で触れ損ねた鷹の台ホールの歴史から入っていきましょ。

鷹の台ホールの歴史

1961年に鷹の台キャンパスを開設してからは、低学年と体育の授業は緑豊かな(周りは畑しかなかった)鷹の台キャンパス、3年から都心に近い吉祥寺校、とクリエイティブイノベーション学科と同じような運営がされていました。

1969年の鷹の台キャンパス全学統合へ向けてアトリエ棟(現4号館デザイン棟(現7号館女子寮(旧2号館)着々と建築が行われ、1967年に鷹の台ホー(現 鷹の台ホールA棟)が竣工します

竣工当時の鷹の台ホールA棟(資料提供:武蔵野美術大学大学史史料室周りに何もない・・。

ちなみに、近代建築の記録と保存を目的とする国際学術組織日本支部「DOCOMOMO Japan」「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」として2004年に4号館、2017年に美術館や中央広場、7号館などと一緒に鷹の台ホールを追加選定しました。

建築家・松永安光さんと建築学科・鈴木明先生(当時主任教授)の対談録「知っているようで知らないムサビキャンパスのはなし」(日月会会報「フォルマ・フォロ2019/vol. 19」で、DOCOMOMO 3代目会長Ana Tostoesさんが鷹の台キャンパスを視察した時の様子を紹介しています

トストエス教授が、特に中庭から見ると「美術館(旧美術資料図書館「7館」の隙間から見える 「鷹の台ホール」への視線の重要性を指摘した(中略「鷹の台ホール」は四角錐の屋根でキャンパスの他の建築とは異なる。その形が、伽藍配置的な建築群での中でポイントとなっている。

そう言われると、コンクリ打ちっぱなしが多いムサビの建物の中で、鷹の台ホールA棟だけ雰囲気が違いますよね。芦原義信先生はキャンパスのアクセントとして鷹の台ホールを位置付けていたのかもしれません。

芦原先生と鷹の台キャンパスについては、こちらの記事をご覧ください。
■芦原義信の鷹の台キャンパス計画と建築学科 | 武蔵野美術大学100周年ウェブマガジン

竣工当時の鷹の台ホールA棟(資料提供:武蔵野美術大学大学史史料室)
竣工当時の鷹の台ホールA棟(資料提供:武蔵野美術大学大学史史料室)

当時は周りに何もなく、植えたばかりの桜さんたちも今は老木になっちゃいました。

ちなみに竣工当時は、

資料提供:武蔵野美術大学大学史史料室

真ん中に螺旋階段があり、第1食堂内から直接1階に降りられたんです

資料提供:武蔵野美術大学大学史史料室
資料提供:武蔵野美術大学大学史史料室

当時はダンパ(ダンスパーティ)を連日連夜2階でやってたそうだから、酔っ払いが転げ落ちてそう。。

当時の鷹の台ホールA棟図面がこちらです↓

1988年「芦原義信教授作品展」図録P96より断面図
1988年「芦原義信教授作品展」図録P96より1階平面図

現在世界堂さんが入っているスペースに売店、学生用の集会室、職員談話室がありました。

鷹の台ホールA棟1階 職員談話室(資料提供:武蔵野美術大学大学史史料室)

そして、武蔵野美術大学50周年事業の一環として、1982年に鷹の台ホールA棟改修工事とB棟建設が行われ、ホールの座席数確保のため鷹の台ホールA棟から螺旋階段が撤去されたのです
改修は螺旋階段撤去だけじゃなく、B棟ができたことで1階東側は画材屋・・当時は土井画材(土井福應堂)ん・・になり

1984年土井画材カウンター(資料提供:武蔵野美術大学大学史史料室)

職員談話室などをつぶして、西側に今回の主役「喫茶サンフランシスコ」が爆誕します!

1995年撮影(資料提供:武蔵野美術大学大学史史料室)

私たちはいつも「シコ」と呼んでいたので、以降はシスコで。

甘い想い出の場所「シコ」

運営は2階のホールと同じくシダックスさんです
昔から謎だった「喫茶サンフランシスコ」の名前の由来をいろいろ調べたんですが、これがなかなか見つからず、唯一の記述が課外活動協議会作成の1992年新入生歓迎号でした。

1992年課外活動協議会作成 新入生歓迎号別冊「武蔵野美術大学 大辞典(初丁版より

これが正しい情報なのかわからないけど、学生さんがちゃんと調べて書いているのは伝わってきます

1984年撮影(資料提供:武蔵野美術大学大学史史料室)
1995年撮影(資料提供:武蔵野美術大学大学史史料室)

談話スペースは丸テーブルとイームズチェアが置かれてました。手羽の記憶では「イームズ アームシェルチェア LAR」のホワイト(内側はオレンジやブラック)だと思うのだけど、詳しい方教えてください。当時は価値がわかってなかったから、すんごく雑に扱ってた(笑)

学生時代はよく談話スペースでダベってたし、軽音部に入っていたので、ラジカセを持ち込んで曲決めをした思い出も。卒業生に聞くと、シスコは音楽系サークルに入っている人かオシャレ系な人が使う傾向にあったようで、リー・フランキーさん(芸能デザイン学科卒)がムサビの想い出としてシスコのことをよくしゃべってるし、ムサビ生とバンドを組んでいたデザイナーの佐藤可士和さん(多摩美術大学卒)もよく出没してたようです

シスコのメニューといえば・・

1992年のメニューと価格はこちらです

1992年新入生歓迎号より(資料提供:武蔵野美術大学大学史史料室)

ドーツ、アップルパイ、ハンバーガー等々、いろいろ想い出はあるけど、手羽はやっぱりシスコといえば「ホットケーキセット」ですね。

1995年学内広報誌「MAUnews No. 30」より(資料提供:武蔵野美術大学広報入学チーム)

ホットケーキは厚さ5 mmぐらいで、レンジでチンされたものだからお世辞にも焼き立てフワフワなんてもんじゃないけど、今でもメープルシロップとバターをたっぷり塗って生クリープをのせた、このホットケーキセットが無性に食べたくなる時があります

制作を頑張った自分へのご褒美DAYには、追加料金を払ってコーヒーに甘い生クリームがたっぷりのったウィンナーコーヒーにしてました。シスコで「ウィンナーコーヒー」という単語を知ったムサビ生は手羽だけじゃないはず。最初「ウィンナーが中に入ってるコーヒー? 東京ってすごい」と思ったっけ。

2005年新歓冊子「ムサビマニア」より(資料提供:武蔵野美術大学大学史史料室)

シスコではお弁当も売っていて、購入するとチンしてくれるんですが、唐揚げとご飯の間に入ってた大量のキャベツも生暖かくなって微妙な味わいになる・・正直キャベツは美味しくなくて、よけて食べてたのをはっきりと覚えてます

今回いろんな卒業生にシスコのことを聞いたところ、人によって記憶が違うのが紙コップの形態でした。
上記MAUnewsのホットケーキセット写真に出てくるカップヌードルのような発泡素材コップも覚えてるけど、

手羽の記憶を頼りにAIで画像生成

手羽は橙色と白色の縦縞模様コップの記憶の方が強いんですよね。新歓冊子「ムサビマニア」で紹介されてるのもこれだし、ドリンクによって違うのか、年代によるものなのか。わかる方こっそり教えてください。

ありがとうシダックスさん

2008年、4号館1階にパンショップ「EMU」が開店し、世界堂スペース拡充に伴って、僕たち・私たちの喫茶サンフランシスコは静かに幕を閉じました。

ちなみにシスコ廃止時にイームズチェアを業者さんがガンガン廃棄しているのを美術館図書館スタッフが見つけ、2脚だけ美術館図書館に救出し、今もシスコで使っていたイームズチェアが椅子コレクションに残っています。ちょっとエモい話でしょ?

ところで、なぜシリーズで鷹の台ホールの記事を書いてきたかというと、60年続いたシダックスさんの第1食堂が、残念ながら2026年1月19日を以て営業終了になったのです。学内周知されてから慌てて調べました。

ムサビ鷹の台キャンパス立ち上げと一緒に歩んでいただいたシダックスさん、シスコ含めて本当に長い間お世話になりました。あのホットケーキをまたいつかどこかで食べられることを願っています

最後に。
今回記事を書くのに一番困ったのが当時の学食のメニューと価格を調べることでした。
学生さんが新入生歓迎号に書いてくれてたからわかったようなもんで、つくづく「こういう情報も大学の歴史として残しておくべきなんだなあ」と感じた次第。
なので2026年1月に第1食堂で撮影したメニューを残しておきます。ムサビ200周年の参考になれば。

・・え?ホール、シスコときて、「風月」は紹介しないのかって?
それはおいおいと。

おまけ:補足と営業最終日の様子をブログに書いたので、お時間があればこちらもどうぞ。
■ありがとう、ムサビ第1食堂シダックスさん | 手羽美術大学★

手羽イチロウ

ば・いちろう

武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業。

2003年にムサビ生ブログサイト「ムサビコム」、2009年より「美大日記」を運営。2007年『ムサビ日記リアルな美大の日常を』を出版。全国の美大情報を毎日チェックしつつ、PARTNER_WEBにて理想の美大を目指すテイの「手羽美術大学★」を連載中。