「通信教育はパンデミックに強い?」

2002年に4年制通信教育課程を開設した当初から、オンラインを使った「遠隔授業」はすでに想定され、部分的には実施されていたものの、理論的な課題を主体とする授業なら容易なことも、技・演習課題を主体とした美術大学では、技術的な問題や社会的な理解はそこまで至ってはいなかった。

しかし書簡による通信教育は、いずれオンラインによる教育方法に移行していくだろうとは、誰もが予想していたことだった。社会人の学び直しが提唱され、キャリアアップのために、術・デザインの素養が必要と考える入学生の増加、そんな学生たちの学習の利便性と学習効果を考えると、いずれはフルスペックのメディア授業を実現すべきなのだろう。

通信教育課程に「メディア授業推進会議」を設置し、先行する他大学の見学や聞き取りなどをしつつ、その可能性の検討を行った。折しも2014年に開始された「MOOC(Massive Open Online Courseサービス「gacco」への実験的な参加では、受講者10,000人を想定してデザインの授業を実施できるのか、そして提出された課題作品を評価できるのか、という社会実験を行った。

授業の流れは、前提講義、課題説明、発想の根拠の説明、オンラインによる実制作、双方向の質疑応答、全受講者の作品総覧、そして評価であったが、とりわけルーブリック(評価の指針)の開示や作品の総覧が教育効果に大きく影響があること、またリアルな授業内容をメディア化する場合は、教育工学的な発想を導入し、メディアに合った形で実現することで、初めて教育効果が上がることなどを学んだ。そのためには、これまでの授業内容をそのままメディア化するのではなく、授業の目標から評価方針を考え、それをメディアという教育方法にどう合致させるかという順序で、授業を組立てる必要があった。

「gacco」はオンデマンド型のメディア授業であり、メディア化のハードルはかなり高いが、場所と時間の制約がないため、大規模な授業が可能だった。一方で同時双方向型(リアルタイム)のメディア授業は、小規模で受講者が特定されている場合には、有効な授業方法と言えるだろう。美術大学において実技・演習授業をメディア授業として単位化するためには、術・デザインの教育内容を、メディアを前提にどう考えて行くのかという教育のあり方の研究が必要なのだ。

メディア授業といえば何といっても、2019年に始まった「新型コロナウイルス感染症」による影響は多大であった。初、半年くらいで収束するであろうと思われていたにもかかわらず2020年度以降、学・通信の両課程において、対面による授業は、すべて遠隔的な授業方法による代替措置を講じるよう政府からの通達があり、キャンパスは入構禁止となった。もとより遠隔的な授業方法による学習が前提の通信教育は、こういったパンデミックに強いと言われたりしたが、実際には対面による面接授業が貴重な学習機会であることや、機材や画材が周到に準備された面接授業課題を、臨機応変に自宅学習に切り替えることが困難であることなどを考えると、決して通信教育はパンデミックに強いとは言い難い状況だった。

Photo: Sato Yusuke

通信授業はそのままの形で粛々と実施されたが、面接授業を学生が登校しない形で実施できるか、その代替策に悩まされた。幸い政府より学生の学習を止めることなく、授業時間や評価の方法については、各大学で弾力的に対応してよいとの通達があり、通信では面接授業内容を、自宅で学習できる「課題研究」と称した授業方法に置き換えて実施した。

新型コロナウイルス感染症の影響が薄れた2022年頃、久々にスクーリングで再会した学生たちと、対面して授業ができることのありがたさを話し合った。作品は実体を伴って、共有した空間の中でこそ教育効果を発揮する。特に私の授業では、グラフィック系の課題が多く、紙に出力した作品を教室という空間の中で体感することで、初めてコミュニケーションの成否がわかる。リアルな空間で行われる講評会は、学びの集大成だったのだ。

2013年度卒業制作

「大学という教育を経験させられて幸せでした」

ムサビ通信では、高校卒業の資格さえあれば、1年次からの入学が学則上認められている。そのため、それまでの学習に障がいがあり、何らかの理由で学校に登校することができなかった学生や、身体もしくは精神に障がいのある学生が入学するケースが多く見られた。もちろん高校卒業の資格を有していれば、入学を拒む理由はどこにもない。事前の入学審査において「介助者なしで授業に参加し、自分だけの力で支障なく課題をやり遂げることが可能であること」という条件を満たせば、入学は許可となった。

障がいの種別は多種多様だった。不登校によって通信制の高校を選択した学生、発達障がいや学習障がいのある学生、身体に障がいのある学生など、美術なら興味をもって学び続けることができるだろう、と考える保護者の希望と相まって、事務や教員にはさまざまな相談が寄せられた。2016年4月には、障害者差別解消法の施行により、障がいのある学生の学習に何らかの支障があった場合には、大学はその支障を排除することなど、合理的配慮が義務付けられた。もちろん通信教育課程では、「障がい等配慮専門委員会」を発足当初より設置、障がい者に対して最大限の配慮で対応してきた。

絵画系が目標とする学びは、特に具体的な能力を限定することのない、幅広いポリシーであるため、たとえ障がいのある学生であっても学び続けられる可能性は高いが、デザイン系の学科のポリシーは、卒業において「社性」「コミュニケーション力」「問題解決力」が求められる。デザインは、今や形や色を考え、絵を描くだけではデザインの目的を完結できない職種になっているのである。

2010年度卒業制作

かなり重い発達障害をもって入学してきたA君のことは今でも忘れられない。クーリング受講に際して、事前に配慮申請が提出されていたA君に対しては、講師や指導補助への対応を徹底するのだが、授業ではあくまでも本人が考え、そして課題を制作する必要がある。演習授業では、まず課題の内容を理解することから始まり、その上で道具や機材の扱いを習得した後、自分の考えた作品を仕上げれば、最終日の講評会には何とか間に合わせることもできた。

いよいよ専門課程へ進級する時期、3年次の専門科目においては、ディスカッションやグルーワークを交えながら、問題の発見から構想へと考えを進め作品を制作する。1・2年次の課題とは異なり、指導補助も配慮のしようがなかった。最終科目の「卒業制作」までを見越すと、本人にとって学習が苦痛でしかなくなることが予想されたため、保護者を呼んで面談をした。「これからの学習の継続には困難が予想されるが、やり遂げられるだろうか」と問いかけたところ、父親は「わかりました。息子に何とか大学を卒業してもらいたいと思ったが、私もそう思います。大学がどんなものか、息子に経験させることができただけでも幸せでした」と言われた。内心はとても辛かったが、これも高等教育機関としては止むを得ないことなのだろう。

Bさんは、一見して目立った障がいがあるようには見受けられなかったが、早口で指示されたり、急がされたりするとパニックを起こしてしまう心配があり、配慮の申請が出されていた。「ゆっくり話してほしい」「箇条書きにして説明してほしい」ど、障がいの程度や種類はさまざまで、合理的配慮もかなりデリケートな対応が必要だった。最終課題の「卒業制作」は、テーマを自立的に考えデザインする、美術大学特有の課題であり、構想してさらに可動状態で作品を展示するだけに、その達成感は絶大であるものの、卒業できるかどうか、障がいをもつ学生にとっては、かなり負担の大きい課題である。希望と不安が入り混じった状態に、タフな学生でも精神的な疲労に耐えられない場合がある。ましてや不安神経症やパニック症のような、障害とは言えないような障がいを抱える学生にとっては、最難関であるためその指導には十分な配慮が必要なのだ。

卒制指導では学生が安易な完成に陥らないよう独創的で普遍的、そして次元の高いレベルをめざすよう励ますのが通例だが、それもまた大きなプレッシャーとなるため、ゆっくりと丁寧な指導を心がけ、「あくまで本人の考えを待つ。叱らない、急がせない」に留意した。完成した作品の評価はとても高かった。本人も父親も満足そうだった。卒業後は、無事に就職したと聞いた。美大としていい仕事ができたと思った。

教育環境が複雑になっている現代、さまざまな子どもたちがその学び方に苦労をしている。理念として、ダイバーシティ(多様性)を語ることは容易いが、制度として実現することは難しい。

2022年度卒業制作

「カタチの時代は終わった?」

美術大学の教育のモットー「創造性の涵養」である。その創造性を育むためには、充実した施設や、学生の創造性に寄り添い、それを育てる教員の資質が欠かせない。通学の美大受験の準備は独特である。今でも試験課題は変わっていたとしても、デッサンとデザイン画の二大要素は、相変わらず多くの美術大学の実技試験で課されているはずだ。

通学課程の試験監督をしていると、受験生たちの周到に準備された技に圧倒されてしまうことがある。確かに「うい」のだが、入学後もそのまま「うい」では済まないのだ。入学後の共通基礎授業では、その「うい」を一度壊すのだと聞いている。「うい」からといって創造性があるわけではないからだ。苦労して掴みかけた自分なりの「うい」を壊された学生たちは、落ち込んで悩むことになる。そこから這い上がって自分を見つめ直し、ただの「うい」に代わる自分のカタチを発見していくのだ。

2023年度卒業制作

通信の学生には、通学の入学生の前提となる予備校での修練はほとんど見られない。それは当然と言えば当然で、社会人としてすでに仕事ができている身としては、自分の将来を賭けた準備として、受験対策をすることは考えられない。初めて参加した面接授業で「うまく描こうとするな」と言われても、ただただ学生は混乱してしまうだけなのである。

2019年造形構想学部が創設され、大学院造形構想研究科(クリエイティブリーダーシップコース=CL)「造形言語リテラシーⅠ・Ⅱ」の授業を担当させていただいた。構想研究科には社会人の院生が多く在籍していた。それはまさに通信に学びにくる社会人学生と同じ事情、美大での「デザイン思考」を学びたいと願う院生たちがほとんどだった。

「造形言語リテラシー」は、グラフィックデザインの基礎的な課題を、美大を初めて経験する院生たちに課し、造形言語を駆使して、意味を形にできる力を学習するという授業だ。その第一課題は「自分のプロフィールをデザインする」なのだが、院生たちはまずはこの「デザインする」に頭を硬直させてしまう。結果は、読みにくい不思議な文字が並んだデザインになっていた。そうすることが彼らにとっての「デザインする」ことだったのか。おそらく読みやすくすることは「普通」だと思ったのだろうか

美大では全作品を並べて一つひとつ発表と講評をするが、初めての経験に「えっ! みんなの前に晒すのですか?」と驚かれてしまった。講評の効果は絶大で、教員が対面で学生個人にあれこれコメントをするより、他の学生の作品や反応の方が堪えるのである。

CL1期の修了生朝山絵美さんは、その後開設された博士課程において『ビジネスで成功する人は芸術を学んでいる』2024年、プレジデント社)を研究成果として上梓した。テーマであった「椅子の制作」を通して、自分が何を美大の学びから獲得したのか、その学びのプロセスを分析的に研究。生業にしているビジネス・コンサルタント業務において、いかに美大での学びが生かされるのかを言語化したのである。人間の本能の根幹を揺さぶる、鳥肌の立つような “トリハダ美” を一度経験した脳は、また同様の感激を求めて行動する。それをアートと言うべきか、デザインと言うべきかはさておき、モノを作り上げた自分が、自分に感動した成功体験は、脳が決して忘れることがないだろう。

ムサビの通信教育は、「デザイナーアーティストになるために美大に入学する」といった時代は終わり、デザインやアートの社会性がますます注目されるようになるにつれ、どのような学びを実現したらいいのか、考え続ける必要があるだろう。「カタチの時代は終わった」と言われ、デザインは形や色を問題にすることがなくなるのか? 2020年通信教育課程のデザイン系2学科は、工芸工業デザイン学科2コース、デザイン情報学科2コースを統合し、社会的な問題を総合的なテーマや方法で考えながらデザインを志向する、デザイン情報学科デザイン総合コース1学科1コースとして再編した。

「カタチの時代は終わった」と言われても、視覚によって生じた感覚に感動し、行動することに変わりがないのであれば、その修練に終わりはないと思うのである。スティーブ・ジョブズは版画を愛で、カリグラフィを愛した。グーグルアースを開発したジョン・ハンケは、ャーズ・イームズの制作した、ケーラブルな映像作品に感化されて夢を実現した。美に対する意識は、創造力の源なのだ。

白尾隆太郎

しらお・りゅうたろう

1953年鹿児島県生まれ。東京教育大学(現筑波大学)教育学部芸術学科構成専攻卒業、勝井三雄デザイン研究室を経て、1982年白尾デザイン事務所開設。2002年武蔵野美術大学造形学部教授着任、2024年退任。武蔵野美術大学名誉教授。筑摩書房、文英堂の教科書のディレクション・デザイン。ブリヂストンスポーツのゴルフボールアライメントデザインの共同開発。電気通信大学のコミュニケーション・サインシステムなど。『構成 高橋正人の遺した造形教育』単著2023年『造形の基礎 アートに生きる。デザインを生きる。』共著2020年『新訂 イメージ編集』編著2024年『graphic elements グラフィックデザインの基礎課題』監修2015年(武蔵野美術大学出版局