建物を外部空間と一体化して考える芦原建築

今日は3つのテーマに分けてお話ししようと思います「武蔵美キャンパスの芦原義信建築、3つの見どころ」「建築家芦原義信に関わる3つの疑惑!?」、最後に「DOCOMOMO(ドコモモ)って何?」です

みなさん1年生ですが、入学してしばらく時間が経っていますので、学内の校舎配置はだいたいわかっていると思います。まず、正門を入ってまっすぐ進むと1号館、その下をくぐって中央広場に出ますね。その中央広場に面して囲んでいるのが1号館・4号館・美術館・7号館です。建築の竣工順にいうと、4号館が1964年、7号館が1965年、美術館が1967年、1号館が1968年。そして8号館が1969年に、その次に、現在は道路で隔てられた体育館が1972年にできました註1

芦原義信先生は、本学建築学科の初代の主任教授です。芦原先生は東京大学(旧 東京帝国大学)のご出身ですが、建築家になってからアメリカのハーバード大学大学院(Graduate School of Design)で学ばれました。日本の大学組織では、建築学科は工学部に属することが多いですが、欧米では建築学科が美術学部・デザイン学部の中に置かれることが少なくありません。

1964年に、芦原先生はムサビに着任します。そのときに「わたしの考え方でやらせてください」と言いました。それがアメリカの大学方式というものです。そして理事長からのオファーで、鷹の台キャンパスの設計をすることになります

時、芦原先生は東京オリンピックの施設、駒沢体育館を設計しておられます1964年竣工)。今は公園になって、「駒沢オリンピック公園総合運動場体育館」と呼ばれていますが、ここの体育館だけでなく広場を含む全体計画を行いました。そして、銀座ソニービルも設計されました1964年竣工)。最近(2017–18年解体されてしまいましたが、銀座5丁目にあったソニーのショールームです

ここで、鷹の台キャンパスにおける芦原建築の「3つの見どころ」をざっと説明しておきましょう。

(1)コンクリート打放しと矢羽模様:芦原建築の特徴は、矢羽模様というのは45度に凸凹になっているレリーフ状の模様で、7号館の壁に見られます。美術館側面の壁部分もそうです
(2)スプリット・フロア:日本では「スキップ・フロア」といわれることが多いようですが、英語ではスプリット・フロア、つまり上下の床(フロア)は分かれているが、空間的・体験的には連続している。銀座ソニービルもそのようになっていました。
(3)それぞれの校舎には玄関ホールがない:別の言い方をすると「教室を出るといきなり外部空間」ということです

広場とキャンパスを詳しく見ていきましょう。芦原先生は「外部空間」の重要性をかなり早い時期、60年代初頭から考えておられました。建築を外部空間と一体化して考えなければならないということを理論化し、「建築の外部空間に関する研究」を東京大学博士論文1961年にまとめ、のちにいくつもの本を書いていらっしゃいます。その外部空間の設計を実現しているのが、ムサビのキャンパスです

古い航空写真1969年を見てみましょう。1号館と美術資料図書館(当時は美術館と図書館が一緒になっていました)、そして4号館、7号館、8号館、鷹の台ホールは建っていますが、それ以外はプレハブの校舎です。右側は隣の敷地で朝鮮大学。周囲は畑、まだスカスカですね。

画像提供:武蔵野美術大学大学史史料室

当時の校舎の配置図を見てください。この配置こそが「建築家芦原義信に関わる3つの疑惑」のひとつ、“無断引用疑惑” (笑)です。もちろん疑惑というのは冗談ですこれは「伽藍(がらん)置」、お寺の建物配置、たとえば法隆寺の航空写真と比べてみると、下のほうに南大門があったりして、それは、なんとなくムサビの正門を彷彿とさせませんか?

門を通って、まっすぐ行って中央へとたどり着く。そこに五重塔と金堂が建っている。国宝建築、法隆寺の配置に似すぎているキャンパス計画! 芦原先生ご本人が、伽藍配置を参照されたといっておられました。ムサビの航空写真を見ると、正門からまっすぐのところに1号館があって、中央広場のむこうに美術館がある。伽藍配置を感じさせることがよくおわかりになるかと思います

1960年当初はこんなかんじで、まだ正門のゲートはありませんが、正門から西のほうを見ている写真です。このような荒涼たるところから建設が始まっています

画像提供:武蔵野美術大学大学史史料室

は、体育館への通路です。残念ながら、現在では小平3・3・3号線が通ってしまったので分断されてしまいましたが、私が入学した当初はこんな感じの景色でした。まだひょろひょろだったこのケヤキは、今では大きな木になっています

画像提供:武蔵野美術大学大学史史料室

そうして正門ができあがって、キャンパスの建設がだんだん進みます。これは北側から見た4号館。4号館はできましたが、まわりに何もありません。中央広場は、たぶんまだ工事中ですね。当時の4号館には、ちょっとしたベンチがあったり、水場があったり、みんなが集まる場所がつくられていました。当時の先生方の文章を読むと、こういうところでバーベキューをやったりしたそうです

画像提供:武蔵野美術大学大学史史料室

今の4号館は、螺旋階段を上がるとコモン・ペー(共有の空間)があって、それを囲んで3つのアトリエが向かい合っています。現在では、隣のアトリエに行きにくい状態ですが、当初は通路がありました。この通路は、アトリエを広く使うために、今はありません。

次に7号館。今とあまり変わっていませんが、新しいキャンパスで溌剌とした印象があります。この頃に入学した私は、「ムサビのキャンパス、かっこいいなぁ!」と思っていました。

画像提供:武蔵野美術大学大学史史料室

コンクリート打放しと矢羽模様

今日は芦原先生の秘密をいろいろ明かしていきますが、先生は1918年の7月7日生まれで、「7」が好きなんです。7号館の正面写真を見ると、大きな柱のあいだに小さな柱が入っている構成になっています。大きな柱は7本。じつは4号館も7本の柱でできているんですね。この2つが向き合っている、これが芦原先生の建築の特徴です

画像提供:武蔵野美術大学大学史史料室

先ほど話したスプリット・フロアは、1号館でも、よくわかると思います。1つの床がずっと続くのではなく、中2階とか中3階がでてくるわけです。ここは地面に段差がありますのでみんなも玉川上水を歩いたことがあると思いますが、これは多摩川の水を江戸まで引いてくるためのものなんですね。自然の勾配で流れていますので、ムサビも東から西に向かって、ちょっと上がっているんです

画像提供:武蔵野美術大学大学史史料室

話を「3つの見どころ」に戻します。これが矢羽根模様の7号館のレリーフ状の壁です。鉄筋コンクリートというのは、木で型枠を作って、そこにコンクリートを流し込んで、固まったら型枠をはずす、という作業をします。写真の左上にいる人が掴んでいるのは柱の部分の鉄筋ですね。そこに壁の型枠を立てているところです

画像提供:武蔵野美術大学大学史史料室

コンクリート打放しというのは、型枠をパカっとはずして、ペンキを塗ったりせずに、そのままの状態にしたものです。それがある意味で迫力がある、あるいはザラザラしているけれども清々い。20世紀になってヨーロッパのほうから世界に近代建築がひろがりますが、打放しコンクリートは近代建築の1つの様式といってよい。芦原先生はほかの建築家に先がけて、ムサビの校舎をすべてコンクリート打放しでやったわけです

7号館の外階段は、螺旋階段になっています。この螺旋階段はちょっと変わったつくりで、プレキャスト・コンクリートといいます。工場であらかじめコンクリートを固める。そうして固めてつくったパーツを運び込んで、同じものをねじりながら重ねてつくった階段です

画像提供:武蔵野美術大学大学史史料室

これは7号館を脇から見たところ。スプリット・フロアになっていますね。ちょっと階段を上がるとフロアがあって、またちょっと階段を上がると次のフロアになる。1階と2階は階段でつながっていますが、普通はいくら階段でつないでも1階と2階はお互いにまったく見えない。2階にいる人が1階の人の気配をなんとなく感じたり、話したりはできないのですが、スプリット・フロアであれば中間階ができるので、それができる。コミュニケーションできる、それがメリットです

画像提供:武蔵野美術大学大学史史料室

た、1号館ですが、スプリット・フロアによって、こういうふうに視線が異なった上下のフロアにつながり、空間が立体的にひらかれていきます

画像提供:武蔵野美術大学大学史史料室

7号館も、建築学科の入っている8号館も、階段を使わないと上の階に上がれない建物です。近年にはバリアフリーがいわれるようになって、車椅子利用者の活動を考えて、7号館と8号館のあいだにエレベーターをつけられました。でも7号館はスプリット・フロアがあるので、エレベーター1・2・3・4階とならずに、M1・1・M2・2・M3・3・M4・4階となっています。これを設計したのはムサビ建築学科の布施茂教授で、かっこいいエレベーター棟が建っています2020年竣工)

玄関ホールのない開放的な造り

た、内部と外部の関係が非常に密である、というのがムサビ建築の特徴です。7号館には、外部とも内部ともいえない空間があります

影:鈴木明

教室の外なんだけれども雨はあたらない、だけども外気とつながっている。芦原先生は公共建築だけではなく住宅もたくさん手がけておられますが、内外の繋がりだけでなく、人間が手を置いたり、腰掛けたりするような身体につながるデザインが非常に巧みですね。たとえば手すりは、幅がとても広いんです。高い建物だと危険ですが、ここにちょっと物を置いてしゃべったりとか、いろんな使い方ができるわけです

そして芦原建築の第3の見どころは、それぞれの校舎に玄関ホールがないことです。後に建った12号館などを見ると、玄関から教室までにホールがあります。フランス語では「ホワイエ」といいます。建築家はよくフランス語を使いますが、いわゆるエントランスホールですね。方、芦原建築の場合は、玄関ホールがなくて、中庭からいきなり校舎に入ってしまう。たいへん開放的です。玄関ホールはないけれども、外部空間からの中間領域がいろんなところにつくられているんです

次は「建築家芦原義信に関わる3つの疑惑」、その2の白い疑惑、これはけっこう際どい話ですが(笑)、あくまでも鈴木の私見です

これは芦原義信、東京帝国大学4年生の卒業設計です。正確には4年生とはいえなかったと思います。戦争中だったので、たぶん3年生ぐらいで卒業させられたのではないかと。芦原さんは卒業したら国鉄に入るつもりだったらしく、それで「中央旅客停車場」を設計したそうです。このパース、なかなかイカしてるんですねぇ。

画像提供:武蔵野美術大学美術館図書館

そして芦原先生の叔父さんである藤田嗣治の有名な作品、たとえば《寝室の裸婦キキ》などでは「白」が印象的です。“フジタ・ホワイト” といわれていますね。芦原先生は、藤田嗣治に卒業設計を「ちょっとだけ手伝ってもらった」とおっしゃってますが、このパースのいい感じに塗られた白いヴォリュームを見ると、かなりいいアドヴァイスをもらったんじゃないかと、私は疑っております(笑)

そして第3の疑惑、いや、疑惑というよりも伝説かな。自己主張が半端ない「日一」キャンパス計画です

建物で遊ぶ人は、けっこういます。たとえば、明治時代につくられた日本銀行本店を上空から見ると「円」という漢字が見えるそうです。同じようなことを芦原義信はムサビでやりました。1号館が「日」、中央広場が「本」、美術館が「一」に見えるというんですね。“日本一の美術大学” という伝説です

2008年のムサビ、国土地理院の地図・空中写真より
註1

1968年に5B号館も竣工しているが、この授業では中央広場に面した建築を中心に論じる。

鈴木明

すずき・あきら

1953年東京都生まれ。1975年 武蔵野美術大学大学院造形研究科デザイン専攻修了。1978年築・都市ワークショップ設立共同主催、神戸芸術工科大学教授を経て、2014年 本学造形学部建築学科教授に着任、2024年3月退任。博士(工学、2022年。近著に『ル・コルビュジエの身体図像』2024年がある。