国立西洋美術館よりも広い平面を持つ4号館
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建築の詳細な話に入りましょう。これは4号館の断面図詳細図です。

建築家は、この断面詳細図を見ただけでどのような建物か全部わかるんです。図面の下に柱がありますね。この1階部分を建築用語で「ピロティ」というのですが、実は、造られた当初は、柱は地面の上に独立して置かれていましたが、現在は柱の根本(地下)部分を全部繋いでいます。19

日本でも非常に有名な建築家、
答えからいうと、ムサビ4号館の柱と柱の間は9.6メートルという大きなスパン(幅)で飛んでいて、国立西洋美術館の柱の間は、それよりもかなり狭いスパン6.35 mであることがわかりました。つまり、ムサビの4号館は、国立西洋美術館よりもはるかに大きい平面を持ってる、ということなんです。びっくりしました! 国立西洋美術館はムサビよりもずっと大きな建物だと思っていたのですが、意外にもこじんまりとした建物だということがわかりました。
これが4号館の9.6メートルのスパンを持つ柱です。先ほど「外部空間の設計」の話をしましたが、4号館の2つのスパンのところに舗石ブロックが敷かれていました。昔は街の舗道にはこういうブロック敷かれていたんですね。土があらわだったムサビの中庭にも、舗石ブロックが敷きつめられて、広場らしくなった写真です。

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空間のスケール感を味わう
話は「芦原義信と外部空間」にシフトしていますが、これはムサビと同じ時期につくられた駒沢公園体育館・管制塔です。19

撮影:鈴木明
それと同じような広場がムサビのキャンパスの中にもあります。19
12号館の柱は7本ではなくて6本ですから、いろいろ変わったところがありますね。そういったことに疑問を持って、解明してもらえたらよいと思います。
12号館前の広場は、レンガが敷かれているところとタイルの部分があります。タイルが敷かれると、

ところで話は、芦原義信先生個人に移ります。芦原先生はサウナ風呂が好きで、こういったサウナ小屋を自宅に造られていました。中はこんな感じですね。

それから芦原先生は、自宅の屋根裏に小さな書斎を造ったんですね。勉強したり、原稿を書いたりということをこの書斎でやっておられました。公共的な空間、都市の大きな空間とは対照的に、こういった小さな空間を大事にして、愉しまれていたんですね。

実は、ムサビの美術館・図書館では、芦原義信先生のアーカイブというのをお預かりしているんです。写真に写っている製図版、座卓、シャンデリアはムサビが所蔵しています。もちろん図面も、お預かりしています。このアーカイブは世界に残る資料なので、これからムサビで、あるいは他大学の研究者で、これを研究させてくださいという人が増えるんじゃないかと思います。
ムサビの建築学科をつくってきた教員たち
最後に、これまでお話しした当時のムサビの建築学科、私がムサビに在籍した時代の先生方を列挙します。
織本匠…構造
寺田秀夫…建築計画、モデュラー・
竹山実…建築設計(意匠)
保坂陽一郎…建築設計(意匠)
坂本一成…図学、建築設計(意匠)
長尾重武…建築史
私が入学した時は芦原義信先生はいらっしゃらなくて、先生はムサビの建築学科を立ち上げて7年後、今度は東大の先生になられます。東大退任後に、またムサビに戻られたという複雑な在任を重ねた方です。その芦原先生が、ムサビの建築学科をつくる時に、織本匠、寺田秀夫、竹山実、保坂陽一郎、この先生方を呼んできました。
織本先生は、今日、見ていただいた建築の構造設計をしました。先ほどの耐震補強も、織本事務所が担当されています。
寺田秀夫先生は、芦原先生の事務所のスタッフではありませんが、事務所設立の時から懇意にされていて、かつての坂倉事務所(坂倉準三建築研究所)時代、そして現代建築研究所というところで芦原先生と机を並べた仲ですね。
寺田先生は建築計画、そしてモデュラー・
それと『建築設計資料集成』
竹山実先生は建築家として、実際の建築をバンバンやって、ここではカッコつきで「(意匠)」と書きましたが、ムサビの建築学科では特に意匠とはいいません。
私が在籍していた時は、坂本一成先生が図学を担当しておられました。私の師匠にあたる先生です。講師で着任されて、そのあと助教授になられました。同じく建築設計(意匠)もなさいます。それから長尾重武先生。長尾先生は、後にムサビ学長になられますが、その当時は建築史の先生としておられました。こうした専任の先生方がいらしたわけです。
先ほどの寺田先生は何をしておられたかというと、建築の平面図などをどのように組織化して解析するか、定義づけるか、整理するかという論理的な研究をなさっていました。すごく小さい写真ですが、車の前でにっこり笑っているのが寺田先生です。
この車、

次は竹山先生の作品です。グラフィズムといったらいいでしょうか、建築に二次元のグラフィックを重ねてしまうということをかなり派手にやり始めた。これは計画案ですが、ムサビなんでしょうかね。竹山先生は10号館を設計担当されました。イギリスの建築評論家、チャールズ・ジェンクスの『The Language of Post-Modern Architecture』という本の表紙に作品が取り上げられたりして、世界的な建築家として注目されました。日本語版の翻訳は、竹山先生です。
保坂陽一郎先生は、芦原義信建築研究所のスタッフとして働いておられて、それからムサビの教職に就かれました。美術資料図書館の増築計画を担当されました(19
坂本一成先生はどういう人かというと……これは私が大学院の時に設計をお手伝いさせてもらった住宅の矩計(かなばかり)の図、断面詳細図です。右側は私が描いた図面なので、すごく愛着が残っています。ものすごく人間的なスケールで建築をつくるのが得意な建築家ですね。断面図を見ればわかると思うんですが、たった9段で2階に上がってしまう。芦原先生はスプリット・フロア、中間階をつくって、そこでコミュニケーションをとるということをしました。でも坂本先生は、中間階とは呼ばず、なんとなく2階に上がっちゃった!みたいな、非常に「人間の身体に近い寸法」の住宅をつくりました。

これは坂本先生が設計された梅ヶ丘にある住宅で、見学会の時の写真です。後ろのほうに造りつけベンチがあって、立ち上がると頭をぶつけるような高さなんですが、こんな小さいところがあるおかげで、非常に人間的なスケールを感じる、外からは覗かれないようになっていて、窓のつくり方も上手ですね。

自身の研究と芦原建築との共通点
今までお話ししましたように、芦原先生をはじめ、素晴らしい先生方がムサビの建築学科をつくってこられた。そのいちばん末端にいるのが鈴木明でございまして、私が研究しているのは、国立西洋美術館を設計したル・コルビュジエ、彼は第二次世界大戦中に、モデュロールという寸法の研究を始めました。
先ほどお話しした、寺田秀夫先生が日本で編纂を続けた『建築設計資料集成』のもとになる本を、
ノイフェルトはバウハウス1期生の建築家で、その時にバウハウスで教えていたのはヴァルター・グロピウス、バウハウスの校長を務めた人です。ナチス・ドイツの時代ですから、グロピウスはアメリカに移民して、そこでハー
ノイフェルトはグロピウスの弟子でありながら、後にナチスの建設大臣になった建築家アルバー
ドイツも日本も、戦争中は特需がありました。飛行機をどんどんつくらないと戦争に負けるわけで、何もかも極力、生産効率をよくして、大きな軍事工場を建てなければならない。その時に、こういった寸法体系というのが決まっていれば、すぐに見積もりができる。そのようなわけで人間の寸法から建築計画の体系をつくったのですが、ル・コルビュジエという建築家はそれに反発して、かなり余裕のある、ある意味では人間が自由に動けるような寸法の体系をつくりあげました。それがモデュロールという寸法体系です。
人間の自由な動き、生活の中の動きから建築の寸法を決めていく、そうした空間をつくるための寸法の体系がモデュロールである、というのが私の論文の要です。
今日は、芦原先生のキャンパスの話をして、建築だけではなく外部空間まで拡張している、という話をさせていただきました。私がやっていることも、芦原先生が外部空間でやっておられたようなことを、














