1989年度卒業式 教授代表祝辞
毛利武彦(名誉教授)
ひとこと感想を述べて、皆さんに贈る言葉になれば幸いです。
私も昔、卒業式に出ました。改めて数えてみたら、それはもう48年も前で、約半世紀も昔の話です。当時はちょうど戦争の真っ最中で、今日のように平和な時代ではなかった。ですから、美術の学校に通っているなんていうのは全くの役立たずな人間、非国民のような目で見られていました。学校も急に半年繰り上げられて、卒業制作は夏休みに大いそぎで描かされ、卒業式は、忘れもしないという言葉通り、まだ暑い9月の25日でした。そして、それからわずか5日後にはみんな兵隊にならなければいけなかったのです。
今日、すっかり状況が変わりました。戦争が終わってから5年目、1950年の年頭、新聞、雑誌は一斉に書いたものです。まだテレビはなかった。「20世紀もついに半ばに達した。これからは文化国家をつくらなければならない」――やたらに文化、文化という言葉を聞かされました。私は自分が歴史の中に立っているという実感をそのとき強く味わったことを覚えています。文化国家をつくろうと思っているうちに、果たして文化国家が築かれてきたかどうか、私にはよく分かりません。けれども、現実に皆さんはこうして周囲から期待され、社会的要請に迎えられながら、そして、こんなに華やかな姿も交えて、私たちの時のような悲壮感ももたず、晴れ晴れと社会に出ていこうとされています。学長(水尾博先生)の言葉どおり、私も大変うらやましいと思います。
しかし、一抹の不安が、私にないわけではない。本当に表現者として、自分を生かしていく道は、依然として――というか、むしろ、どんな時代になってもそれは、非常に困難なことだろうと思います。デザイン科の卒業生は、先端技術に密接し社会に直結して、これから本当にやり甲斐のある仕事の毎日になるだろうとは思いますけれど、でも、体制に組み込まれすぎないようにする、強い意志がなかったら、やはり時代に先んじた本当の創造的な仕事はできないのではないか。一方、美術系の卒業生が、これから小さな自分の部屋の空間で、たった一人で、自分の作品と対話しながら、しかも、時代の深いところで状況を厳しく見据えながら、自分の志を貫いていくということは、やはり、並大抵のことではないと思うのです。
大学は、皆さんの手に職をつけることはできたけれども、皆さんがこれから個々の人生で、現実に押し流されず、なしくずしになっていってしまわないような意志を持ち続けていく、そういう強い意志を教えることはできなかっただろうと思います。それは、皆さんひとりひとりの問題です。それからここに半数おられる女性の方たち、あなた方は、在学中は男子をしのぐことがしばしばであったのに、学校を出ると、なぜか女性としての幸福をつかんだときに――たとえば結婚とか出産とか、そういうときになると次第に仕事から離れていってしまう。それはそれで、祝福すべき姿ではあるけれども、やはり、なにか非常に残念でならない場合がずいぶんあります。
2年や3年、絵を描かなくても、本当に一生懸命生きていれば、デッサン力というものは、けして衰えません。むしろ深まるかもしれない。けれど、いいかげんな生き方をしていればデッサンはすぐなまります。描きたくても描く時間がないという状態は、描きたくないのに惰性で描いているより、どれだけ精神衛生上よいかわからないのです。これからは、女性も創造の世界でますます活躍できる時代が来つつあるのですから、どうか環境に負けないで、また仕事に戻ってきていただきたいと思います。
あと10年たつと、20世紀も終ります。わずか3600日たつと21世紀を迎える。私が世紀の真ん中で「歴史の中にいるんだなあ」と感じたように、21世紀の夜明けには、皆さんはもっとそれを強く感ずるでしょう。そのときに皆さんは何歳になっているでしょうか。32、3歳から35、6歳前後、たぶん、30代の前半の方がほとんどだろうと思います。
昔から、造形的な創造力が最初のピークに達するのは、だいたい30代の前半だといわれています。これは皆さんが歴史を見て、いろんな作家の伝記などにちょっと目を通していただければ分かることです。音楽や物理学や数学のような分野ではもうちょっと早く、文学の世界はやはり現実のヤスリにもう少し削られた後のほうがいいようで、美術よりも創造のピークが遅く来るとか聞いたことがあります。
いずれにしても、造形的な皆さんの創造力が最初のピークに達するとき。ちょうど21世紀になる。これは本当に劇的な出会い、といっては大げさですけれども、なんてあなた方は幸せな世代なんだろうと私は思うのです。どうかこの10年を大切にし、その日その日の現実に押し流されず、深く時代の底を見詰めながら、そしてまた、遠く世界の向こう側まで見通そうとしながら、あなた方の創造的な表現者としての世界を推し進めていってください。これが私、あるいは私たちの、本当に皆さんに託す、願いです。
頼みます。
毛利武彦先生の思い出
内田あぐり(名誉教授)
ある日「MAU2029」編集部より、毛利武彦先生が1989年の卒業式で述べられた祝辞が送られてきました。37年前の卒業式祝辞は、なんと今の時代を象徴する言葉なのだろうと、初めて読ませていただいた私にも深く心に染み入るものでした。
1990年頃、毛利先生、奥様のやすみさん、日本画大学院生たち、友人など総勢9名でイタリア旅行をしました。念願だったアッシジの初期ルネッサンスのジオットやチマブーエを見て、ヴェネツィア、パドヴァ、フィレンツェなどを周り、先生たちとの集合写真を見る度に懐かしく思うのです。上着のポケットから小さなスケッチブックと鉛筆を取り出して、サン・マルコ広場、ジオットの絵画の前や村の小さな教会など、どこにいてもスケッチをなさっている毛利先生の後ろ姿を間近で拝見できたことは、私にとって一番の旅の収穫となりました。
サン・マルコ広場にて。右から4番目が毛利先生、3番目が内田。左端が庄司尚子さん、その隣が毛利夫人やすみさん(写真提供:内田あぐり)
イタリアへ同行した、当時は大学院生だった庄司尚子さんは、大学院修了後は横浜美術館に勤務なさり、現在は美術館のコーディネーターなど、横浜トリエンナーレや様々な展覧会の企画、コレクション展、大規模改修の際の仕事など色々となさって、とても活躍しています。この前は横浜美術館の市民のアトリエで日本画素材によるワークショップを開催したのですが、一緒に画材の準備や指導を手伝っていただきました。
先日、庄司さんと毛利先生とのイタリア旅行の思い出話をした際に、卒業式の祝辞をよく覚えていると聞いてびっくりしました。庄司さんは1989年に学部を卒業して、その後大学院へと進学しました。卒業式で「あなたたちはこれから様々なことがあって制作をできなくなることもあるかもしれない。けれど、大学で4年間しっかりやってきたから、一生懸命生きていたらいつでも再開できるから大丈夫」というようなことを話されて、とても感動したのを覚えているそうで、未だにその言葉が支えになっていると話していました。庄司さんの記憶に生きる37年前の毛利先生の言葉を聞いたことは、忘れられない大切な私の思い出になったのです。
1920–2010年。東京美術学校日本画科卒業。創画会に所属。1948–1982年、慶應義塾高等学校教諭(芸術科美術担当)。武蔵野美術学校非常勤講師を経て、武蔵野美術大学造形学部日本画学科教授(1982–1991年)。武蔵野美術大学名誉教授。
1949年生まれ。武蔵野美術大学造形学部日本画学科、同大学院修了。創画会で活躍。本学日本画学科教授(在職1993–2020年)を経て、本学名誉教授。著書(監修)に『膠を旅する』国書刊行会、『日本画 表現と技法』『現代日本画の発想』武蔵野美術大学出版局など。個展、グループ展のほかにワークショップまで、幅広い日本画表現を行っている。