2023年度をもって、90年以上の長い歴史を閉じた武蔵野美術大学吉祥寺校。その2号館4階の壁面にあった大きなモザイク画が、鷹の台キャンパスの7号館に移設されました。かつての武蔵野美術学校(本科西洋画科)の学生らによる作品とされるモザイク壁画のことや移設プロジェクトについて、移設作業(保存・修復)を手配した吉川民仁先生(通信教育課程・油絵学科教授)が語ります。
人の手で直しながら、オリジナルを守るということ
今回移設したモザイク壁画は、誰がいつ制作したものか正確にはわかっていません。この作品も含めて吉祥寺校の校舎壁面に残されていたモザイク画やフレスコ画は、1950〜1970年代に通っていた武蔵野美術学校の学生が卒業制作のようなものとして共同制作したものだと言われています。
モザイク壁画の移設は、閉校にあたりムサビの始まりの地である吉祥寺校のものを残していくというのが一番の目的でした。ただ、作品を残していくというのは実はとても大変なことです。たとえば美術館に展示される昔の作品などは、必ず修復が施されています。修復の手が入ると作品のオリジナル性が損なわれるという考え方もありますが、残すということは、ものすごく人の手が関わってできることなんです。

現在はデジタル技術が発達しているので、記録だけ残して現物は残さないというケースもたくさんあり、この移設に関してもなかなか賛成が得られない時期がありました。しかし、長らく吉祥寺校で通信教育課程の指導をされた樺山祐和学長のご尽力があり、鷹の台キャンパスに残すことになったのです。吉祥寺校の近所には、名誉教授である三雲祥之助先生のアトリエも当時はまだ残されており、無造作に置かれたスケッチブックや、木枠からはずされて巻かれた状態のキャンバスなどを樺山先生と一緒に整理し、保管する作業も行いました。
モノが失われてしまうと、“オリジナル”は二度と取り戻すことはできません。写真や映像で精巧に記録することができたとしても、オリジナルからしか伝わらないものがある。たとえ破損していたとしても、オリジナルが残っていることの意味は大いにあるはずです。
また、破損したものを修復し保存していこうとみんなで力を合わせるなかで、技術も自然と継承されていきます。今回のモザイク壁画のように、オリジナルを後世に残していくことは意義のある大事なことだと考えています。
歴史を紐解き、残していくための移設作業
鷹の台キャンパスへの移設作業は、通信教育課程で古典技法をご指導くださっている鈴村敦夫先生にご協力いただきました。鈴村先生はモザイク壁画の修復保存の専門家なのでとてもスムーズに進み、3.6×3メートルのモザイク壁画を取り外し約1年ほど修復作業を行い、取り付け作業自体は2週間ほどで終えることができました。
移設はすべての石片に番号を振ったうえで、表面に何重にも和紙を貼り重ねて表打ちしてブロックごとに壁から剥がしていくんです。私はそのとき別の作業をしていましたが、剥がす作業自体はそこまで手間のかかるものではなかったようです。
壁から剥がした石片は、配置を確認しながらモルタルで隙間を埋めてブロックごとに移設用パネルに移していきます。作業としてはこれがいちばん手間のかかる工程だったと思います。


その後、工房で移設用パネルに剥がしたモザイク画面を再接着し、それを鷹の台キャンパスに搬入して移設先での設置作業に移りました。パネルをつないで、パネル同士の境目部分にはバラの石片を番号に合わせてはめていく。この工法であれば、仮にまたどこかに移設する必要性が出てきた場合にも、今回と同じようにパネルごとに取り外したり移動したりすることができます。
移設作業には石の専門業者も入っていましたが、壁画に使われている石について「いまはもう採れない石だ」という話を聞きました。昔はこうした作品づくりに、国内で仕入れられる大理石を使っていたのかもしれません。ほかにも、作業に来てくださった方のなかに、かつてムサビの通信課程でモザイクの授業を受けてモザイク作家になったという方もいました。

鈴村先生や業者の方、お手伝いの方たちの尽力のおかげで、移設作業は2024年度の卒業式前に完了しました。通信課程のスクーリングで吉祥寺校に通った最後の学生が卒業する年だったので、彼らにモザイク壁画が鷹の台キャンパスでこれからも残っていくということを伝えることができたのはよかったです。
鷹の台キャンパスで新たな時間を刻むモザイク壁画
前述のように、吉祥寺校のモザイク壁画やフレスコ画の制作の経緯や詳細は不明のままですが、おそらく永久的に残すものとして制作したというよりも、実習や卒業制作のようなかたちで前の作品を剥がしてまたその上に作品をつくる、ということをしていたのではないかなと推測しています。
1958年には長谷川路可先生が武蔵野美術学校の本科デザイン科芸能デザイン専攻の講師に着任され、その後、本科西洋画科の教え子を中心メンバーとして「F・M壁画集団」を立ち上げました。モザイク壁画の制作は長谷川先生の弟子であった方が中心となったと聞いていますが、このF・M壁画集団の人員も関わっていたかもしれません。

吉祥寺校ではこの壁画は建物の4階にあって、夜になって灯りがつくと、住宅街のなかでとてもきれいに見えていたそうです。いま鷹の台キャンパスに通っている学生たちのほとんどは、吉祥寺校にあった壁画を見たことがありません。移設先の7号館の4階壁面は、中央広場に面して開放感があり、とてもいい場所です。学生たちは「いつの間にこんなものが」と思っているかもしれませんが、ムサビは吉祥寺校から始まり、その歴史を経ていまの鷹の台キャンパスがあるわけなので、吉祥寺校の面影ともいえるモザイク壁画を移設し残していくことは意義深いと思っています。
時代的にはデータでアーカイブすることが主流になっていますが、やっぱりモノ=オリジナルを残さないといけないものもある。今回のモザイク壁画も、鷹の台キャンパスに移設したことで、たくさんの人の目に触れ、新たに研究する人が出てくるかもしれないし、誰かの記憶を呼び覚ますことがあるかもしれません。私自身としては、モノを残すということに関われた、可能性をつないでいくということが実現できたということに喜びを感じています。

参考資料
「特集:長谷川路可とF・M壁画集団」(武蔵野美術大学校友会 msb! magazine 100号記念別冊「CHANGE」2015年)
1965年生まれ。武蔵野美術大学大学院 造形研究科油絵コース修了(修士)。2018年4月、本学教授に着任。平面を中心に抽象表現によるアクリル、油彩などを用いた絵画表現の追求及び研究をテーマに、1990年から個展を中心に作品を発表。パブリックコレクション:愛知県美術館、成田空港国際線JALファーストクラスラウンジほか。共著:『絵画の表現』武蔵野美術大学出版局、2021年。