震災から復興した博物館でのムサビとの展示
- 加藤
石巻市博物館と武蔵野美術大学との関わりについて、振り返っておきたいと思います。ご承知の通り、この複合施設であるマルホンまきあーとテラスのなかに石巻市博物館が設置されましたが、もともとこの博物館は石巻文化センターとして長い博物館活動の歴史を刻んできました。
石巻文化センターは20
11年の東日本大震災で被災し、わたし自身も文化財レスキュー活動で市内のコレクションの救援や保全作業に関与してまいりました。その後、石巻文化センターの活動を受け継ぐかたちで、 20 21年 11月に石巻市博物館がオープン。博物館として復興するまでの 10年間は、学芸員のみなさんの大変なご努力がありました。

開館翌年の20
22年、企画展として「平山郁夫が描いた奥の細道」が開催されました。この展示は、瀬戸内の平山郁夫美術館、山梨の平山郁夫シルクロード美術館の学芸員の協力を得て、わたし、加藤幸治が監修とコーディネー ター役となり、石巻市博物館が自主企画したものです。日本画家が描いた震災前の風景、特に金華山を描いた素描作品を中心に東北の聖地を紹介する展示でした。 実はわたしは、この展覧会で「博物館で行う美術展」の大きな可能性を見出しました。歴史系の博物館で絵や作品を展示することで、作品を通して風土や歴史に触れることができる。つまり絵の鑑賞にとどまらず、その鑑賞が地域理解へと広がっていきます。地域のみなさんにとっては、よく見知った風景がまた違った面を持っているということに気付くきっかけとなります。
展覧会図録に本学のデザイン系学生が関わったり、関連イベントとしてワークショップを企画した学生は、今回の「森と海の美術展」でも指導役として関わり続けていたりと、この展覧会が石巻市博物館と武蔵野美術大学との関わりの起点となりました。
翌年の20
23年には企画展「民具のデザイン図鑑」 を、武蔵野美術大学と共催で実施しました。この展示は、津波で被災したのち、クリーニングや整理を終えて安定化した民俗資料のお披露目の機会でした。それらは、震災を伝える被災資料ではありますが、もともと地域の生活の歴史を伝える資料として収集されたものですので、この展示では本来の目的に立ち返って民具を紹介したいという博物館側の意図がありました。そこで、全国規模で収集されてきた武蔵野美術大学の民俗資料を、石巻地域の民具と組み合わせ、その特徴を浮き彫りにしようとしたのがこの展覧会でした。 会期中、本学のデザイン系学科の先生方が、暮らしの造形についてクラフト、
ワークショップ、デジタルなどの視点から語り合うシンポジウムを小ホールで開催しました。登壇いただいた先生方は、今後も石巻での活動に関わっていただくことになっています。


「石巻市博物館を核とした文化芸術振興に関する連携協力協定」の締結
- 加藤
「民具のデザイン図鑑」展の会期中に行われた樺山先生によるトークイベントは、その後の連携協力協定へと直接的に結びついていきました。
トークでは、美術の視点で地域の自然をとらえるまなざしについて語っていただきました。そこから、市民が美術やデザインによって地域の新しい魅力を再認識し、若者や中高生を巻き込んで復興した新しい博物館を中心とした活動をともに企画・実践していくことで、震災から 10年以上が経過した石巻の文化芸術の底上げを図りたいという目的が共有され、 20 24年に連携協力協定を締結することになったのです。 協定には、美大生を博物館実習として受け入れていただく人材育成や、相互の所蔵する貴重な作品や資料を貸し借りして互いに公開機会を増やすなど、多様な内容が含まれています。
例えば、石巻市博物館はこれまで現代彫刻作品を多数収集してきました。
20 24年には大学美術館の大規模改修工事による休館にあたり、休館中にも学生に学内で美術作品に触れる機会を提供するために、石巻市博物館から舟越桂「ラムセスにまつわる記憶」という半身像の木彫作品をお借りして、大学図書館展示室で公開しました。

こうして結ばれた連携協力協定の主軸となる博物館活動が「森と海の美術展」です。今回の企画展「樺山祐和と描く―森と海の美術展」
は、地元の中高生と樺山学長、そして指導役のムサビの大学院生・卒業生たちの、2024〜20 25年の2年間にわたる石巻でのフィールドワークに基づく作品を展示しています。 一般募集で集まった石巻と周辺市町村の中高生とともに、フィールドワークを行い、マルホンまきあーとテラス内のアトリエでの共同制作や、樺山先生による中間講評やメッセージなどを受けながら、作品の展示を行いました。樺山先生自身も、石巻で制作された「顕」(あらわれ)と「際」(きわ)という500号の大作2点を出品しています。

右:石巻市博物館企画展「樺山祐和と描く森と海の美術展」ポスター(20
2024年度の活動を振り返って
- 加藤
それではここから樺山先生にお聞きしていきます。今回の展覧会では、あまり見せることのない、先生が野外で描いたドローイングを大量に展示しています。実は、ふだんあまり実際の制作風景を学生に見せることは少ないとお聞きしましたが、現場でのドローイングは簡易な台の上に毛氈を敷いて、和紙に次々と描かれていました。先生は油絵画家ですが、和紙に墨を使われるのはなぜですか?

- 樺山
僕は、絵よりも書の方に早く触れたんですね。父親が書をやっていたということもありますが、幼い頃から書を叩き込まれたんです。あまり書は好きではなかったんですけど、ただ繰り返し行っていた感覚だと、そういうものが体の中にすごく残っているんですね。それが40代ぐらいになってから、こういうふうに表に出てくるようになりました。
そして和紙に墨だと、短い時間で何枚も描けるんです。展示されているドローイングは1枚に1分もかからないぐらいでどんどん描きました。完成度とか構図だとか、ましてや下書きのようにこれがどういう絵の部分になるかということは一切考えずに、いかに対象と対話するか。もう見なくても体が覚えるぐらいまで現場で描くんです。だからドローイングは作品ではなく、そういう行為の痕跡みたいなものなんですが、でもある意味で絵になるもののエッセンスがあるので、どういうものが現れるんだろうということに興味があるんです。
- 加藤
そうして現場で何十枚、何百枚も描いたものを、アトリエに持って帰って実際の作品に向かっていくわけですが、ドローイングと完成した作品の間のプロセスではどんなふうに仕事をされていくんですか?
- 樺山
描いたものはとにかく全部アトリエの床に並べていくんです。並べ終えたら振り返って見るんですね。今日は何が見えたか、どんなふうに見たかと。その中で、今日イチだとか、ベストスリーだとか、ピンとくるものをピックアップしておきます。それで最終的にこれだなというものが出てくると、1点のドローイングをもとに油絵に取り掛かるんだけど、決してそれをなぞるというようなものではなく、その時の息づかいみたいなものを大事にしながら、油絵にしていくという感じですね。
- 加藤
その1枚を見ていると、現場で対象と向き合っている時に戻れるということですか?
- 樺山
うー
ん、現場に向き合っている時には向き合っている時の時間と空間があって、アトリエで描くときにはそこにいろんな記憶などが入ってきます。もちろん現場で描いている時も記憶だとかいろんなものが作動していると思いますが、目の前になくアトリエに戻って描くときにはまた違った記憶が働いていると思いますね。現場で描いたものをそのまま落とし込むと、イメージが「発 酵」されていないので、アトリエでそれをちょっと「熟 成」させる。だから現場で描いたものをもとに、アトリエで何も見ないで描いていくと、だんだんこうだなというものが見えてくる。 だから、油絵に行く時ってなかなか緊張感があるんです。いつ入り込んで良いかなと難しい。何気なくスッと入れる時もあるし、エイヤ!っと入る時もあるし、なかなか緊張するわけ。

- 加藤
これは、一番最初に樺山先生が石巻の牡鹿半島で、極寒のなか冬の金華山と向き合われた時の写真ですが、声をかけられないような鬼気迫るものがありました。
中高生たちとは、春になってから20
24年は牡鹿半島を訪ねることになったわけですが、最初に行ったのは半島の真ん中あたりにある給分浜にある持福院、あるいは後山寺と呼ばれる寺院の境内でした。海から流れ着いたという伝承がある、重要文化財の十一面観音立像が安置されている由緒ある場所です。半島では過去の津波の到達点よりも高所に、寺社がありますので、少し集落と港を見下ろすようなところにあります。立派な木がありまして、みなさんをご案内しました。また、半島の先にもみんなで行きましたが、樺山先生が抱いている牡鹿半島の印象はどんなものですか?

- 樺山
絵って何だろうっていつも考えるんだけど、やっぱり絵っていうものは別の世界への入口なんですね。風景も、この世の世界とあの世との接点のように感じます。そして峠とか岬って、そういう場所なんですね。この牡鹿半島も地形を見て分かるようにまさに峠であり岬であって、この世とあの世の境界域だなぁって思うんです。峠を越えるたびにそう思います。
金華山を見たときにはそれが顕わになっていました。明らかに此岸と彼岸が感じられる場所だった。半島って山と海がダイレクトにぶつかり合っているところだから、自然は厳しいなと思いました。風を受けている木々を見ても、平地に立っているのとはまるで違っていて、ある厳しさを持っている。ですからそういう緊張感や、荒々しいところがあるし、生きるっていうことが厳しいところだから、生と死が顕わになっているところだと思いましたね。
- 加藤
最初に樺山先生が石巻にこられた時に、さてどこをご案内しようかと思ってお聞きしたら、
「果 て」に行きたいとおっしゃいました。この場所の果てるところはどこかというので、それでは金華山しかないと。
- 樺山
石巻の街中もありますけれど、せっかく石巻へ来て「果
て」に行かなくてどうするんだ、と思いますね(笑)。

- 加藤
一般の観光客は、牡鹿半島の先まで行って何もないのではないかと思いがちですが。
- 樺山
僕はヨーロッパに行った時にも、サンティアゴ・
デ・コンポステーラというスペインのカリシア地方の巡礼道を尋ねた折に、フィニステレというスペイン語で「地の果て」を意味する岬へ車で行きました。その時も「何もない」があるというか、何かが充満しているというか、何かと出会える場所という感じがあった。学生時代も、本州の果てに行こうと下北半島の尻屋崎まで行ったり、とにかく「果 て」に行きたい。そこには何かがある。生きながらにしてこの世を脱してみたいという、絵を描くって基本的にそういうものだとも思うしね。
- 加藤
牡鹿半島の先端にのり浜という場所があり、フィールドワークでそこを訪ねました。おしか御番所公園の展望台から綺麗な三角錐として見える金華山は、のり浜から眺める金華山とは違っていて、もはやそれが金華山かどうかわからないほど近いというか、迫ってくる。

- 樺山
僕は最初に御番所公園から金華山を見たのだけど、これはとても描けないなと思った。あまりにも定番すぎるということもあるけど、非の打ち所がない。それでのり浜では、ドローイングもいっぱいやったけれど、それでもやっぱり御番所公園からの金華山は、一番最初に出会った金華山で、その時の印象がものすごく強いんだよね。だから「顕」の作品では手前の木々はのり浜で描いた時のイメージなんだけど、奥の金華山は御番所公園で出会った金華山になった。その時の金華山は、晴れた良い日だったんだよね。だから空と海が同じような感じで、金華山の島が重力を感じないで浮かんでいるみたいな感じだった。その時の印象というものが自分のなかに入っていて、時間が経つと正面から眺めた金華山は描けないという気持ちにもなったんだけど、やっぱり最初に出会った金華山に立ち返っていったという感じですね。















