はじめまして、​手羽イチロウと申します。​
武蔵野美術大学彫刻学科を卒業して、​普段は美大の良さを伝える美大愛好家としてネットで活動していますが、​裏では大学広報も担当しています。​
今回編集部から「これまでのMAU2029の空気を読まない感じで、​手羽さんなりにムサビの入学式をコラムっぽく紹介してほしい。​入学式ネタだから4月中に公開したいんで締切は6日後」というかなり無茶ぶりに近い依頼がありまして。​
締切の厳しさもそうですが、​勝井三雄先生、​向井周太郎先生、​吉田直哉先生などなど錚々たる先生方の記事の後に空気読まずに書くって、​すごく勇気がいるんですけど・・・。​

前置きが長くなりました。​
まずは2025年度新入生の皆さん、​ご入学おめでとうございます!!
ムサビの入学式はいかがでしたか?

令和7年度入学式の様子

DJ演奏、​飛び交うレーザー線、​AI音声によるアナウンス等カオスな状態に「やばい大学に入っちゃったなあ」と感じたんじゃないでしょうか。​

そこで、​今回はムサビの入学式の歴史を紹介していきます。​
あ、​新入生でも楽しめるように脱線しまくりな話になることを先にお伝えしておきます。​

最初は1952年(昭和27年に吉祥寺校の講義室で行われた入学式の風景で、​大学史史料室に残されている一番古いムサビ入学式の写真です。​
祝辞をされているのは丸山鶴吉校長。​詳細な状況は不明ですが、​当時はこれくらいの教室で入学式をやれる学生数規模だったのがわかります。​

・・、​新入生だともう知らない学生さんもいるかもしれません。​
ムサビは1929年(昭和4年)に帝国美術学校という名前で吉祥寺に誕生しました。​吉祥寺駅から徒歩15分ぐらいの場所にあり(途中には「美大通り」も)、​主に通信教育課程の校舎として使ってましたが、​通信が鷹の台キャンパスに移転し、​2023年度末に吉祥寺校は閉校しちゃったんですね。​

次が、​1959年(昭和34年に入学記念で撮影された教員と学生の集合写真です。​

写真の下に鉛筆で、​「本(三科)」と書かれています。​
当時は本科日本画科・本科西洋画科・本科彫刻科を「本(三科)」と呼んでいて、​その他に本科デザイン科、​図画工作教員養成科などがありました。​
本科デザイン科は商業デザイン専攻、​工芸工業デザイン専攻、​芸能デザイン専攻の3専攻で構成されていて、​商業デザイン専攻は現在の視覚伝達デザイン学科、​芸能デザイン専攻が空間演出デザイン学科の源流です。​

ちなみに撮影場所は吉祥寺校の2号館前。​

上記は2023年5月に手羽が撮影したものですが、​レンガ敷きになったくらいでほとんど景色が変わってないですね。​

続いて、​1964年(昭和39年産業デザイン学科教員と学生の集合写真です。​

1962年に武蔵野美術学校から武蔵野美術大学に改称されるのですが、​本科デザイン科も造形学部産業デザイン学科になっています。​最前列中央は、​昭和期の日本を代表するグラフィックデザイナーの一人・原弘 主任教授。​

特筆すべきは、​この年に産業デザイン学科の中に建築デザイン専攻が開設されたことでしょうか。​建築デザイン専攻は翌年建築学科へと独立するのですが、​当時の諸先輩たちに聞くと必ずといっていいほど「他分野の学生と強いつながりがあったから、​仕事を始めた時にインは商業デザインのあいつ、​インテリアは工デのあの人に頼もといろいろ助けられた」と熱く語られます。​

撮影場所は吉祥寺校3号館裏で、​

2023年2月手羽撮影

吉祥寺校は引きが取れる広い空間があまりないから、​昔はよくこの場所で集合写真を撮っていたようです。​でも、​どこから撮影したのかがわからないんですよね。​すごく高い脚立を立てて撮ったのかな?

1961年に鷹の台校(現鷹の台キャンパス)が開設され、​次から鷹の台キャンパスの写真になっていきます。​

1965年(昭和40年、​入学式での学長祝辞風景。​
これまでの写真を見比べると、​女性比率が徐々に上がっているのがわかりますね。​
会場は7号館4階の現 第11講義室。​

こちらは同じ第11講義室で撮影した2023年度在学生保護者向け説明会での樺山学長挨拶風景。​

1965年(昭和40年の写真はもう1枚あり、​

7号館前での集合写真撮影風景です。​
ほぼ同じ場所から撮影したのが下記の写真で、​

12号館はもちろんのこと、​美術資料図書館(現 美術館)もまだ存在しないし、​中央広場もアスファルトではなくコンクリート平板です。​

美術資料図書館(現 美術館)1967年に竣工し、​

上記写真は1969年(昭和44年の入学式風景。​
「え?入学式を美術館の中でやってたの?」と驚きだけど、​当時は広いホールがなかったので、​美術資料図書館の中で大人数を入れた式典を行ってたようです。​これはこれで「美大の入学式」って感じで趣を感じます。​
私が学生の頃はまだ図書館と美術館が同居する「美術資料図書館」で、​1階はサモトラケのニケをはじめ石膏像がたくさん鎮座しており、​よく学生が石膏をデッサンしてました。​

そして、​いよいよ1972年に体育館が竣工し、​入学式・卒業式を体育館アリーナで挙行するようになります。​

こちらは1986年(昭和61年の入学式風景。​

手羽はこの写真を見て衝撃を受けたんですよ。​
正面に「M」と書かれた旗のようなものがあるのわかります?

今も卒業式と入学式の年に2回だけ校旗・・のようなものが掲揚されているんですが、​まさにこれなんです!
ムサビは公式な校旗が存在せず、​この旗をいつ誰がデザインしたのか、​はっきりとわかってないのですが、​この頃は式典会場に飾られてたんですね。​少し謎が解けました。​
恐らくデザイン系の先生がデザインされて、​当時は校旗として扱っていたのかもしれません。​

これまで紹介してきた写真の通り、​昔はムサビも普通のお固い入学式で、​手羽が学生時代の平成初期も、​1986年の写真とほとんど変わらない装飾の入学式でした。​
でも「偉い人が何人も出てきて長い話をするような式じゃなく、​在学生や教職員が一緒に新入生や卒業生を楽しく迎え、​送る形にしよう!」という声が教授会で起き、​1995年(平成7年)「卒式・入学式の在り方委員会」が立ち上がって、​今のような形になったのです。​

というわけで、​昭和のムサビ入学式の話はここまで。​
来年4月に、​カオスとなった平成・令和のムサビ入学式を紹介します!お楽しみに!!

参考文献

手羽イチロウ

ば・いちろう

武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業。​

2003年にムサビ生ブログサイト「ムサビコム」、​2009年より「美大日記」を運営。​2007年『ムサビ日記リアルな美大の日常を』を出版。​全国の美大情報を毎日チェックしつつ、​PARTNER_WEBにて理想の美大を目指すテイの「手羽美術大学★」を連載中。​