美術館空間の想定外に挑む
展覧会の設営作業は、作品の輸送・搬入から設置完了まで、全体で約2週間の時間を要しました。その中心を担ったのは、彫刻学科出身の小滝タケルさんらが中心となる展示施工会社「square4」、戸谷アトリエ助手の山内有さん、そして当時、彫刻学科の学生
「《境


fig.1「見られる扉Ⅱ」表(漆喰)と「見られる扉Ⅱ」裏(蜜蝋)の設営作業
出展した点数は多くなかったものの、その大半は大型作品で、展示作業においては、それぞれに難しさがあり緊張の現場となりました。本稿では、そのなかでも最難関であった「《境
「《境
展示場所は美術館で一番大きな2階の展示室3。ここまでのサイズとなると美術館の搬入用エレベー
図面の仮説、小さな見落としが阻む
この「《境

運び込む作品の直径(=最大幅)が1.39メートルで、このスロープの幅は1.40メートルなので、図面上はギリギリでしたが、クリアできると考えていました。しかし、搬入経路を現場で確認しながらシミュレーションするなかで、後から気づくことになるのですが、この木製の手摺りが内向きに取り付けられており、有効幅が狭まっていたのです〔fig.2〕。完全に通りません…
当然ながら手摺りを外すわけにいかず、この数百キロの塊を、手摺りよりも高い位置まで浮上させた状態で搬入することにしました。搬入経路も狭く、また形状も円筒形で不安定なこともあり、既存のパワーリフター(昇降式台車)や平台車では対応しきれず、結果的にはsquare4に思案してもらい、専用の台車を新たに製作することになりました。
実際の搬入作業は、square4のメンバー、山内さん、美術館職員での作業となり、今回作成した専用台車に括られたロープを引き上げるチームと、後方から作品を押し上げるチームが編成されました。中央広場に横づけされた20トンのユニック車(日ごろは秩父の渓流くだりの船を輸送しているという)から降ろされた作品を、美術館アトリウムまで引き入れ、軋む専用台車に載せて、いよいよ運び上げる段となります。

何しろサイズが大きいため、慎重に切り返しを繰り返して、ようやくスロープ手前に入ることができました〔fig3.①〕。しかし、スロープに進入するにあたっては、スロープの立ち上がり壁が邪魔をして6メートル強の塊が転回できず、2台のパワーリフターを使ってスロープの立ち上がり壁よりも、高く上げてフラつきながらスロープ壁をクリアして落とし込むという、最初からアクロバットな作業になりました〔fig3.②〕。

いよいよスロープを移動することになるのですが、このスロープはバリアフリーの限界傾斜1/8(約7.1度)。この斜度をつたって相当な重量を人力で運び上げることになり、まるでピラミッド建造で巨石を曳く工人のように、いや、むしろご神体を運び上げる逆御柱祭の心持ちで臨むことに。が、なかなか進まない……重すぎて全員で力を振り絞らないと、上がっていかないのです〔fig.4〕。

美術館は芦原建築特有のスキップフロア構造となっており、フロアをつなぐスロープは半階ごとに切り返しがあります〔fig3.③〕。最初は、狭い踊り場での最初の切り返しとなります。ぎりぎり先端部分の棒が手摺りに接触しないよう角度をつけながらクリアさせます〔fig.5④〕。次の切り返しは広いスペースがあったので、態勢を整えて、難所となるスロープ最終コー
誤算の露呈、苦難の最終コーナー
やっとの思いでスロープを上りきり、いよいよ展示室へと入れるという段階で、最大の誤算が露呈しました〔fig.5⑤〕。展示室の入口はスロープに対して直角に位置しており、

パワーリフターを使うことも考えましたが、狭く、スロープの傾斜もあることから左奥の片側でフォローするに留まる。かくなる上は、かなり危険ですが、専用台車の上で滑らせながら「ス

こうして作品も建築も無事に展示室に運び入れることができました〔fig.7〕。
搬入という名の通過儀礼か
以上のように搬入における「仮
振り返って今回の展覧会においては、コンセプトと空間の関係を明晰に規定した田中正之先生の秀逸なキュレーションによって、普通の美術館であれば忌避しそうな展示作業の難局を乗り越えて、戸谷彫刻において仮構された境界の構造と発生(現れ)を明らかにしました。一方そのなかで、実際の作品配置は戸谷先生自身が決定していきました。戸谷先生は空間全体の秩序に即して論理的に作品の位置を定めており、実際に彫刻を置いてみた印象によって微調整を重ねる、といったことはほとんどありませんでした。そこには、明確な作品コンセプトに基づく論理性だけでなく、それを可能にする彫刻そのものの強度、すなわち建築空間に従属することなく、むしろ空間と拮抗しながら成立しうるという確かな彫刻としての裏付けがあったのだと思います。
最後に、ただの搬入で大げさなことを書いて、と戸谷先生に渋い顔をされそうですが、この地味に立ちはだかった「手摺り」の抵抗もまた、秩序だった展示空間のなかに彫刻として「現れる」ための通過儀礼であり、同時に戸谷彫刻を引き受ける私たちにとって、彫刻という性質を身体的経験として理解するための試練でもあった――という仮説を露呈して締めくくりたいと思います。















