美術館空間の想定外に挑む

展覧会の設営作業は、​作品の輸送・搬入から設置完了まで、​全体で約2週間の時間を要しました。​その中心を担ったのは、​彫刻学科出身の小滝タケルさんらが中心となる展示施工会社「square4」、​戸谷アトリエ助手の山内有さん、​そして当時、​彫刻学科の学生31名と助手の山本麻璃絵さんらが参加してくれました。​

「《境界》からⅤ」「雷09」などの作品設置はsquare4が担当し、​再制作が必要となる「見られる扉Ⅱ」は彫刻学科チームが主に担当してくれました〔fig.1〕。​この2チームによって作業が並行し、​かなり大がかりな設営作業になっていたと思います。​

fig.1「見られる扉Ⅱ」(漆喰)「見られる扉Ⅱ」(蜜蝋)の設営作業

出展した点数は多くなかったものの、​その大半は大型作品で、​展示作業においては、​それぞれに難しさがあり緊張の現場となりました。​本稿では、​そのなかでも最難関であった「《境界》からⅤ」の搬入を振り返りたいと思います。​結論から言えば、​無事に搬入できたものの、​その後も設営作業がありこの1点だけで丸一日を費やすことになりました。​

「《境界》からⅤ」は長さが20.6メートルに及ぶ彫刻で、​戸谷成雄作品のなかでも非常に大きな作品です。​現場で組み立てることを前提として、​幾つかのパーツに分割されていますが、​中央の根本部分は一体となっており巨大な円筒形(正確には八角柱)の塊で、​その直径は1.39メートルで、​全長は6.53メートルに及びます。​素材は木材で、​円筒形の半分ほどまでは内部がくり抜かれていますが、​その重さは数百キロにおよび、​到底人力で持ち上げられる重量ではありませんでした。​

展示場所は美術館で一番大きな2階の展示室3。​ここまでのサイズとなると美術館の搬入用エレベーターにはまったく収まらず、​また階段を手運びできる重量でもなく、​まさしく規格外の搬入となりました。​応、​事前の想定としては、​展示室3に続くスロープがありますので、​それを使えば何とか搬入できる、​という図面上の目算はありました。​、​現実は、​そう甘くありませんでした。​

図面の仮説、​小さな見落としが阻む

この「《境界》からⅤ」は展覧会のコンセプトとして非常に重要な作品であり、​チラシやポスターでもメインのイメージとして使われたこともあり、​もう、​何としても展示しなければならない状況でした。​

fig.2 中2階へと向かうスロー(両脇が木製の手摺り)

運び込む作品の直径(=最大幅)が1.39メートルで、​このスロープの幅は1.40メートルなので、​図面上はギリギリでしたが、​クリアできると考えていました。​しかし、​搬入経路を現場で確認しながらシミュレーションするなかで、​後から気づくことになるのですが、​この木製の手摺りが内向きに取り付けられており、​有効幅が狭まっていたのです〔fig.2〕。​完全に通りません。​この手摺りは、​1967年の開館当初から2度の大規模改装を経たにもかかわらず、​芦原義信によるモダニズム建築の意匠が細部に宿っていたということなのか、​戸谷彫刻の侵入を阻むように残存し続けていたのです。​

当然ながら手摺りを外すわけにいかず、​この数百キロの塊を、​手摺りよりも高い位置まで浮上させた状態で搬入することにしました。​搬入経路も狭く、​また形状も円筒形で不安定なこともあり、​既存のパワーリフター(昇降式台車)や平台車では対応しきれず、​結果的にはsquare4に思案してもらい、​専用の台車を新たに製作することになりました。​

実際の搬入作業は、​square4のメンバー、​山内さん、​美術館職員での作業となり、​今回作成した専用台車に括られたロープを引き上げるチーと、​後方から作品を押し上げるチームが編成されました。​中央広場に横づけされた20トンのユニック車(日ごろは秩父の渓流くだりの船を輸送しているという)から降ろされた作品を、​美術館アトリウムまで引き入れ、​軋む専用台車に載せて、​いよいよ運び上げる段となります。​

fig.3 美術館入口からスロープへの搬入路 ①②③

何しろサイズが大きいため、​慎重に切り返しを繰り返して、​ようやくスロープ手前に入ることができました〔fig3.①〕。​しかし、​ロープに進入するにあたっては、​ロープの立ち上がり壁が邪魔をして6メートル強の塊が転回できず、​2台のパワーリフターを使ってスロープの立ち上がり壁よりも、​高く上げてフラつきながらスロープ壁をクリアして落とし込むという、​最初からアクロバットな作業になりました〔fig3.②〕。​

fig.4 作品を押し上げるチームと引っ張り上げるチー

いよいよスロープを移動することになるのですが、​このスロープはバリアフリーの限界傾斜1/8(約7.1度)。​この斜度をつたって相当な重量を人力で運び上げることになり、​まるでピラミッド建造で巨石を曳く工人のように、​いや、​むしろご神体を運び上げる逆御柱祭の心持ちで臨むことに。​、​なかなか進まない重すぎて全員で力を振り絞らないと、​上がっていかないのです〔fig.4〕。​

fig.5 美術館2階、​展示室への搬入路 ④⑤

美術館は芦原建築特有のスキップフロア構造となっており、​フロアをつなぐスロープは半階ごとに切り返しがあります〔fig3.③〕。​最初は、​狭い踊り場での最初の切り返しとなります。​ぎりぎり先端部分の棒が手摺りに接触しないよう角度をつけながらクリアさせます〔fig.5④〕。​次の切り返しは広いスペースがあったので、​態勢を整えて、​難所となるスロープ最終コーナー、​展示室入口付近まで運び上げました。​

誤算の露呈、​苦難の最終コーナー

やっとの思いでスロープを上りきり、​いよいよ展示室へと入れるという段階で、​最大の誤算が露呈しました〔fig.5⑤〕。​展示室の入口はスロープに対して直角に位置しており、​90度回転させる必要がありました。​図面上では転回できる見込みでしたが、​台車が作品の中央に取り付けられたことにより、​スロープを台車が通過しきらないと、​ロープの立ち上がり壁と手摺りが邪魔をして、​転回ができないのです。​展示室前の空間も狭く、​また3階へと続く反対側のスロープの側面も邪魔をして、​まったく身動きがとれず、​完全に立ち往生となってしまいました。​

fig.6 いよいよ展示室へ(最後尾は戸谷先生)

ワーリフターを使うことも考えましたが、​狭く、​ロープの傾斜もあることから左奥の片側でフォローするに留まる。​かくなる上は、​かなり危険ですが、​専用台車の上で滑らせながら「スロープの上」で回転させるしかないという結論になりました。​人力で少し引き上げながら、​台車を移動させつつ、​作品本体を回転させるという曲芸のような作業を、​慎重に進めました〔fig.6〕。​、​しかし、​あの芦原の手摺りに作品の荷重がやや加わったときに「ビっ」という鈍い響きが(気のせい?。​

fig.7 ついに展示室の入口に到着!

こうして作品も建築も無事に展示室に運び入れることができました〔fig.7〕。​

搬入という名の通過儀礼か

以上のように搬入における「仮説」「露呈」という若干こじつけのキーワーは、​戸谷先生が彫刻を発表しはじめた初期の10年に、​「彫刻」という概念を彫刻として試行したテーマと重なってきます。​まず、​「仮説の《彫刻》」リー(1978–79年は、​彫刻として成立する制度や構造そのものを、​彫刻として実験的に試行した作品となります。​今回の搬入も図面という建築の「仮説」に対して、​「手り」に宿された建築家の意匠性が、​彫刻としての物質的理解(あるいは体験)を与えたと解せるかもしれません。​そして、​「露呈する《彫刻》」リー(1976–78年は、​彫刻に向けられた視線の構造を探りながら、​その仕組みそのものを彫刻として示そうとした作品群です。​巨大な質量体の搬入による建築空間に向けられた力線、​いわば物理的な構造とその臨界点を「露呈」させたのかもしれません。​

振り返って今回の展覧会においては、​コンセプトと空間の関係を明晰に規定した田中正之先生の秀逸なキュレーションによって、​普通の美術館であれば忌避しそうな展示作業の難局を乗り越えて、​戸谷彫刻において仮構された境界の構造と発生(現れ)を明らかにしました。​一方そのなかで、​実際の作品配置は戸谷先生自身が決定していきました。​戸谷先生は空間全体の秩序に即して論理的に作品の位置を定めており、​実際に彫刻を置いてみた印象によって微調整を重ねる、​といったことはほとんどありませんでした。​そこには、​明確な作品コンセプトに基づく論理性だけでなく、​それを可能にする彫刻そのものの強度、​すなわち建築空間に従属することなく、​むしろ空間と拮抗しながら成立しうるという確かな彫刻としての裏付けがあったのだと思います。​

最後に、​ただの搬入で大げさなことを書いて、​と戸谷先生に渋い顔をされそうですが、​この地味に立ちはだかった「手り」の抵抗もまた、​秩序だった展示空間のなかに彫刻として「現る」ための通過儀礼であり、​同時に戸谷彫刻を引き受ける私たちにとって、​彫刻という性質を身体的経験として理解するための試練でもあった――という仮説を露呈して締めくくりたいと思います。​

北澤智豊

きたざわ・ともと

2004年武蔵野美術大学芸術文化学科卒業、​2005年筑波大学大学院博士課程芸術学専攻修士取得。​同年から21_21 DESIGN SIGHTの設立準備から携わり館運営全般を担当する。​2010年学校法人武蔵野美術大学に入職し、​美術資料担当として大学の美術館リニューアルに携わる。​降、​大学美術館での主な担当展に、​2011年「杉浦康平・脈動する本」、​2012年「夢みる人 今 敏」、​2013年「ET IN ARCADIA EGO 墓は語るか」、​2015年「池田良二 静慮と精神の息吹」、​2016年「鈴木久雄 彫刻の速度」、​2017年「芦原義信建築アーカイブ展 モダニズムにかけた夢」「戸谷成雄――現れる彫刻」、​2018年「新島実と卒業生たち そのデザイン思考と実践 1981–2018」、​2019年「内田あぐり――身、​あるいは残丘」、​2021年「オムニスカルプチャー――彫刻となる場所」、​2023年「若林奮 森のはずれ」などがある。​現在は学校法人の運営管理業務を主とする。​