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野津憲之丞と写真研究会
まず、『学友会誌』に残された記録から、野津がどのような学生だったのかを確認しておきたい。巻末の名簿によると、野津は福井県出身で、当時工芸図案科の3年生であった。映画研究会の報告欄にも「映研責任者」として名前が記され、演劇研究会にも名を連ねていることから、写真だけでなく、映画や演劇にも関心を寄せていたことがうかがえる。
ここで注目したいのは、映画研究会の顧問として、帝国美術学校の教員だった板垣鷹穂の名前が記されている点である。板垣は、機械、建築、写真、映画などを横断しながら、近代の新しい視覚表現について論じた批評家であり、新興写真をめぐる言説にも関わっていた。野津が板垣から直接どのような影響を受けたのかはわからない。しかし、映画研究会や写真研究会の活動のなかで、写真や映画をめぐる同時代の議論に接していた可能性は十分に考えられる。
その後の野津について残されている記録は断片的だが、卒業後には多摩帝国美術学校の図案科で助手として勤務していたことが確認できる註2。
これらの写真図版が掲載されているのは、誌面後半の「研究会報告」欄である。他の研究会欄では一年間の活動報告が中心となっているのに対し、
感光材料を絵画におけるカンバス、絵絹とし、光を色彩と考え、絵画的構図描法を目的とした芸術写真は、僕たち絵画生にとって何の教わるところがあるだろうか?
先進絵画を模して、その材料のみ写真をもって表現したる芸術写真は、すでに絵画において完成された流域を二重に踏む道だ。
この意味において、我々写真研究会員は、この芸術写真を捨て、そのカメラ及び感光材料の持つ性質を唯一の武器として起った創造的新興写真運動こそ、真の写真芸術であろうと考える。
この新興写真の創造的な作品中より構図描法(表現)を教わる事によって、絵画の創作ができ得ると思うと考える。
で、我々研究会員は自由な見解より、カメラの感光材料、レンズの特性を作品(写真作品)上に生かす事を力づけている。
我々はまだ写真術において幼稚園級である。この機会において、諸君の中にこの幼稚園生を力づよく、向上するために一人でも多くの諸氏と語る機会を望むものである。
ここにかかげた習作は、その一つで僕たちの運動です。(前記にある絵画とは主として図案をさすものである)
ここで野津は、感光材料や光をカンバスや色彩といった絵画の要素になぞらえ、絵画的な構図や描法を目的とする「芸術写真」を批判している。こうした表現は、今日の写真史でいうピクトリアリズムとも重なる。野津はそれに対して、カメラや感光材料、レンズといった、写真というメディアに固有の特性を活かすべきであると主張している。
この主張から、野津が新興写真を、単なる画面構成の方法としてだけでなく、従来の芸術写真を批判する言説としても捉えていたことがわかる。さらに興味深いのは、野津が新興写真を、写真という領域だけで考えていない点である。
作品分析
さて、ここからは野津による写真図版を、掲載順に「作品1」から「作品6」と呼び、1点ずつ見ていこう。ただし、誌面の印刷状態が必ずしも鮮明ではないため、以下の分析には推測を含む部分がある。野津の作品を新興写真という枠組みだけで捉えるのではなく、まずは掲載された図版そのものに目を向けながら、そこにどのような表現上の工夫が読み取れるのかを考えていきたい。


まず取り上げるのは、
画面には、校舎の前に立つ複数の人物像と、白い窓枠のような構造物が写っている。ただし、画面上の像は複雑に重なり合っており、3枚のネガがどのように組み合わされているのかを正確に見分けることは難しい。おそらくは1枚のネガを画面全体に焼きつけ、そこに別の2枚のネガを部分的に重ねているのだろう。注釈図では、重ねられたネガの外縁と考えられる位置を実線で、像が写っている範囲の端を破線で示している。
《学


作品2では、見上げるような角度で撮影されたトラス状のクレーンが、画面左下から右上に向かって斜めに伸びている。クレーンや鉄骨の構造物は、新興写真においてしばしば取り入れられたモチーフであった。
この作品でも、複数のネガが焼き重ねられている。注釈図では、焼きつけられたネガの外縁と考えられる位置を赤線と青線で示した。それぞれのネガには同一人物と思われる男性が写っており、その2つの顔は画面左上と右下に焼きつけられている。左下から右上に伸びるクレーンの位置に応じて、顔の写った2枚のネガをもう一方の対角に配置するという構成が考えられたのではないだろうか。また、それぞれの顔が画面の角に合うように、ネガの細かな位置が調整されたように見える。
この作品における、斜めの構図、仰角の視点、機械的建造物という対象の選択には、新興写真の語彙を積極的に取り入れようとする姿勢が見て取れる。


作品3と作品4は、他の図版とは少し性格が異なる。2つの図版は上下に並べて掲載されており、焼きつけ方の違いによって、同じネガから別の表現が生まれることを示す作例のように見える。作品3のキャプションには「密着です
作品4を見ると、像の位置を少しずつずらしながら、同じネガを何度も焼きつけたように見える。焼きつけられた像には微妙な濃淡差があり、薄い像から濃い像へと、動作が移っていくように感じられる。像を焼き重ねる操作は、作品1と作品2では、複数のネガによるフォト・モンタージュの手法として用いられていた。これに対して作品4では、同じ像を反復して焼きつけることで、運動表現が試みられている。


作品5のキャプションには、
しかし、この構図には少し不思議な点がある。構造物の梁や柱は、画面のなかで比較的水平垂直を保って写されている。その一方で、
撮影時にカメラを左側へ振れば、消失点を画面右側に置くことはできる。しかしその場合、構図の正面性は崩れ、画面内の矩形は台形に歪んで写るはずである。また、空間に正対したままカメラ位置を左へ移動した場合にも、開口部を画面右側に置くことができる。しかしその場合には、開口部は右側にあっても、奥へ向かう線は画面中心の消失点へと収束するはずである。
画面下方に目を向けると、通路の右端がほぼ垂直に写っている。このことから、撮影時には、通路の右端が画面の左右中央付近にあったと推測される。つまり、撮影時には画面の中央にあった部分が、完成した画面では右側にずれていることになる。
このような構図は、焼きつけ時に画面の一部をトリミングすることで作られた可能性がある。通路の右端付近から空間に正対して撮影し、暗室でそのネガの中央から左側にかけての範囲だけを印画紙に焼きつければ、水平垂直を保ちながら、奥へ向かう線が画面右側の開口部へと収束する構図を作ることができる註4。
参考図版として掲載した堀野正雄の「終
実際にこのようなトリミングが行われたかどうかはわからないが、いずれにせよ作品5では、水平垂直や遠近法を意識した画面構成が見られる。さらに、明暗差が激しく、奥行きを感じ取る手がかりとなる被写体の細部や質感が失われている。こうした条件が重なることで、

作品6のキャプションには、
機関車の車体には、走行によるブレが生じているように見える。さらに、画面全体を時計回りに大きく傾けたフレーミングによって安定感が崩れ、機関車は右下から左上へ向かって勢いよく進んでいるように見える。作品4では、像を反復して焼き重ねることで運動表現が試みられていたが、作品6では、被写体そのもののブレと画面全体の傾きによって、機関車の動きが印象づけられている。
野津は「左にある棒」を不要なものとして見ているが、この棒は機関車の動きを遮るように写り込み、画面に緊張を生んでいるように見える。もしこの棒や、画面内を交差する柱やロープがなかったとしたら、画面周辺の密度が下がるため、機関車はより小さく見え、その動きは弱まって感じられただろう。
写真史の大きな流れでは、


















