デジタル時代に向けた新カリキュラム
視覚伝達デザイン学科(以下「視
デ」) のブックデザインやタイポグラフィを語るうえでは、19 93年に勝井三雄先生註1が主任教授に就任されたことを契機としたカリキュラム改革のお話が欠かせないと思います。寺山先生は19 91年に専任講師として着任され、その改革に取り組まれました。当時の様子を教えてください。
- 寺山
19
90年代初頭の視デでは、コンピュータや環境デザイン、あるいはフィルムとヴィデオを用いたアニメーションや映像教育を19 70年代からすでに扱っており、日本の美大のなかでも先進的な授業が行われていたと思います。ただ、当時はバブル崩壊の直前で商業主義的な傾向が非常に強く、それまでその中心であったグラフィックデザインの軸が見えにくくなっている時代でもありました。そこで視デとしては、本来の中心であるヴィジュアルコミュニケーションという観点から、それまでの20世紀的なものを超えた未来を見据えた原理のようなものが必要だと考えたわけです。 勝井先生はグラフィックデザイン界でのキャリアが非常に長い一方、新しいテクノロジーや、社会に対するデザインの可能性、それからデザイン教育の重要性を常に語っておられました。教育の場とは教員の経験を与えるというよりも、未熟ではあっても学生たちのうちに潜む未知の「突
起」と先生は仰っていましたが、そこに未来を切り開く新たな種子があり、それに気づき育てることこそが重要だとよく語られていました。私はその言葉に強い影響を受けました。 カリキュラムの改革を進めるにあたり、日本国内の大学の調査、例えば当時は慶応にSFCや多摩美二部に情報デザインコースができたばかりでしたが、19
92年に私と下村千早先生、今井良朗先生で渡米し、デザイン系教育機関を訪問。MITメディアラボ、イリノイ工科大学、RISD(ロードアイランド・スクー ル・オブ・デザイン) 、クランブルック・スクール、ニュー ヨーク大学大学院などを訪ね、コンピュータテクノロジーと造形の関係性をどう捉えるのか、さらに時代を超えて普遍のものがあるとすればそれは何かということを探りました。 研究室としては、
原 弘 先生以来のバウハウス的伝統である「工房教育」、つまりそれまでの印刷ならばそのメディア独自の特質を、例えば自ら活字を組む経験や、暗室でフィルムを生成するプロセスを通して理解するといった物質的な経験をベースとする基礎教育に対して、マルチメディア化する新たなデジタルテクノロジーにどう対応すべきかというのが主題だったと思います。
新島先生はアメリカのイェール大学大学院でグラフィックデザインを学ばれ、
19 83年に帰国。 19 99年に視デの教授に着任されました。
- 新島
そうですね、新しいカリキュラムでの教育が進み出してから、勝井先生に呼ばれました。新カリキュラムで学びの柱としていたのは、
「ライティングスペースデザイン」 「環境デザイン」 「情報デザイン」の3つの領域。外部から見ると、それは教員の専門分野と重なっているように見えたのだけれど、勝井先生のなかではもう少し、先を見据えた別の考えがあったのかな。

- 寺山
カリキュラムを考える際には、アメリカで見聞きしたことや、国内の美術系教育機関の資料も収集し、
「インタラクション」 「身体性」 「テクノロジー」 「環 境」 「情 報」 「造 形」のようないくつかのカテゴリー化を行い、それぞれの教育機関の立ち位置を整理していきました。 そのうえで、ムサビの視デの特質、現在地はどこか、これからはどこを目指すのかみたいな話を、
60回以上の会議を重ねてみんなで話し合いました。ですから勝井先生の考えのみならず、当時の教員の総意だったと思います。
- 新島
ということは、教員のバックグラウンドというよりは、3つの領域を組み立てることによって、新しい視デの方向性が確立できるだろうという確信があったわけだ。
- 寺山
もちろん、当時としては視覚環境や情報デザインなど、すでに先駆的なことに取り組む教員がいたというのは強みでした。ただ、さっき言ったようにグラフィックデザインという言葉が非常に中途半端になっていたので、勝井先生との会話を重ねるなかで、ヨハネス・
グーテンベルク註2による活版印刷術の発明以降の5 00年に限定する必然性が消滅しつつあること。また当時出版されたばかりのデイヴィッド・ボルターの『ライティングスペー ス:電子テキスト時代のエクリチュー ル』にも大きな示唆を受けました。ボルターの考えを敷衍化すれば、人間のさまざまなコミュニケーション行為の歴史を通貫する形で、これからのデザインのあり方が語れるのではないかという仮説が生まれました。それを踏まえて3つの領域を柱とすることが視デの歴史に最もふさわしいんじゃないかということでした。
- 新島
僕はそういう流れのなかにあとから入っていくわけですが、意外とああしてくれ、こうしてくれというような指示はなくて。勝井先生からは、イェール大学で習得したグラフィックデザインのメソッドを視デの教育に取り入れてほしいということでした。
- 寺山
新島さんはイェール大学大学院で学んだあと、日本のタイポグラフィ界に大きな影響を与えました。
ポー ル・ランド註3やブラッドベリー・トンプソン註4といった人たちから、グラフィックデザインの真髄を学び、それを日本に持ち帰り、実践した。それまでの日本におけるタイポグラフィの通説を完全に覆す画期的なものでした。新島さんのことは、もちろん僕もお仕事を通して知っていました。 すでに新島さんは、
ポー ル・ランドの著書『A デザイナーズ アー ト』の翻訳監修をしていて(朗文堂、 19 、それは勝井先生も当然注目していたわけですよ。勝井先生はきっと、視デのタイポグラフィを本当の意味で改革できる人は新島先生以外にいないと確信したのだと思います。86年)

体感しながらデザインする授業
授業の内容はどのように検討していったのでしょうか。
- 新島
まず、2年生の「基礎構成」という授業を一新させなければならない。それまでの「基礎構成」
は、幾何学形態を使ってデザインを組み立てていくというものでしたが、寺山さん、陣内(利博)さんと3人で話すなかで、 「新しいカリキュラムのコンセプトに照らし合わせると、ちょっと違う」 と。教員から与えられたものでなにかをつくるのではなく、 「学生自らがデザインする対象の資料集めから始められるような形式はどうだろうか」ということになり、名称も「構成演習」に変更しました。それでテーマに選んだのが「料 理」です。 授業の目的は「料理を記述(=レシピをデザイン)する」こと。学生自身が選んだ食材や料理について徹底的にリサーチし、観察し、その構造や歴史などの背景を「レシピ=情報を伝達するための構造」としてデザインするものです。
自分で集めた資料と人から渡された資料とでは、デザインするときのクオリティに雲泥の差が生じます。これはイェールでのスタディで身にしみていた。いかに自ら情報を見つけてこられるか、それをどうすればデザインとして構成していけるのか。まずは、デザインする対象の理解から始まるデザインプロセスの大切さを学生にわかってもらおうというような話から始まった。このプロセスはブラッドベリー・トンプソンの編集デザインの核心で授業中に繰り返し話されていた。この資料収集にはまると止められなくなる。
- 寺山
そうですね。卒業制作にも修士研究にも通ずることですが、よく学生に言うのは「一次資料にあたる重要性」ということです。可能な限り自らの知覚経験を大事にしろと。レシピの授業でも、実際にその料理をつくる、素材そのものを育てる、あるいは調理した人に会って話を聞く、映像、スケッチ、音声、文字などその記録の仕方を工夫してみようと。デザインの前提として自分だけの一回性の経験が何よりも価値があり大事だということを基礎課程で理解してもらいたかった。
- 新島
僕の在学当時、イェール大学には図書館が33カ所ありました。大学院生は、稀覯本を除けば現代から16世紀ぐらいまでの本を何冊でも借りられる。トンプソンの編集デザインの授業のなかでも、図書館を使って必ず一次資料にあたれと言われましたね。
それを寺山さんに話して、
「日本の大学の図書館って、あまり貴重な本には触らせてくれないからつまんないよね」 と。いまはムサビの図書館は貴重な本に触れられるようになりましたが、ずいぶん時間がかかりました。昔の書物に直接触れて、紙のざらざらした質感や「やわらか」さを感じたり、あるいは印圧のかかった文字ページをめくりながら、その圧のかかり具合を直接指先と目で見切る経験は、何事にも代えがたい。
- 寺山
違いますよね。僕が19
91年に着任したとき、図書館の方からどんな指針で本を集めたらいいか相談を受けました。そのときお願いしたのは、学生がコミュニケーション史上の大事な現物に触れられること、可能な限りオリジナルであること。たとえばウィリアム・モリスであれば、他人がモリスについて書いた本ではなく、モリス本人がデザインした本に触れることが重要なんです。オリジナルに触れてはじめて「知 る」ことになる。そうした要望に図書館は応えてくれて、以降、円筒印章、マニュスクリプトの時祷書、粘土版等々、多くの資料を集めてくれました。
- 新島
昔の本に触れたり、あるいは外へ出て自分で情報を集める。そんなふうに行ったり来たりしながら、学生は「デザインするとはどういうことなのか」を少しずつ理解しながらそれを楽しんでいく。そして百人の百通りの料理ができあがる。授業の最終日全員で料理を持ち寄っての食事会。止められませんね。
- 寺山
まさにそうです。とても大きかったですね。だからこそ、いまでも視デの名物授業として「構成演習」のレシピは続いているのだと思います。

- 新島
あともう1つ、僕は勝井先生から1年生のタイポグラフィの授業を組み直してくれという宿題をもらいました。それまでの1年生のタイポグラフィの授業はレタリングをベースに組み立てられていた。日本語のタイポグラフィでは金属活字を前提とした四角の枠のなかから始まるわけです。ただ視デではこの時期、1年生の授業は身体性をテーマにした大変興味深い授業が同時に流れている。勝井先生はこのあたりの新しいカリキュラムへの整合性を考えられていたのでしょうね。身体性とデジタルを掛け合わせた「タイポグラフィ」の授業プランを提示して了解をいただきました。
デザイナーの机の上に印刷工房が乗ったDTPの黎明期から、僕は「Fontographer(フォントグラファー)」というタイプフェイス・デザインのアプリケーションを使っていたので、授業にも取り入れることにしました。自分で描いた手描きの文字を、フォントとしてデータ化していくためです。レタリングで言うところの四角形の枠を全部外してしまって、枠のない状態で自由な文字を描く。というのも、金属活字だと決められた四角の枠のなかにおさまるように文字の形をつくる必要がありますが、Fontographerではその制限がありません。学生には「文字の重心さえ掴めば組んでいけるよ」と伝えた。
学生は自分のかな文字を指先から肩までを使って、B3大の画用紙に自由に絵を描くようにどんどん書いていく。自分の文字の良さや面白さを見つけるのです。そして気に入った文字の重心を見つけ、Fontographerに取り込んでゆく。同時に活版工房で5
00年来の活字を組む演習を行い、制約のなかでの文字組版の美しさを体験する。 学生の文字のデジタル化ができあがる時期がだいたい6月下旬の父の日ぐらいだったので、自分のデジタル化した文字を使ってお父さんに手紙を書いている学生もいた。それを見て、
「あ あ、やった!」と手応えを感じた。
新島先生のイェール大学での経験を活かした授業として、ほかにも現在も続く「五百年史」がありますね。
- 新島
参考にしたのは、ブラッドベリー・トンプソンの「5
00年 史」という授業です。この授業は、ヨハネス・ グーテンベルクが活版印刷で『42行聖書』を完成させた約5 00年前から現在までを1 00年ごとに区切り、自分で設定したテーマについて一次資料を集め、その時代に使用されていた書体を用いて1冊の本にまとめるというもの。ちなみに、学生時代に僕が選んだテーマは「ヘアスタイル」でした。 じつに平凡なテーマですが、図書館に入り浸り一次資料を探していると、思いがけない図版にどんどん行き当たる。そして集めた資料をどう組み立てるか。まずは編集作業でした。編集を自ら行うことでデザインから自由になれる。こんな話をしながら寺山さんと2人で大学院の授業「五百年史」を組み立てた。編集とデザインの統合ですね。そしてテーマを一覧できるように年表にまとめる。


- 寺山
そうですね。視デでは研究テーマは学生個々が主体的に決めるので、授業を進めるうちに視デ独自の展開になっていきました。5
00年というのは便宜的な名称としての区切りだったので、たとえば中国からの留学生が自国の文字の歴史をテーマにしたら、もう30 00年くらいないとダメなんだよね。僕たち教員は、自分たちが明るくない分野でも、学生の探究に付き合いながら見守っていきます。それらが積み重なって研究室における研究領域そのものが広く、分厚くなっていったように思います。
- 新島
そうですね。そうした視デという学科が持っている奥深さが、僕にとっては実に心地よくて。着任後もデザインの仕事を続けていましたが、勝井先生は「仕事はやめるな」と言ってくれたけど、目の前に学生がいるのに「今日は仕事があるから帰るよ」って言えない。それでだんだんとデザインの仕事から離れていきましたが、後悔はまったくありませんでした。
- 寺山
勝井先生と3人で集まると、ずっとデザインの話をしていましたよね。
- 新島
しかも、自分がやってきた仕事に関することよりも、今後視デをどうしていこうかとか、学生との関わり方についていつも話してた。研究室でも、食事をしているときも、ずっとそうだったな。
伝統的な西洋のブックデザイン
欧文タイポグラフィの組版の基本について教えてください。
- 新島
最初はやっぱり、グーテンベルクが14
55年ごろに完成させたバイブル『42行聖書』ですね。そして、その後のインキュナビュラ註5が西洋のブックデザインやタイポグラフィの源流域になっています。 それから4
00年以上が経った20世紀初頭に、コブデン゠サンダーソンや、少し後のブルー ス・ロジャースの制作した聖書のタイポグラフィは非常に良質です。その理由の1つが、“ホワイトリバー” がないこと。ホワイトリバーは単語と単語の間のスペースが偶然縦に連続してしまい、“白い川” のように見える現象で、ジャスティファイ(両端揃え)で組むとどうしても生じてしまうものです。というのも、アルファベットの金属活字は文字ごとにセット幅(横幅)が異なり、かつ単語によって文字数もバラバラなので、単語と単語の間のスペースを完全にはコントロールできません。このホワイトリバーをいかになくすかというのが、欧文タイポグラフィに携わる人たちを数百年間も魅了してやまない最大のテーマなんですね。

それからもう1つ、見開きで見たときの左右のページのレイアウトもポイントです。伝統的な組み方だと本文の組み方もレイアウトもシンメトリー(左右対称)ですが、時代が進むにつれて、本文はジャスティファイ(両端揃え)でシンメトリーだけど、レイアウトはアシンメトリー(左右非対称)というスタイルが出てきた。いまでは当たり前になっていますが、最初にこの組版をやった人はすごいと思います。

Origins of modern sculpture, designed by Paul Rand, 1946(武蔵野美術大学 美術館・図書館蔵)
それと制作する側の人間にとって絶対的に要求される、欧文タイポグラフィのカラーコントロールによく反応する視感覚ですね。欧文活字によって組版された線状や面のつくり出す白黒のグラデーションがどれだけコントロールされているか。書物の扉を見るとよくわかります。
長い欧文金属活字時代を通して完成された作品の中で私が一番すごいと思う作品は、やはりブルー
ス・ロジャースの聖書です。そして写植の時代に入って欧文の書物で選ぶとすると、ブラッドベリー・トンプソンの『Washburn College Bible』という聖書です。この聖書の出版が企画された19 69年 頃、 人々は聖書を読まなくなってしまっていた。それは精神的な変化以上に、物理的に聖書が読みにくくなったからだと考えてつくられた聖書です。読む人が自然に朗読することができるよう、本文は意味のまとまりや話し言葉で語られるように改行され、左頭あわせの右成り行きの組版です。これは聖書の組版としては初めてではないでしょうか。またこの改行は聖書学者等との共同作業だと聞いています。さらにヤン・チヒョルトのデザインした「サボン体」を初めて使用した例としても、写植時代のタイポグラフィやブックデザインを代表していると私は考えています。欧文タイポグラフィの基本を学ぶには、まずはこの2冊をじっくりと見ることから始めてはどうでしょうか。武蔵野美術大学の図書館には、この2冊とも所蔵されています。


Holy Bible vol. 1-3, designed by Bradbury Thompson, 1979(武蔵野美術大学 美術館・図書館蔵)















