文字の獄
金原が揚州八怪の中でも、特に金冬心(金農、1687–17
清朝、雍正帝の時代。
その治世下で、金冬心は旅をし、書画を描いていました。揚州八怪の筆頭格註2。
冬の庭から始まるこの論考の中で、
記号を読む
前編で提示した謎に戻りましょう。
A.D、C.H、K.M⸺これらの記号は何を指しているのか註3。
「何かのイニシャルだろうか」と眺めているうち、C.Hという文字の並びからCHINAという言葉を連想しました。これを作業仮説の鍵にしてみます。
C.H=中国。すなわち、
とすると、対比して置かれたK.Mは何でしょうか?
当時の東アジアの地図を眺めながら考えていると、M=満州国、K=故宮を含む華北地方ではないか、と思い当たりました。
C.H=中華民国、K.M=華北・満州国。
では、この二つが「共通に含んでいた」A.Dとは何でしょうか。
論考には「歴
甲の形も乙の形も、共にAとDとを失つてゐる。(中略)前の状態に比較すれば、甚だしく貧しい
東洋の歴史文化という古代からの共通の根も、永年の王朝も喪失した中国大陸の姿が、この感情を廃した記号操作に刻まれているように読めます。
自らの研究対象そのものが崩れていく現実⸺それは金原にとって、危険を冒してでも書く動機になりえたのではないでしょうか。
中略した部分にはこうあります。
故にふくんでゐた形は、今は甲は(K.M)乙は(C.H)の形である※傍点引用者
「今
削去と削減
記号の背後にある論理をもう少し追いましょう。
削去は、削減でなくて、削去された形のままで次の新らしき定立に参加するのである
「削り減らす」と「削り去る」⸺微妙な差異を金原はなぜ強調するのか。
削減は痕跡を残さず消す。型だけが残り、気配も消える。歴史を持たない抽象化⸺空虚。
削去は削り去られた後も、
数式のように書かれた矢印(→)とハイフン(―)の使い分けも、ここに収束します。「→」は歴史的な連続を示し、「―」は切断と読める註5。19
三つの層
ここで立ち止まって考えます。
この金原の論考は純粋な絵画論として読むことができます。冬枯の庭から始まり、雲坪の孤独、冬心の白雲、記号の列。そして再び眼前の冬の庭への回帰⸺東洋画の形体論として筋が通る。
しかし同時に、重ね合わせのように別の層が透けて見える。
第一層は形体論・美学的議論。第二層は、言論統制下の知識人の自己表明。それは召喚された画家たちの境涯から滲み出てくる。そして第三層で、記号列が東アジア情勢を暗示している⸺。
金冬心の「山中白雲」註6について、金原はこう書いています。
重要なものを背後に置いて、重要ならぬものの方を画面に描いてゐる。すると背後のもの、描かれていないものが、画面に出てくる
この一文は、韜晦な論考そのものを読み解く鍵として光を放っているようです。描かれていないものを、読者は探すことになります。その空白部分を、読み取れ、とこの鍵は指さしているようです。

(武蔵野美術大学 美術館·図書館蔵)撮影:松島美ゆ
蘭と岩石
論考に現れた雲坪の画に目を向けてみます。
金原はこう描写しています。
画は草草たる水墨の山水蘭竹であるが、中には大きな瀧をかいて、瀧の崖に蘭二三を描いたりしてゐる。瀧に比較して言へば、蘭は一抱へもある大さ で、葉は一間もあることになる。しかし平気で普通の蘭にかいてゐる。実に飄飄たる趣で、画の中には何とも言へぬさびしさがある
現実の遠近感を軽々と抜け出し、写実の束縛からも解放された蘭。世俗を超えた飄々たる自由が、この描写に滲んでいます。
蘭は「四君子」の一つ。根を土に下ろさず、宙に漂うように描かれる註7。特定の土地にも政体にも縛られず、ただ内側の気⸺逸気⸺だけを宿して揺れている。
金原は蘭と対比させる形で、「(A.D)は、蘭から成された場合と、岩石から成された場合とで、そこに具体的差違がある」と書いています。南画の伝統では、岩石は動かぬもの、悠久の時を経ても崩れぬ徳の象徴として描かれます。
蘭の自由な逸気と、岩石の揺るがぬ不変性⸺ここにも、何かを託しているようです。
その先に、抽出が「数学的であつて、歴史的でないならば、また甚しく生気を失ひ、冷めたい型として成立する」という一節がある。
岩に象徴される不変性が、徳としてではなく、外から強いる硬直と化せば、軍国主義の型であれ、革命の数学的必然の型であれ、命運は同じです。生きた人間の逸気を圧殺する。
しかし、
東洋画の怖るべき形の崩壊は、定型体となるか、それとも萎縮体となるかにある
「怖るべき」という形容は、絵画論としては過剰に響きます。しかしこれが、フレームのない画、外側と連続している世界、すなわち「東洋という世界の構図」をも透視しているのだとすれば、この言葉の重さは自然に腑に落ちます。
雲坪は寂莫に耐えた人として召喚されているのでしょう。戊辰戦争の動乱の時代を生き延び、後半生を信州の片隅で南画を描き続けた。倪雲林は元末明初の激動の中を小舟で漂い、
三人の画家が示す「第三の道」⸺それは表面上の言葉には、記号には、書かれていない。書けなかった。しかし、
庭前の土
論考は、こう結ばれます。
校正につかれて机の上から庭前の土を見、庭外の芒原を見、芒原の日光を見、思ふことは寂莫たる芸術の味である
「校正につかれて」
光が差し込む。時の推移。描かれていない雲の動き。湧き出でて流れゆく雲、飛び疲れて巣へ帰る鳥たち註8。
かくて吾等の観照は、冬枯の寒枯の天地において、むしろ正しい形体を見出してゐる
表題には隠されていた、第三の形体が、ここで静かに姿を現します。
自由への希求の声が、






















