文字の獄

金原が揚州八怪の中でも、​特に金冬心(金農、​1687–1763)を召喚したのはなぜでしょうか。​
清朝、​雍正帝の時代。​「文字の獄」と呼ばれる筆禍事件が相次ぎました。​書き記した文字の中に反清的な意図を読み取られると一族もろとも処罰された。​異民族支配の清朝が、​知識人の言論を根こそぎ封じ込めようとした恐怖政治です註1。​
その治世下で、​金冬心は旅をし、​書画を描いていました。​揚州八怪の筆頭格註2。​漆書(しっしょ)と呼ばれる独特の書体、​簡素な表現の絵で、​互いの境界を溶かすような仕事をしています。​字(あざな)は、​冬心⸺冬の心。​
冬の庭から始まるこの論考の中で、​「冬」という字が静かに響いています。​

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記号を読む

前編で提示した謎に戻りましょう。​
A.D、​C.H、​K.M⸺これらの記号は何を指しているのか註3。​
「何かのイニシャルだろうか」と眺めているうち、​C.Hという文字の並びからCHINAという言葉を連想しました。​これを作業仮説の鍵にしてみます。​
C.H=中国。​すなわち、​1912年に成立した中華民国。​
とすると、​対比して置かれたK.Mは何でしょうか?
当時の東アジアの地図を眺めながら考えていると、​M=満州国、​K=故宮を含む華北地方ではないか、​と思い当たりました。​1931年の満州事変、​1932年の満州国建国。​日本軍の北京接近を恐れた国民政府が、​故宮の文物を南方へ運び始めたのも1933年初頭です。​故宮はすでに空洞化しつつありました註4。​
C.H=中華民国、​K.M=華北・満州国。​
では、​この二つが「共通に含んでいた」A.Dとは何でしょうか。​
論考には「歴史」という言葉が繰り返されます。​A.Dは紀元後(Anno Domini)の略号でもありますが、​この文脈では「古代王朝(Ancient Dynasty)」⸺はるか紀元前から、​元、​明、​清と続いた中国大陸の歴史を指しているのではないか。​1912年、​溥儀退位により2000年以上続いた帝政に幕が下りた。​金原が研究対象としてきた東洋の歴史文化が、​戦争と革命によって「削り去られ」失われていく危機。​そのA.Dという共通の歴史基盤を、​中華民国も華北・満州も失いつつある。​

甲の形も乙の形も、​共にAとDとを失つてゐる。​(中略)前の状態に比較すれば、​甚だしく貧しい

東洋の歴史文化という古代からの共通の根も、​永年の王朝も喪失した中国大陸の姿が、​この感情を廃した記号操作に刻まれているように読めます。​
自らの研究対象そのものが崩れていく現実⸺それは金原にとって、​危険を冒してでも書く動機になりえたのではないでしょうか。​
中略した部分にはこうあります。​

故にふくんでゐた形は、​今は甲は(K.M)乙は(C.H)の形である
※傍点引用者

「今は」、​とわざわざ限定していることに着目したい。​中国大陸の分裂状況が浮かび上がってくる。​そして、​「前の状態に比較すれば、​甚だしく貧しい。​」と続く。​東アジアの現実を、​金原はここに刻んでいます。​

削去と削減


記号の背後にある論理をもう少し追いましょう。​

削去は、​削減でなくて、​削去された形のままで次の新らしき定立に参加するのである

「削り減らす」と「削り去る」⸺微妙な差異を金原はなぜ強調するのか。​
削減は痕跡を残さず消す。​型だけが残り、​気配も消える。​歴史を持たない抽象化⸺空虚。​
削去は削り去られた後も、​「削去された形のまま」「次の定立に参加する」。​過去の痕跡が現在に影を落とし、​歴史として継続する⸺寂莫。​
数式のように書かれた矢印(→)とハイフン(―)の使い分けも、​ここに収束します。​「→」は歴史的な連続を示し、​「―」は切断と読める註5。​1936年に至るまでの東アジアで進行していたのは、​歴史の切断―ハイフンでした。​天皇機関説の排除、​満州国建国、​故宮文物の南遷。​どれも書かれていませんが、​形式の背後に、​歴史の断絶への冷徹な眼差しが潜んでいます。​

三つの層

ここで立ち止まって考えます。​
この金原の論考は純粋な絵画論として読むことができます。​冬枯の庭から始まり、​雲坪の孤独、​冬心の白雲、​記号の列。​そして再び眼前の冬の庭への回帰⸺東洋画の形体論として筋が通る。​
しかし同時に、​重ね合わせのように別の層が透けて見える。​
第一層は形体論・美学的議論。​第二層は、​言論統制下の知識人の自己表明。​それは召喚された画家たちの境涯から滲み出てくる。​そして第三層で、​記号列が東アジア情勢を暗示している⸺。​
金冬心の「山中白雲」註6について、​金原はこう書いています。​

重要なものを背後に置いて、​重要ならぬものの方を画面に描いてゐる。​すると背後のもの、​描かれていないものが、​画面に出てくる

この一文は、​韜晦な論考そのものを読み解く鍵として光を放っているようです。​描かれていないものを、​読者は探すことになります。​その空白部分を、​読み取れ、​とこの鍵は指さしているようです。​

「山中白雲」『金冬心墨梅册』所収(神州國光社、​1929年)
(武蔵野美術大学 美術館·図書館蔵)撮影:松島美ゆ

蘭と岩石

論考に現れた雲坪の画に目を向けてみます。​
金原はこう描写しています。​

画は草草たる水墨の山水蘭竹であるが、​中には大きな瀧をかいて、​瀧の崖に蘭二三を描いたりしてゐる。​瀧に比較して言へば、​蘭は一抱へもある大さ(ママ)で、​葉は一間もあることになる。​しかし平気で普通の蘭にかいてゐる。​実に飄飄たる趣で、​画の中には何とも言へぬさびしさがある

現実の遠近感を軽々と抜け出し、​写実の束縛からも解放された蘭。​世俗を超えた飄々たる自由が、​この描写に滲んでいます。​
蘭は「四君子」の一つ。​根を土に下ろさず、​宙に漂うように描かれる註7。​特定の土地にも政体にも縛られず、​ただ内側の気⸺逸気⸺だけを宿して揺れている。​「南画は胸中の逸気を写せば、​他は措いて問はないと云ふ」(芥川龍之介『支那の画』)。​
金原は蘭と対比させる形で、​「(A.D)は、​蘭から成された場合と、​岩石から成された場合とで、​そこに具体的差違がある」と書いています。​南画の伝統では、​岩石は動かぬもの、​悠久の時を経ても崩れぬ徳の象徴として描かれます。​
蘭の自由な逸気と、​岩石の揺るがぬ不変性⸺ここにも、​何かを託しているようです。​
その先に、​抽出が「数学的であつて、​歴史的でないならば、​また甚しく生気を失ひ、​冷めたい型として成立する」という一節がある。​
岩に象徴される不変性が、​徳としてではなく、​外から強いる硬直と化せば、​軍国主義の型であれ、​革命の数学的必然の型であれ、​命運は同じです。​生きた人間の逸気を圧殺する。​
しかし、​「蘭からなされた」形体は、​内側から生成される。​削ぎ落とされても、​寂莫として歴史を内に抱え続ける。​

東洋画の怖るべき形の崩壊は、​定型体となるか、​それとも萎縮体となるかにある

「怖るべき」という形容は、​絵画論としては過剰に響きます。​しかしこれが、​フレームのない画、​外側と連続している世界、​すなわち「東洋という世界の構図」をも透視しているのだとすれば、​この言葉の重さは自然に腑に落ちます。​
雲坪は寂莫に耐えた人として召喚されているのでしょう。​戊辰戦争の動乱の時代を生き延び、​後半生を信州の片隅で南画を描き続けた。​倪雲林は元末明初の激動の中を小舟で漂い、​飄々と生きた。​金冬心は「文字の獄」の恐怖の時代に、​揚州の市井で独自の道を歩んだ。​
三人の画家が示す「第三の道」⸺それは表面上の言葉には、​記号には、​書かれていない。​書けなかった。​しかし、​「描かれていないものが、​画面に出てくる」。​

庭前の土


論考は、​こう結ばれます。​

校正につかれて机の上から庭前の土を見、​庭外の芒原を見、​芒原の日光を見、​思ふことは寂莫たる芸術の味である

「校正につかれて」に、​薄氷を踏む思いで言葉を選び抜く疲弊が透けて見えるようです。​疲弊の先に、​金原はただ庭の土を見、​芒(すすき)の原とそこに差し込んでくる光を見ていました。​この論考では「寂莫」の「莫」に、​一般的な「寂寞」の「寞」ではなく、​「うかんむり」を外した文字を使っています(註1参照)。​屋根を取り払い、​天空に開かれた文字。​土は動かず、​命令は通じない。​人の掟に縛られない。​空は無窮へとつらなる。​
光が差し込む。​時の推移。​描かれていない雲の動き。​湧き出でて流れゆく雲、​飛び疲れて巣へ帰る鳥たち註8。​

かくて吾等の観照は、​冬枯の寒枯の天地において、​むしろ正しい形体を見出してゐる

表題には隠されていた、​第三の形体が、​ここで静かに姿を現します。​
自由への希求の声が、​90年の時空を超えて響いてくる。​それは夢想かもしれません。​しかし金原省吾が1936年の冬の庭を観照しながら遺した「暗号」は、​今もここに在りつづけています。​

註1

清朝の「文字の獄」は雍正・乾隆期に苛烈を極めた。​「維民所止」の句が「雍正」帝の頭をはねる形と見なされ、​逮捕・投獄に及ぶ査嗣庭事件(1726年)が伝わる。​書き記した文字の中に反清的意図を読み取られると、​著者だけでなく家族・一族にまで処罰が及んだ。​康熙帝治世には中国最大規模の漢字辞典『康熙字典』が編纂されているが、​有能な者を編纂事業に没頭させながら反清的図書を検閲・没収するという統制の側面もあった(入江曜子『紫禁城』岩波新書、​2008)。​金原はこの論考で「寂莫」の「莫」に、​「うかんむり」を外した文字を使っている。​文字の獄が支配した清朝の時代を描きながら、​部首の一部をひそかに外すこと⸺それ自体も、​この論考に仕掛けられた小さな暗号の一つかもしれない。​

註2

揚州は18世紀、​運河の塩の集散地として繁栄し、​全国から文人墨客が集まる学芸都市だった。​揚州八怪は正統派画壇とは異なる表現を開花させた文人たち。​

註3

記号表現は、​金原語法の一部でもある。​『絵画に於ける線の研究 上巻』(信濃教育会出版部、​昭和36年、​p27)では、​線の太さをa、​b、​c(比は3:2:1)とアルファベット順に区分し、​始部・中部・終部の組合せから、​aaa、​aab、​aac、​など「二十七種の線を生ずる」としている。​しかし「二つの形体性」では記号の説明は一切なく、​異様さが際立つ。​

註4

日本軍の北京接近を恐れた国民政府は北京故宮の文物を上海、​のちに南京へ移送し始めた(文物南遷)。​金原の研究対象である東洋文明の核が失われることが、​現実の危機として迫っていた。​

註5

(A.D)の取り出しは、​記号を注意深く見るとハイフンか矢印かで区別されている。​矢印は抽出が歴史的になされる場合。​「ジャン・コクトーサイン→「表現」2回展」(前編註1参照)が「→」と同じ語法であれば、​次の世代への歴史の継承を示しているとも読める。​

註6

金冬心の作品資料として、​武蔵野美術大学図書館に『金冬心墨梅册』(神州國光社、​上海、​1929年)が所蔵されている。​金原省吾の蔵書印がある。​論考中の「金冬心の『山中白雲』をみる」「名月全身の画がある」という記述は、​この書物を直接参照しながら書かれたと考えられる。​「名月全身」は「明月全身」の誤記と思われるが、​「名」と「明」の一字の違いが意図的な変字である可能性も排除できない。​「明」は滅びた王朝の名であり、​「文字の獄」の時代に「明」の字を避けることは珍しくなかった。​金原がその変字の伝統をここに反転させて忍ばせたとすれば、​もう一つの小さな暗号となる。​

なお、​メトロポリタン美術館のオンラインコレクション(metmuseum.org)でも金冬心(Jin Nong)の作品 “Plum blossoms” を閲覧できる。​

https://www.metmuseum.org/art/collection/search/36432

「明月全身」『金冬心墨梅册』所収(神州國光社、​1929年)
(武蔵野美術大学 美術館·図書館蔵)撮影:松島美ゆ
註7

ここでの蘭は、​春蘭・寒蘭など東アジアに自生する野生蘭。​洋蘭に比べて花は小さく地味。​岩や木に根を張る着生植物。​俗世に染まらない君子の象徴とされた。​

註8

「雲無心以出岫、​鳥倦飛而知還」⸺陶淵明『帰去来の辞』の名句をふまえているか。​雲は湧き出で、​鳥は飛び疲れて巣へ帰る。​官職を辞し、​世俗のしがらみから解放された境地を詠んだ詩。​文人画の伝統において白雲は自由の象徴とされる。​

*

「帝国美術学友会誌」第6号「目次」(1936年12月発行)

三浦均

みうら・ひとし

1962年、​神戸生まれ。​京都大学理学部卒業、​神戸大学大学院自然科学研究科博士課程修了(理学博士)。​理化学研究所基礎科学特別研究員を経て、​1999年に本学映像学科に着任。​分野を横断して、​原子、​分子のミクロなスケールの世界、​生命スケールの世界、​天文宇宙のスケールの世界までを目に見えるようにする映像づくりに取り組んでいる。​著書『映像のフュシス』武蔵野美術大学出版局、​2020年。​

Series

「帝国美術」を読む

1931

「帝国美術」を読む(1)宮永芳江「仮装行列記」

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1932–1933

「帝国美術」を読む(2)磯部陽「私の蒐集郷土玩具に就て」(第2号)、​「郷土玩具」(第3号)

加藤幸治(教養文化・学芸員課程教授)

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1933

「帝国美術」を読む(3)神田美一「ロダンのお花さん」

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1933

「帝国美術」を読む(4)田中富士雄「ベツトで溺死した男」

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1934–

「帝国美術」を読む(5)原弘「ポスタアとその環境」

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1936

「帝国美術」を読む(6)南画夢想⸺金原省吾の「暗号」を解く

三浦均(映像学科教授)

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1931

「帝国美術」を読む(7)多彩なゲストによる講演筆記―谷川徹三と團伊能

大石紗都子(教養文化・学芸員課程准教授)

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1932

「帝国美術」を読む(8)美術学生が見た新興写真⸺野津憲之丞の写真図版を読む

稲口俊太(写真家・非常勤講師)

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1936

「帝国美術」を読む(9)南画夢想⸺金原省吾の「暗号」を解く(その2)

三浦均(映像学科教授)

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