手羽イチロウと申します。​
武蔵野美術大学彫刻学科を卒業後、​美大の良さを伝える美大愛好家としてネットで活動していますが、​裏(?)では大学広報もやっています。​
この100周年ウェブマガジンでは、​空気読めない感じのお気楽コラム担当です。​

以前から100周年ウェブマガジン(以下100マガ)で扱ってみたいテーマがありました。​
それは「歌モノ」。​
これまでの100マガや周年誌では建物・施設、​学科や教員、​作品は触れられてるけど、​「歌」ってあまり歴史で語られてないんですよね。​

もちろんムサビの歌といえば、​北原白秋 作詞・小松耕輔 作曲の「武蔵野美術大学(帝国美術学校)校歌」があります。​

北原白秋直筆原稿「帝国美術学校校歌」(1930年)画像提供:武蔵野美術大学大学史史料室

楽曲はこちらで聞くことができます↓

■校歌 | 武蔵野美術大学

・・さっきは「もちろん」と自慢げに書きましたが、​校歌って、​ぶっちゃけ学生時代は入学式と卒業式の2回しか聞かないから、​学生さんはほぼ歌えません。​卒業式の校歌斉唱シーンで「え。​校歌なんて歌えないんだけど」「てかムサビに校歌ってあったの?」と学生さんがソワソワするシーンを毎年見かけます。​
校歌については、​いずれ音楽の白石美雪先生などに詳しく解説してもらうとして(また勝手に名前を出しちゃった)、​手羽は「学生に受け継がれている(いた)曲」をフィーチャーしてみました。​

「ムサビの歌モノ」で手羽が真っ先に思いつくのが彫刻学科に伝わる「エンヤコラセ」と「武蔵野音頭」。​手羽も学生時代よく歌ってました。​
今回はこの2曲をフィーチャーします。​

1. 彫刻神輿の歴史から


でも、​「エンヤコラセ」「武蔵野音頭」を説明するには、​まず彫刻学科が芸術祭でやってきた神輿の歴史に触れないわけにはいきません。​

彫刻神輿のルーツは「実技専修科(以下、​実専)の神輿」にあります。​

実技専修科の神輿。​画像提供:武蔵野美術大学大学史史料室

先輩方から聞いた話だと、​なかなかの「荒くれ者」が多い科で、​最初は実専が神輿をやっていたんですね。​しかし1983年に実専が募集停止したのを受け、​実専の先輩方を送り出すために彫刻学科の有志がドラム缶を3つ繋げた即席の神輿を作ったのが「彫刻学科の男神輿」の始まりと言われています。​
実専については池田良二先生のこちらの記事をご覧ください。​

■教わったのは、​生き方そのもの。​山口長男先生と実技専修科での日々 | MAU2029

1985年には木製の男根をモチーフにした「御神木」が作られ、​そこからご神体として男根を担ぐようになり、​神輿を囲んで「エンヤコラセ」と「武蔵野音頭」を歌うスタイルが定着したようです。​その昔は鷹の台駅前までアレを担いでいたそう。​今じゃとても考えられない・・。​

撮影:手羽イチロウ

その後、​男神輿は「女神輿の発生」「女神輿との御結合(ごけつごう)」「継承の儀」と巨大化&エンターテインメント化へ進化していき、​「ムサビの芸祭名物といえば彫刻の男女神輿」となっていきます。​
でも、​飲酒ルールや性表現への配慮、​コロナ禍での中断や引き継ぎの途絶え等、​神輿を取り巻く環境も時代に合わせ変わっています。​

撮影:手羽イチロウ

残念ながら芸術祭2026では男女神輿がありませんでした。​
・・おっと、​彫刻神輿についてはまだまだ書けるけど、​早く本題に入らないと。​

2. 武蔵野音頭―武蔵野出てから10余年―

まず紹介するのが、​「武蔵野音頭」です。​
彫刻学科以外の人は「芸術祭の神輿の時に歌う曲」と思ってるかもしれませんが、​実は神輿の時だけじゃありません。​手羽が学生の頃は、​毎月のようにやってた飲み会のラストに必ず武蔵野音頭とエンヤコラセをみんなで歌って締めるのが習わしでした。​なので4年もいれば嫌でも覚えてしまうのだけど、​今はどうだろう? 飲み会も減ったし、​歌えない彫刻学科生も多いかな?(それがいいか悪いかは抜きにして)。​

撮影:手羽イチロウ

この武蔵野音頭には原曲があり、​それは1961年に発表されたハナ肇とクレイジーキャッツのヒット曲「五万節」です。​当時全国で替え歌が大流行したようですね。​ただ「原曲」といってもメロディも歌詞も全然違うので、​「元ネタ」ぐらいな感じ。​
武蔵野音頭の歌詞はこちらです。​

武蔵野音頭

1.
武蔵野出てから十余年 ヨイショコラショ
今じゃ上野のルンペンで ヨイショコラショ
ひとたび頭を掻いたなら ヨイショコラショ
飛び出すシラミの5万匹 ヨイショコラショ

2.
武蔵野出てから十余年 ヨイショコラショ
今じゃ浅草のストリッパー ヨイショコラショ
ひとたび舞台に立ったなら ヨイショコラショ
集まるお客の5万人 ヨイショコラショ

3.
武蔵野出てから十余年 ヨイショコラショ
今じゃ学校の先生で ヨイショコラショ
ひとたび教壇に立ったなら ヨイショコラショ
集まる生徒の5万人 ヨイショコラショ

4.
武蔵野出てから十余年 ヨイショコラショ
今じゃ蒙古の大馬主 ヨイショコラショ
ひとたび号令をかけたなら ヨイショコラショ
集まる手下の5万人 ヨイショコラショ

ヨイショ(ヨイショ) コラショ(コラショ)
ヨイショ(ヨイショ) コラショ(コラショ)

*現在では差別的と受け取られる可能性のある表現が含まれていますが、​当時の時代背景を伝えるものとして、​原詞のまま使用しています。​趣旨をご理解ください。​

「武蔵野出てから十余年」で始まり、​浅草のストリッパー、​学校の先生、​モンゴルの大馬主になったりと、​「彫刻学科を卒業して、​将来どうなるかわからない」な悲哀や開き直りのようなものが歌われています。​神輿のラストソングは「武蔵野音頭」と決まってました。​

面白いのは、​時代によって微妙にメロディラインが変わっていることです。​
昔の彫刻学科は「歌詞を文字起こししてはならない」「耳で聴いて口伝で覚えるもの」という謎の教えがあり、​先輩の歌を必死に耳コピして受け継いでいたことが大きく関係しています。​手羽の頃もそうでした。​後輩たちがベニア板に歌詞を描いていて、​「あ。​それOKなんだ・・・うちらの頃も欲しかったなあ」と羨ましく思ったもんです。​

撮影:手羽イチロウ。​ほんとに羨ましくて写真を撮って「今はこんな便利なものがある」と同級生に送りました。​

また、​原曲の「五万節」は長調で軽快なリズムですが、​「武蔵野音頭」は叫び歌ううちに半音上がり下がりを繰り返して、​短調(マイナー調)に変化しています。​キーも女性の平均音域に合わせて+6も高くなっていて、​これは女神輿が登場した際に、​女子学生が担当するテーマソングとして高音化・短調化していったためと考えられています。​
手羽の学生時代と最近歌われていた武蔵野音頭でも変わっていて(かなりメロディラインが平坦になっている)、​「こうやって歌って変化しながら継承されていくもんなんだなあ」としみじみしながら聞いています。​
手羽が歌っていた時代のメロディを書き起こして動画にしてみました。​

武蔵野音頭のいいところは「♪今じゃ大学の職員で〜」と替え歌が可能なことで、​ぜひ皆さんも自分版武蔵野音頭を作ってみてください。​

3. エンヤコラセ―おいらの船は300とん―

撮影:手羽イチロウ

そして、​もう一つの絶対的アンセムが「エンヤコラセ」です。​
ここまで「エンヤコラセと武蔵野音頭」と書いてきたけど、​他学科卒業生何人かに聞いたところ、​武蔵野音頭は知っていてもエンヤコラセの存在を知らない方が多いんですよね。​ただ彫刻神輿からすれば「神輿といえばエンヤラコセ」で、​必ず「エンヤコラセ」を先に歌い、​行った場所で「武蔵野音頭」を歌わないことはあっても「エンヤコラセ」を歌わないことはありませんでした。​この知名度の差がほんと不思議で。​

エンヤコラセは、​美幌健さんが1975年にリリースした「おいらの船は300とん」が原曲になっています。​

武蔵野音頭が原曲とメロディラインも歌詞も全然違うのに対し、​エンヤコラセは原曲歌詞の「港出たならマグロを追って」が「室戸出たならマグロを追って」等数か所変わっているぐらいで、​ほとんど同じです。​このレベルの替え歌だと歌詞テキスト引用は著作権的に難しいんですよね・・。​
昔、​石彫場に入り浸っていた実専の上級生に四国出身者がいて、​その先輩が地元周辺で歌われていた替え歌をムサビに持ち込んだのが始まりではないかと言われています。​
芸術祭の時はこの2曲を延々と繰り返して歌い、​トランス状態に入っていったもんです。​
噂によると、​実専神輿から受け継がれた「武蔵野音頭」「エンヤコラセ」以外に、​もう1曲失われた歌があるらしいんですが、​それはまた今度。​

どちらの曲も「正式な伝統」として誰かが決めたわけではなく、​先輩から後輩へ、​なんとなく歌いながら受け継がれてきました。​
「変わらないから伝統」だけじゃなくて「変わりつつ残る」のもまた伝統。​ムサビが100年続いたのは、​何も変えなかったからじゃないんだな、​と気づかされます。​
というわけで、​もし彫刻学科の後輩の皆さんがこれを読んでいたら、​ぜひ一度くらい「武蔵野音頭」と「エンヤコラセ」を歌ってみてください。​
ちゃんと歌えなくても大丈夫。​たぶん、​そこからまた新しい伝統が生まれます。​

次回紹介するのは、​鷹の台キャンパス内にあった女子寮歌の寮歌です。​
そう、​昔はキャンパス内に寮があったんですよ。​
続くっ!!

参考資料

  • 末吉うな「彫刻学科の芸祭の神輿について」2024年(武蔵野美術大学大学史史料室蔵)

手羽イチロウ

てば・いちろう

武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業。​

2003年にムサビ生ブログサイト「ムサビコム」、​2009年より「美大日記」を運営。​2007年『ムサビ日記―リアルな美大の日常を』を出版。​全国の美大情報を毎日チェックしつつ、​PARTNER_WEBにて理想の美大を目指すテイの「手羽美術大学★」を連載中。​